非日常のとビら
□39日目 お手伝い
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昼下がり、やんわりと陽の光が入るリビング。
ペンが紙の上を走る音と2人分のティーカップからゆらゆらと揺れる湯気がさらに雰囲気を穏やかなものにしていた。
「今日はココナにお願い事があるんだけど」
「ん?なに?」
手元を見ていたイルミが突然話しかけてくることに関してはいつもの事だ。
キリのいいところまで文字を書き、ノートから顔を上げる。
しかしお願いだなんて、何を言われるのだろう。
朝から告げられるタイミングはいくらでもあったのに、今まで引っ張ってきたのなら話しにくいことなのだろうか。……イルミにも話しにくいとかそういう概念があるのかはいささか疑問ではある。
イルミから改まってお願い事をされるだなんてなんだか嫌な予感が……しないでもない。
「1週間後にあるパーティに一緒に出て欲しいんだ」
「は?」
……話を聞くと、どうやら一緒にパーティに出席する予定だった人が不慮の事故があって出られなくなったらしい。
今回仕事で行かなくてはいけないパーティは必ず女性を同伴して行かねばならない決まりがあるらしく、パートナーがいないままでは仕事にならないらしい。
イルミは一応有名暗殺一家の長男だし、適当な女性を見繕う訳にもいかない。
それにイルミの妻の座を狙う人も居るらしく、信頼のおける人じゃないと同伴したくないらしい。
「イルミってモテるんだね」
「嫉妬してくれた?」
「いや、選び放題なら、そのうち私から離れてくれるかもって淡い期待を抱いただけ」
「オレが好きなのはココナだけなのに」と真顔で言うイルミは放っておいて、私は頭を悩ませた。
何やら困っている様子のイルミに、居候の私如きが強く拒否できる訳もない。
しかし、イルミは仕事で行くのだから邪魔をしてしまわないかが不安でならない。
それに、イルミが突然知らないぶっさいくな女を連れていたら絶対に浮く。確実に。そういう未来が見える。
私は絶対笑いものだし、1人になった瞬間綺麗な女の人とかに「貴女みたいな品のない人間の来る場所じゃないわ」とか言われそう。イルミがそんなにモテるなら「貴女はあの麗しいお方とは釣り合いませんわ」とか言われそう。確かにアイツ顔はいいし。虐められそう。こわい。キラキラした場はだいたいそんな感じってイメージあるもん漫画とかで読んだ。
「何の心配してるかわかんないけど、ココナはオレの傍に居るだけでいいよ。設定は…そうだな、恋人にしよう。それがいい」
「いやそうじゃなくて」
「婚約者の方がいい?」
「恋人でお願いします」
私の心配はイルミに言い出せないまま、パーティの参加が決まってしまった。
しかし、私の知っているマナーがこちらの世界で通用するかは知らないし、最低限のことは教えてもらわねば。
それに確認したいことはまだある。
「踊れたりしなきゃダメとかある?私ワルツは何となく踊れるけどこっちじゃまた文化とかも違うでしょ?あ、ワルツを踊れるのは学校のイベントで踊ったからだし、正式なものかは知らないけど」
「ココナは本当に傍に居るだけでいいんだけど……情報がないのは不安だよね」
紙とペン貸して。と言われて素直に渡すと、イルミの説明がはじまった。
「今回行くのは、表向きは社交パーティ、でも本当は裏では闇オークションをやっているんだよね」
何やら物騒な単語が出てきて、私は思わず眉を顰める。
「闇オークションの方には勿論ココナは連れていく気はないよ。こっちに関しては必要なのは同伴者ではなく合言葉だから」
イルミはサラサラと紙に絵を書いていく。
どうやら会場の簡単な見取り図のようだ。
「ここに門番が居て、招待状を見せて名を名乗るだけで会場に入れるんだけど、この時に手首に視認出来ないスタンプを押すんだ。これは招かれたという証拠であり、その人が会場内のどこにいるかも把握できる代物らしい」
「再入場スタンプの強化版的なやつを押すのね」
闇オークションなどをやっているのなら誰がどこにいるか把握したくなるのもわかる。
スタンプするだけで位置が把握できる ……というのはきっとねんのうりょくなのだろう。
魔法の力をわかりやすく犯罪に全振りしているのは潔すぎて、1周回って好感が持てた。
