「リンドウの花を君に」短編

□命尽きる、その日まで
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《ヒルメスと夢主の再出発》
・アルスラーンが王都奪還。その後のヒルメスの選択。



* * *



 行き場のない憤りは、いつからか空しさに変わった。
 絶望や虚無――そんな感情には慣れていた。
 慣れる、というよりもそんなものを感じる機能が麻痺したといったほうが正しいのかもしれない。

 要するに、生きる目的を見失った今、この身は意識のないところで動かされている操り人形と同じだった。

 アトロパテネでの開戦以来、多くの血が流れたいくつもの戦いが終わり、あの貧弱で頭の悪い……にもかかわらず、パルスの民から敬われ愛されている小僧が王位を継いだ。
 パルスは、王都エクバターナは、新たな統治者を迎えて新たな道を歩みはじめた。
 そこに、敗者の居場所はない。


「アイラ」
 人の気配のないエクバターナの城門に、その声は静かに響いた。城門の下には、馬頭を並べた二頭の馬が、馬上の二人の合図を待ちわびて並び佇んでいる。
 王の凱旋に湧く王都の喧騒ははるか遠くに聞こえていたが、ヒルメスはその喧騒に背を向けて、頑なに王都の外へと視線を向けていた。
「――はい、ヒルメス様」
 寂しい静寂に似つかないほど、やわらかな声がヒルメスの名を呼ぶ。
 その途端、呼吸すら苦しく感じていた胸のわだかまりがふと軽くなった気がして、ヒルメスは目を細めた。
「良いのか」
 何が、と問われても、ヒルメスには答えられない。
 彼女が、王都から去ろうとしている自分と共に行くことだろうか。
 それとも、彼女が新王の側近という地位も名誉もすべて投げ打ってしまうことだろうか。
 あるいは、彼女の居場所まで奪い、彼女を家族や友人と引き離してしまうことだろうか。
 ……おそらくは、そのすべてなのだろう。

「今ならば、まだ」
 ――間に合う。そう言おうとしたはずが、言葉は出なかった。
 今ならばまだ間に合うから帰れ。女ひとりにそう言ってやることもできないほど、自分は脆弱だったのか。ヒルメスは思った。
 それなら誰に敗北しようとも仕方のないだとも思う。
 自嘲にも似た笑みが口端にこぼれる。
 いろいろなものを失い、あきらめて、もう手はのばさないと決めて、いま、王都に背を向けている。
 それでも、彼女だけはと願ってしまう気持ちを、ごまかすことができない自分がいる。
「お前は……お前が思うように、行動すればいいのだ」
「それならば、ヒルメス様」
 間髪入れずに、返答がある。ヒルメスは何を言われても受け入れる心づもりで続きを促した。

「貴方と共に参ります」

 その言葉の、何と尊いことだろう。
 ヒルメスの胸に、ぐっとこみ上げるものがあった。
 痛いほど熱いと感じるその感情は、ずっと昔に麻痺したと思っていたものかもしれない。
「貴方が一緒なら、どこへ行こうとも、どこまで行こうとも恐ろしくはありません」
「アイラ」
「ヒルメス様。貴方がいない世界には色がないんです。だから、今わたしは嬉しいのかもしれません。不謹慎だと貴方は怒るかもしれないけれど、これからずっと貴方といられるのだと思うと、そう思わずにはいられません」
 自分が答えに窮したのを悟られたのか、アイラを乗せた栗毛の馬が近づいてくる。
 わずかに首を巡らせて視線を投じると、細く白い指先が伸びてくる。
 わずかに体温が低いそれは、仮面を外して無防備になった頬にそっと触れてきた。
「怒りましたか」
 何をだと聞き返しかけて、自分がアイラの話した言葉に怒りを覚えなかったことに気付いた。
「お前に対してはもう、怒りは感じぬ」
「それは……なんだかすごい口説き文句ですね」
 鈴を転がしたかのように軽やかに、アイラが笑う。
「なぜだ」
「だって、私が何を言ってもヒルメス様は許して下さる、ということでしょう? それってすごく特別だって言われているみたいです」
「では、そうなのだろう。だが、お前にだけだ」
 ヒルメスには自分が何を口走っているのか自覚はなかったが、口ごもったアイラの頬が赤らんでいるのを見て、優越感を覚えた。
 ヒルメスが喉を鳴らすと、こちらを恨めしそうに睨んでくるその表情は昔も今も変わらない。
「もう二度と問うてやらぬぞ」
 本当は今この瞬間にも腕の中に捕らえてしまいたい。他の何を失ってもお前だけは失いたくはないと、そう声に出して言えるほど、饒舌でも器用でもないこの性格が疎ましいとヒルメスは思った。
「はい、もう二度と問わないで下さい。私の想いはずっと変わらないのですから」
 頬に触れられたままでいたアイラの手を取り、握りしめる。
 ぬくもりを分け与えるようにしばらく触れ合わせてから、ヒルメスはその白い手を自分の口元に寄せた。
 やわらかな手の項に唇を押し当てて、祈るように目を閉じる。
 壊れやすいようにみえて本当は壊れにくい、芯の強い女性。
 そして、一度決めた信念を貫く勇気を持っている。それがヒルメスが唯一愛する女だ。

 ぐっと奥歯を噛み締めて顎を引いたヒルメスは、遥か遠い地平線をしかと見据え、手綱を握る手に力を込めた。


「アイラ、お前と共に在ろう。命尽きる、その日まで」


命尽きる、その日まで



【あとがき】
 読者の皆様に申し訳が立たなさそうなので、とりあえず一言。生きてます。
 あ、それから新年あけましておめでとうございます。
 
 前回の更新から一年経とうとしています今日この頃、アルスラーン戦記の最終巻が発売されたことに感化されまして、短編を一本こそっとUPしちゃいました。

 早いもので社会人生活も早一年になろうとしています。
 去年一年間はもう振り返りたくもないくらいしんどくて大変でしたが、ようやく自分のペースをつかめてきました。
 こうして執筆するのも気が遠くなるくらい久しぶりです。
 ちょっとずつ復帰して、大好きなヒルメスと夢主のお話をたくさん書きたいです。
 
 更新が途絶えていた間もコメントや拍手をしてくださっていた皆様、本当に感謝しきれません。ありがとうございます。
 まだサイトを見に来てくださっている方がいらっしゃると嬉しいのですが……
 (もう見限られていても文句は言いません……というか見限られてて当然ですね 汗)


 追伸。アルスラーン戦記の最終巻、怒涛のクライマックスでしたね。いろんな気持ちが混在してて脳内が雑煮状態です。感想はまたの機会に呟きますね。ではまた。



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