妄想本棚

□秘密
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【秘密】


 二人の息はまだ乱れず、閨はただ穏やかな空気に満たされていた。
 互いの髪をすく手は、一人はひどくやさしく、一人はぎこちなさを見せつつも、時折じゃれるかのように。
 自分以外の鼓動をこんなにも近くに感じられる事を、それが互いである事を、奇跡と当然が半分ずつ並んで心を占めていた。
 この特別な痛みにも似た甘やかな想いが通じあえたのは奇跡、互い以外にこんな表情をこんなにも間近で見せるべくもない当然。
 どちらも他の誰から誹謗されようと、世界中を敵に回そうとも、己と相手が赦しているのだから、そんなものは知った事ではない。
 ――と、やさしい手――彼に対してのみ――の青年は常々思う。
 そして、それと同時に罪悪感を抱く。


 赦し合っている?
 本当に――?

 この、秘密を知られても赦してくれると――?


 やや癖のある黒髪に何度も口付けると、菫色の瞳をした青年は碧の瞳を隠す瞼に口付けた。

あなたの秘密を教えて下さい

 長く美しい蒼い髪に指を絡めて、碧の瞳はもっともらしく答えた。

教えたら、それは秘密にならぬよ
秘密は、隠しているからこそ秘密なのだ

 それは彼らしい答え方で、きっと蒼の青年も想定していた応えだった。
 けれど――、一瞬というには短すぎる時間、菫の瞳に翳りがよぎる。


僕の秘密を話してもいいですか

わしなどに話してよいのか


あなたになら、
あなたしにか、
あなただから、
打ち明けたいのです
本当は、秘密など要らないのです

ねえ、師叔
僕は……


ボク、ハ――





 何度も繰り返しみた夢。
 始まりから終わりまでいつも同じで、閨での睦みあいも、台詞も仕種もいつも同じ。
 胸に残る、苦い気持ちまでも。
 そもそもこれは現実の会話だったのか、夢の中の出来事に過ぎないのか……。
 否、今が夢であればどんなによいか――。


「話せば…よかった…」
 確かにあった小さな秘密。
 誰にも、自分にもひた隠ししていたそれを。
 打ち明けて、二人だけの秘密にしてしまえばよかったのに。
 臆病な自分には、どうしても躊躇われて、怖くて、言葉にする事ができなかった。


 身も心もぼろぼろに傷付いた姿は自分にも、おそらく彼にとっても、これまで感じた事がない程の衝撃だった。

 自分が招いたのは、恐れていた朧気な何かではなく、突き刺されたかのような痛み、哀しみ、己の無力感、後悔。
 そして、目をそらせぬ程に思い知らされた、事実と感情。


「今更…か」


 治癒の水面で歩を進める度に、その深さは増して膝を越え腰ほどまでになっていた。
 傷付き、意識が戻らないままの青年が、静かに波間に横たわりっており、その傍らに佇む。


「すまぬ…」
「わしは」

「おぬしを好きだよ」


 妖しの型から戻れぬ腕をそっと取り、常の白くしなやかな指とは異なる節くれだった指に口付ける。


「おぬしが何であろうと…おぬしを、何よりも…誰よりも…」


 指に手に、何度も口付けをする。
 唇が感じ取るのは、これまでと変わらぬやさしく蒼い青年の気配。


「楊ゼン」

「ただ、愛しいよ」

 誰にも話さないこの想いこそが小さな秘密。

 秘密など、晒してしまえばただの事実。
 それだけなのに。
 本当に、ただ、それだけなのに――。



〈了〉

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