High-Kyu!!

□いまだわかれず
2ページ/34ページ


 もう、戻ることはないと思っていた。それでも、昨日ボールを手にした感触が忘れられない。私のサーブを称賛してくれた、日向くんのキラキラした眼差しも。
 どんな形でもいい。もう一度、コートに立ちたい。
 そしてわがままが許されるのなら、セッターは“彼女”であってほしい。登校してきた友人の姿を見つけると、私は急いで傍へと駆け寄った。

「ヨリちゃん、球技大会バレーにするよね!?」
「どしたの、急に」
「練習付き合って!」
「まだ1ヶ月以上先だけど」

 この時期から話を出す人はあまりいない。始業式をしてからまだ数日しか経っていないのだ。しかも球技大会は5月中旬だし、わざわざ授業外で練習するクラスもそうないだろう。
 でも勝ちたいのなら、時間は足りないくらいだ。

「一体、どうしたっていうの?」

 とはいえ、やはり唐突すぎたせいか、いきなりやる気を見せた私に友人は訝しげにしていた。当然、理由を問い質そうとしてくるので、私も正直に自分の気持ちを告げた。

「優勝したい」
「え?」
「優勝したい。やるからには勝ちたい」
「…………」

 黙ってしまったヨリちゃんを見て、とたんに私は緊張した。こんな勝手なことを言ったら、やっぱり怒るだろうか。おそるおそる彼女の顔色をうかがう。
 でも、ヨリちゃんはしばらく私の目を溶かすように見てから、フッと優しく微笑んだ。その反応に、肩の力が抜けていく。

「久しぶりだね。雪とバレーするの」
「うん。……ごめんね」
「いいよ。いつやる?」
「昼休み。できれば朝や放課後もやりたいけど、ヨリちゃん部活あるもんね」
「ガチか」

 ひとり意気込む私に、ヨリちゃんは笑ってくれた。それだけで、本当に救われる。
 私のわがままをいつも聞いてくれて、ありがとう。

* * *

 週が明けて、月曜の放課後。学年が変わってクラス替えが起こったからか、呼び出される回数が増えた気がする。今回は体育館裏だった。しかも第2のほうだ。
 体育館から響くスキール音、ボールが弾む音、人の声。そのなかに、日向くんのものがないだろうかとつい耳をそばだててしまう。目の前で想いを告げてくれる同級生の話も、申し訳ないことにきちんと頭に入ってこない。

「……なんだけど、どうかな?」

 話の最後に求められた返事に、私は頭を下げる。何度やっても後味が悪い。その同級生を見送って、私はひとつ溜息を吐いた。

「いやー、モテ女は大変だなー」
「あ、菅原先輩……」
「おース。久しぶり、河野」

 後ろを振り向くと、中学時代の先輩がいた。事の次第を見ていたのか、興味津々といった表情を浮かべている。

「これで100人くらいいったか?」
「そんなにいきませんよ……」
「いや、冗談だべ。本当だったらさすがにビビるわ」
「菅原先輩は、これから練習ですか?」
「そっ! 今年は“スゲー1年”も入ったし、絶対春高行くからな」

 菅原先輩が言う「スゲー1年」にすかさず反応してしまう。頭に浮かぶのは日向くんの顔だった。きっと今は入部も果たせて、体育館の出禁も解かれているに違いない。だって、「スゲー1年」なんて、彼以外には考えられないのだから。
 そうやってまた夢見心地でいたからいけないのか、菅原先輩の手が目の前でヒラヒラと揺れた。

「どうかした?」
「あ、いえ。何でもないです」
「そうだ。河野、練習見てけば?」
「ヘッ……!?」
「たまには気分転換しないと」

 有無を言わさず、菅原先輩は私をリュックごと押して入口へ連行した。
 見たいのは山々だ。けれど、心の準備ができていない。日向くんに会って、まともに会話できる自信がないのだ。
 入口まではほとんど距離がない。心臓の鼓動が、どんどん速くなっていく。もう弾けそう。なのに、菅原先輩は私の心情なんてお構いなしにズンズン押してくる。

「今年の1年、俺よりデカイ奴多くてさー。まいっちゃうよなー」

 歩いているあいだ、菅原先輩はそんなことを言っていた。さして悩んでる風でもなく、どこか楽しそうに言うから、まいっているようには聞こえなかったけれど。というより、今はそれどころではない。
 もうすぐ体育館の中が見えるというところで、後方から雄叫びが聞こえた。続いて迫ってくる地響きに、私も菅原先輩も体を硬くする。