「男女1組で入るのは、そのオークションの商品を探す目的もあるからそこだけは気をつけてね」
「わ〜、物騒」
「ココナから離れるのは少しの間だけだけど、トラブルメーカーだし」と言われて私は笑うしかなかった。
「会場に入ってからは主催者に挨拶をしたら、自由行動って感じかな。多分何人かとは話すことにはなると思うけど、ココナは黙っててもいいよ。オレが仕事に行った時はココナの好きにしててもいいけど、」
「私別にパーティとか興味ないよ?」
「うん、そういうと思ったからバルコニーにでもいればいいんじゃない?」
どうやら本当に着いていくだけで良さそうだ。
不慮の事故にあったという女の人の事がちょっぴりだけ気になるが、その言い方からしてもう……いや考えるのはやめておこう。
「こんなドレスがいいとか希望は?」
「それに関しては全くないけど私、マナーは教えて欲しい」
「おねだりしてもらえるチャンスだと思ったのに」
教えてくれと言っていることに関しては彼の中ではおねだりに入らないらしい。
ドレスはとても好きだし、着ることに関しても嫌いではない。
しかし、手伝いの時にしか着ないのにわざわざねだって買ってもらうほど、強欲な女でもない。
「てかなんかお古のドレスとかないの?私平均寄りだしサイズとかは困んないと思うんだけど」
「オレがそんなものをココナに着せるわけ無いでしょ」
薄々そんな返答がされるのはわかっていたし、私は気にしないことにした。
ぱたり、とノートを閉じて、勉強道具を本棚に戻しに行く。
こういう時にどんな勉強をして備えて置くべきなのだろう。
とりあえず立ち振る舞いくらいはちゃんとすればいいだろうか。
だいぶノートだらけになってしまった本棚に今使っていたノートを戻すと、マナー用のノートもいるかもしれないな。なんてぼんやりと思う。マナー講座なんて受けたことないからそもそも座学みたいに長々とノートを取ったりするのかすら知らないけれど。
しかし立ち振る舞いをそれっぽく見せたらだいぶ自信をつけられそうだ。
私はそれっぽく見せることの強さをハンター試験で学んだのだ。
出来ることならば、食事の所作もやりたいけれど、そもそもたべなければ関係ないし、まだ考えなくても良さそうだ。聞いた感じ立食っぽいし。
「そんなに気を張らなくてもいいんだよ?ココナはオレに付き合わされるだけな訳だし」
「イルミの役にたてるならちゃんとたちたいの!そもそも、ちゃんとしたパーティなどに行ったことのない女が突然高貴な場に連れていかれたら、場違いすぎて会場の人に焼かれるよ」
面と向かって「なんだあの田舎臭のする女は」とは言われないだろうけど、そんな視線を長時間浴びるのはさすがに勘弁願いたい。
ボロが出るとしても最初の数分くらいは普通でありたい。
…私が普通を望む環境になっているということが皮肉すぎて笑えてきた。
「うーん、そこまで言うなら教えてあげる。基本的なところから行こうか」
「やった!お願いします、イルミ先生!」
こうして始まったパーティの日までのレッスン。
なんか次の日から講師の先生が何人もついていたし、普通に厳しかったし、私の思っていた5倍くらいキツめに絞られた。
レッスンは家に人を呼ぶのは危ないからと街まで出て勉強することになるとは思わなかったし、レッスン場に行くまで毎日イルミの護衛という名の送り迎えがあることにも驚いた。
この街はそんなに治安が悪いわけでもないから1人でも大丈夫なのに。
講師の皆様は、私を立派な淑女へと変貌させるためにいろいろなことを教えてくれました。
レッスンを受けたてのときは、それはもうボロクソに言われましたとも。
歩く姿に品がないと言われるのなら、その通りだから傷つくことはないにしろ、もっと頑張らなきゃと思えた。しかし、講師の先生に言われた通りにやっているつもりなのに、「見るに堪えません。貴女真面目にやっていて?やる気がないならレッスン代と、私の時間の無駄でしてよ」と言われた時はちょっと泣きそうになった。
でもここでへこたれていれば、それこそ無駄になってしまうので歯を食いしばって耐えた。
家に帰ったときにちょっとイルミに愚痴って甘やかしてもらうことはありましたけれど、それくらいは許されるだろう。
私は何に許しを乞うているのかよく分からないけれど。
