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□ダークマター
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…焦げた臭いがする。
寝惚けた頭の中でそう思った。
「──何してんの?」
ようやく事態を把握してベッドから起き上がりリビングに足を踏み入れる。悪臭はその奥、小さなキッチンから放たれていた。
「臭いんだけど、ソレ、何」
そこで何やら懸命に手を動かす人物に声をかける。振り返って、ヘラリと笑うその手には、悪臭を放つ黒い塊。
「今日さ、バレンタインだからさ、ホント気持ちだけでもと思ってさ」
「…コレ、…チョコレート?」
「……うん」
困ったように笑うコイツの名前は、武仁(タケヒト)。同じ男である俺に好きだと言ってきた、なかなかの強者である。が。
「お前料理出来ねぇだろ。チョコレートぐらい買え」
頬についたチョコレートを指先で取ってやれば、武仁は嬉しそうに笑った。
…この笑顔が可愛いと思って、コイツの告白にじゃあ付き合うかと頷いたことを思い出す。
「買っても良かったんだけど…その、」
「何?」
「翔真(ショウマ)、女の子たちにいっぱい貰うだろうなって…」
もごもごと呟きながら武仁は俯いた。
そこでハッと気付く。もしかしてコイツ、他の女たちの恐らく手作りであろうチョコレートに負けまいと…
─高校に入学してからずっと俺のことが好きだったらしい武仁は、俺が毎年数人の女子から手作りのチョコレートを貰っていることを知っているんだろう。
「ハハッ」
可愛いなあ。真っ赤になってダークマターを見つめる武仁を愛おしいな、と思う。まあ、俺のキャラじゃないから言わないけど。
「別に手作りじゃなくても、お前がくれるってだけで嬉しいよ」
それだけ告げて、武仁の手からダークマターを取り口に放った。味は、まあ見かけ通りだけど、所々に散らばっているナッツは美味い。
「お、美味しくないでしょ?」
「不味くはない」
「…翔真の好きなナッツをね、入れたからかな」
また笑う。多分、武仁みたいな奴を健気って言うんだと思う。
「ありがとう、武仁」
「えっ」
「お返し何にしようかなあ」
俺が名前を呼んだのがそんなに驚くことなのか、武仁はポカンと口を開けて固まっている。
「武仁?」
「あ、うん、お返しは、いらないよ。…翔真が、…いてくれるだけで俺は、嬉しいから…」
最後は小声だったけど、俺にはバッチリ聞こえたわけで。
焦げて苦かったはずのダークマターがほんのり甘くなったような気がした。
終.