取扱注意

□チョコレートモンスター
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「しろがねの、おぬし」
半妖の形をとった時の楊ゼンを、少年の形をした太公望はそう呼んだ。
凍てつく季節の月の色を、あの長く美しい髪が纏うから。



【チョコレートモンスター】



月見酒と洒落込んで、熱のない光を二人で愛でた。
「どの季節の月も、みなそれぞれの趣があってよいものだのう」
くいと杯をあけて太公望が笑う。
「殊に、ほれ」
小さな手が窓を開け放つ。
「真冬の月はおぬしの――銀(しろがね)の髪のようだ」
「そうですか?」
「うむ。自分の髪の色を知らんのか?」
「…人間〈こちら〉の形をとった時間の方が長いので」
いくばくかの酔いに誤魔化されて体が冷える前にと、楊ゼンが窓を閉じる。
その指は白く長く、あやかしの形を成した時のそれとは比べようもなく優美だ。
伏し目がちになった菫色の瞳が憂いを帯び、その際立った妖艶さに太公望は息を飲む。
ふと楊ゼンがこちらを見て、見とれていた事に気付かれた気がした太公望は話を変えた。
「の…のう、もう少し呑まぬか?」
「あなたの望むままに」
想い人の誘いに、蒼を纏う青年はふわりと微笑んだ。


呑み過ぎたかもしれない、と珍しく酒気で頬がほんのりと染まった少年は、それでもどこか他人事のように思った。
青年と杯を交わすのは心地好くて、ついつい杯が進んでしまった。
嬉しかったり楽しかったりすると、酒の味は格段に増すもので、いつの間にか空の酒瓶が並んでいる。
だからと云って、酩酊だとか泥酔というレベルでもない。
彼が幼い外見を裏切る酒豪たる所以である。
指先を絡めていた極上の絹糸を思わせる蒼い髪を軽く引くと、それはするりと逃げて行った。
くせのない艶やかな髪に、太公望の記憶が擽られる。
「母上の髪に、似ておる」
くすりと笑みがこぼれる。
「?」
蒼い髪の持ち主が首を傾げると、少年は再び指を絡めてその感触を楽しんだ。
「わしの母上の髪も、長くてきれいだった」
裕福とは決して言えない羊飼いの一族だった。
一日中働きづめで、照り付ける陽や乾いた風にさらされていたし、満足に手入れもできなかっただろうけれど。
「それでも長く真っ直ぐで、艶があって…きれいだった」
蒼い髪が逃げる前に、くちびるを押し当てる。
「おぬし――銀(しろがね)のおぬしの髪も、きれいだよ」
柄でもない言葉を口にしている自覚はあったが、酒の勢いで誤魔化してしまおう。
太公望がそんな事を考えるともなく思っていると――ヴン…と、空間が歪む音がした。
指先に絡めていた筈の蒼い髪が一瞬ぼやけ、再び現れると――彩度を失っい、けれど目映い銀に、その色を変えていた。
顔を上げれば、そこには銀(しろがね)の髪に血の色の瞳をしたあやかしが居た。
圧倒的な威圧感に、孤独を滲ませて。
「――あなたは…この姿が、怖くありませんか?」
「怖くない」
「では――この姿が…嫌ではありませんか…?」
「嫌じゃない」
「このあやかしの姿を――」
「蒼も銀(しろがね)も、両方共に楊ゼン、おぬしだ。何に怯えろと言うのだ?」
返す言葉を見付けられずにいる青年に、太公望は苦笑する。
「おぬしの事だ。大方、妖怪の姿にわしが不快感を抱いているとでも思うたのだろう?」
太公望の一族は理不尽な理由で滅ぼされた。
妲妃という名の妖怪の、くだらない指図によって。
「いえ、そんな事は――」
太公望に呆れる程やさしい青年は、眷族に等しい妲妃の仕打ちを、まるで自分の罪のように引け目に感じている。
「のう、わしはその程度の器か?」
先日の大戦――崑崙と金ゴウの確執という形で、最も傷付いたのは他の誰でもない、楊ゼンだというのに。
「ダアホが」
銀髪を無造作に掴み、やや強引に顔を引き寄せる。
青年の髪や瞳、肌の色は変われど、顔立ちはやはり端整で凄絶な迄に美しく――幾分硬質的なくちびるに、太公望は己のそれを重ねた。
何度か掠めてから、感触を確かめるように、重ね合わせる。
見た目通りにやや硬くて少し冷たいくちびるに、ぎこちなく少年の舌が触れた。
小さな舌は楊ゼンの口腔内に伸びたが、迷子のようにうろうろと彷徨っている。
「っ…!」
自分から、という行為に慣れていないせいもあったかもしれない。
少年の舌は鋭利な牙に触れると、容易く傷付いてしまった。
血の味が楊ゼンの口内に広がったが、それでも太公望が引く事はなかった。
妖怪の本能で、ともすれば血の味に酔いしれてしまいそうだった。
それをぎりぎりの所で抑え込んで、楊ゼンの舌が太公望の傷口を守るようにやさしく寄り添う。
そっと太公望の口内に導くと、幸いにも傷は浅かったようで出血もすぐに治まった。
ほっとして青年が離れようとすると――尚も小さな舌が絡みつき、誘うように吸い上げた。
ちゅく…と甘やかな音を立てる愛しい人の仕種に、楊ゼンは己が抱いていた引け目を忘れ去った。
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