妄想本棚

□ロンリースターズ
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蓬莱島には四季がある。
地球とは比べようもないほどに小さな星だけれど、季節は同じように彩りを変え巡ってくる。
「今年もきれいに咲きましたね」
「いい匂いもするッス」
執務室の外、まるい雪洞〈ぼんぼり〉ような花が風に揺れている。
「――お師匠さまの、好きな花」



【ロンリースターズ】



「楊戩さん、お茶が入りました!」
「お茶の時間ッスよ」
以前は――人間であれば数えるのも馬鹿馬鹿しくなる位の過去の、仙道であればほんの僅かな時期に、同じような事を同じ相手から聞いていた。
些か回りくどい考え方をしながらも、楊戩はその非の打ちどころのない美しい顔を上げた。
「ありがとう、武吉くん、四不像。いつものところに置いてくれるかい?」
「はい! 楊戩さん、ちゃんと一休みして下さいね」
窓際に設えた机の上に、茶器と蒸し器を置くと武吉は真っ直ぐな眼差しを楊戩に向けた。
――あの頃と同じ、澄んだ瞳で。
「了解。区切りがついたらね」
ほんの少しだけ苦笑いを滲ませて楊戩が頷くと、武吉と四不像は安心したように顔を見合わせ、教主の執務室を後にした。
「あの人と同じ心配をされてるなあ」
今度ははっきりと苦笑して、駆け去る足音を見送った。


「さて、と」
今日の分と己に課していたデータを片付けると、やわらかな陽射し溢れる窓辺に佇んだ。
武吉手製のティーコゼーでくるまれた茶器はまだ十分に温かく、注いだ茶からは甘い香りが楊戩の鼻腔をくすぐる。
「桃のお茶…ということは――」
蒸し器を開けると、小ぶりで桃の形に拵えられた饅頭がほかほかと湯気を立て、食べられるその時を待っていた。
「律儀というか…マメだな、武吉くんは」
予想通りの中身だったが饅頭には手を伸ばさず、茶の香りを楽しむことにした。
楊戩は食に執着がない。
仙道――特に楊戩ほどの仙位を持てば、食物を摂取しなくても龍脈から仙気を補給すれば別段困ることはない。
幼くしてその技術を体得した楊戩には、特に関心を持つ理由がないのだ。
成長過程にある者は必要とする場合もあるけれど、それはごく一部の者で、成熟した殆どの者にとって食事はせいぜい「嗜む程度」のものだ。
茶は気分転換になるから好むようになった珍しい部類だと言えよう。

その楊戩が一時期、食にほんの少し興味を持った時があった。
とある人物が食べ物に詳しく、また仙道らしからず食べることを殊更好んでいたからだ。
武吉はその人を師匠と仰ぎ心から慕っており、茶の時間に手製の菓子を振る舞うようにようになったのもおそらくは今ここには居ないその師匠の為、である。
パティシエの通信教育を始めたという報告の後間もなくして、お師匠さまの好きなお菓子です、と供されはじめた。
その間も無い頃に、楊戩は一度丁重に断ったことがある。
自分に食物は必要ないから、勿体ないと。
(そもそも己に不要なものに「勿体ない」と言えただけ、かつての彼と比べたら随分とあの人に感化されたのだ。)
すると武吉は、好みそうなメニューの傾向と対策を練るから大丈夫ですよ!といつもの笑顔で応え、以来、彼手ずからの菓子が茶と共に並ぶようになったのである。
今ひとつ意思の疎通が出来かねているのだが、無下に要らないとも言えず、かといって食べない事にもクレームがつかないまま、今日に至っている。
旬の果実をふんだんに取り入れたものや、長く保存が効くように加工された果実や木の実をあしらったものなどが毎日のように楊戩の元へ運ばれてくる。
楊戩がそれらに手をつけることはなかったが、季節を意識した細やかな演出は、食に興味の薄い彼にも見る楽しさを提供していた。
(視覚も食のうちだと、これもまたあの人の教えなのだ。)
そしてそれは、仙道らしからぬ食の知識で武吉が師匠と呼ぶ人物を、まざまざと思い起こさせる日常でもあった。

絶対に失いたくなかったもの。
手の平に託されたもの。
色褪せる事なくこの胸の奥を焦がすただ一人の人――。
日常は、その端々に彼の記憶を漂わせ続ける。
風の音も、花の香りも、永い歳月でさえも、楊戩からその人を奪う事はできなかった。
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