まぁとにかく、私の涙ぐましい努力によって少しは見れるようになった。
長時間でもボロが出なくなるほどの出来になったのは、やっぱり私の努力の賜物だとスーパー自画自賛をする。
――そして私は現在、イルミに連れられてなんだか高級そうな服屋さんに連れてかれていた。
本日はパーティ当日。
ここでドレスを与えられるのだろうということはさすがに想像がつく。
でっかい更衣室に詰め込まれ、お店の人にお洋服を剥がれてネイビーブルーの上品なドレスと黒いシフォンボレロを着せられた。ドレスには細かい刺繍が入っていて、本当に綺麗だった。
じぃっとドレスを見ていると、そんな時間はないというようにドレッサーの前に座らせられる。
その作業はテキパキとしすぎていて、私は何が起こっているのかよくわからないまま、顔面に髪も整えられ、素敵なお嬢さんへと変身していた。
さすが、プロは違う。
しかし、ドレスもボレロも、首元に上品に輝くネックレスや、耳元を飾っているイヤリングも、目に見えて高そうだ。きっと服の値段だけでも目眩がするのに、アクセサリーなどは値段を聞いたら倒れるのだろう。落としたら怖すぎる。
全てが終わったあと、ラウンジのような所に通されると、スーツを着たイルミが長い足を組んで待っていた。
様になりすぎてムカつく。オーラが違う。
「い、イルミ。身につけてるもの、私が一生不眠不休で働いても返せない額っぽくて怖いんだけど」
「全部ココナへのプレゼントなんだから何しようがココナの自由だよ」
「素直に喜んでくれた方がオレは嬉しいんだけど」と少し微笑みかけてくれたけど、私的にはそういう問題じゃない。今日くらいしか着る機会の無い服にどうしてそんなにお金をかけられるのか、庶民の私には1ミリもわからなかった。
つける機会のないアクセサリーなんて私が恐縮するに決まってる。だからといって、何をやっても様になるイルミの隣に立つのだから致し方ないような気もする。
ここはきっと感謝しておくのが正解だと思い、「ありがとう」と感謝の意を伝えると「どういたしまして」と満足気に言われた。
イルミはペットを着飾っている感覚なのだろう。そう考えたら少しだけだが気が楽になった。イルミも嬉しそうなら私もそれでいいや。
「じゃあそろそろ行こうか」
「やっぱりちょっと緊張するなあ」
イルミはゆっくりと立ち上がると、私の手を取った。
近くに来て気付いたが、ポケットチーフの色が私のドレスの色と一緒だった。サラッとこんなことをできるイルミに私は感心してしまった。
「イルミは顔だけはいいし、足も長いからどんな服でも似合うね。かっこいいや」
隣に立つと、やっぱりイルミは私より大きいなあ。と思う。
こんなデカくて綺麗なのが居たらいやでも目に入る。
逆に皆がイルミを見て私の事など視界にすら入らない存在にしてくれたらいいのにな。
……まぁそんな訳ないどころかこんな綺麗な人のパートナーはどんなに綺麗なのだろう。と期待度を爆上げした後にガッカリされる未来すら見えた。
「ココナは素直に褒めるから、オレには毒だよ」
「綺麗なものは綺麗と褒めるのは悪いことじゃなくない?」
そんな他愛のないことを話しながら、イルミにエスコートされて長くて黒くて高そうな車に収容された。
実際イルミは綺麗だと思う。実際モテるようだし、私になんか構わなければいいのに。
はぁ、と小さくため息をつくとイヤリングがゆれてしゃら、と音を立てる。
せっかくいい感じに忘れていたのに、じわじわと緊張が戻ってきた。
高い服という下駄を履かされたと思えばいいのだろうが、辛いレッスンをしてきたとはいえここまでされて何かヘマをするのが怖すぎる。
「緊張してる?そんなに身構えなくても大丈夫。ココナが間違えて屋敷を燃やしたりしても、オレは何とかできるし」
「イルミがそう言うと洒落にならないよ…まぁでも私は何かしでかさないように頑張るね」
身につけているドレスに皺ができてしまわないか、座っているだけでも少し不安なのになあ。
ちょっとだけ震える手を重ねて窓の外を見ると、大きな御屋敷が見えた。きっとあそこが会場だ。
緩やかに車がとまり、私は1つ息を吐くと、腹を括った。
ここでずっとうじうじしていたら、レッスンにしがみついた過去の私が報われない。
先に車を降りたイルミの手を取って、私は笑顔の仮面を張り付けた。