「「うおおおおおぉぉッ!!」」

 すぐ横を勢いよく風が通り過ぎて、体育館の入口でふたつの人影がズシャァッと滑っていく。さっきまで速くなっていた心臓の鼓動が、限界を通り越して止まるかと思った。

「ハァッ、ハァ……。よしっ! おれの、3勝、2敗……1引分け、だっ!」
「クッ、ハァ、クソがッ……!!」

 息を切らして、日向くんと、この前一緒に練習をしていた男子生徒がヨロヨロと立ち上がった。
 私と同様、唖然としていた菅原先輩が、思い出したように声をかける。

「オイ! 練習前から疲れてどーすんだよ!」
「菅原さ、ん……あっ!?」

 日向くんは私に気づくなり大きく叫んだ。私はというと、反射でビクリと体が震えてしまう。目が合っただけで、なんだか苦しい。とっさに逸らしても、火照った顔までは隠せない。
 身の置き所もなく縮こまっていると、菅原先輩が助け船を出してくれた。

「日向、いきなり大声で叫ぶなよ。河野がビックリしてるだろ」
「え、あ、スミマセンッ!!」
「い、いえ……」

 またしても向けられた大きな声にビックリする。勢いよく頭を下げられたことにもうろたえてしまった。
 けれど今日は、かろうじて言葉を発することができた。短い、けど。
 どうして日向くんの前だと、こんなにも緊張するのだろう。どうして彼の前だけ自然でいられないのだろう。なんとなく答えは分かっているけれど、認めてしまうのは怖い気もした。

「河野?」

 向き合うことに躊躇していると、菅原先輩が私の顔をのぞき込んできたから、意識が逸れてくれた。あれ以上考えていたら、きっと私は答えにたどり着いてしまったに違いない。
 絡まってくる感情を振り払うように目を合わせると、なぜか菅原先輩は驚いたような顔をしていた。

「あの、菅原先輩?」
「あ、いや。なんでもない」

 そうは言うものの、さっきまでと様子が違う。何かあったのだろうかと首を傾げていたら、体育館の中から声が聞こえた。

「おーい、早く中入れー」
「「ウス!」」

 扉に手を掛けながら、外をのぞきこむようにして男子生徒が指示を出す。日向くんたちの返事からして、おそらく2年生か3年生だろう。
 指示を受けたふたりは、体育館の中へも我先にと競うようにしながら入っていった。
 男子生徒はそんな彼らをあきれた風に見送ると、今度は目線を私に向ける。

「えっと、スガの知り合い?」
「あ、大地。今日この子、見学させてもいい?」
「いいけど、女バレじゃなくてウチでいいのか?」
「うん。俺の後輩だから」

 心の中で、菅原先輩に感謝した。来るまではあんなに尻込みしていたけれど、日向くんと挨拶(といえるかは分からないけれど)できたし、公式に見学できるならもう怖いものはない。菅原先輩の後輩ということなら、きっと怪しまれることもないだろう。
 そういえば、さっき菅原先輩は何に驚いてたんだろうか。もう一度尋ねようかなとも思ったけれど、目の前の爽やかな笑顔を見たらそんな気も失せてしまった。

「よし、菅原先輩のカッコいいとこ見せてやんべ!」
「俺、3年の澤村。ボール飛んでくるから気をつけてな」
「2年の河野雪です。急なのにありがとうございます」
「俺無視かよー」
「スガも早くアップ交ざれ」

 先輩たちが練習に戻るのを見送って、私も体育館にそろりと足を踏み入れる。普段授業で使っているのになんだか懐かしい気持ちになった。
 女子より高めに張られたネット。ボールを詰めこんだカゴ。部活動という独特の雰囲気。
 やっぱりいいな。素直に、そう思った。

「いーち、にー、さーん、しー……」

 部員の人たちは円になって床でストレッチしていた。邪魔にならないよう、壁際に立ってその様子を眺める。そのあいだも、つい日向くんばかりを見つめていた。
 初めて会ったときもしっかりと見たわけではないけれど、顔も身体もあのときから大人びていて、年月を経たのだとあらためて思う。その横顔は、昔も今もカッコいい。
 吸い込まれるように見つめていると、不意に彼がこっちを見たから、慌てて首を背けた。それはもう、バッと音がなるほどの勢いで。
 やってから気づいたところでもう遅い。今のは、あからさますぎる。気を悪くさせたかもしれない。さっきまで浮かれてたのに、気持ちが急速に沈んだ。
 とにかくこのタイミングでは帰れないし、気持ちを落ち着けないと。

「いーち、にー、さーん、しー……」

 深呼吸しながら、ストレッチのカウントを唱える声に自分の気持ちを被せた。そうやって少し冷静になると、視野が広くなった気がする。見渡してみたら、田中くんがこっちを見ていたからすぐに手を振った。

「よっしゃぁ!!」
「田中ウルサイ!」

 知り合いがいたからつい手なんて振ったけど、私が邪魔したから澤村先輩に怒られてしまった。なんだか申し訳ない気持ちになる。
 しょんぼりしている田中くんとまた目が合うと、両手を合わせて謝った。田中くんは今度は叫ばず、代わりに小さく手を振り返してくれた。
 もう一度周りを見まわすと、縁下くんと成田くんの姿もあった。数えたら今いるメンバーは10人。西谷くんは、まだ戻ってきてないのか……。
 昔、烏野の男バレは全国へ行ったと聞いたことがある。そのときも、人数はこれくらいだったのだろうか。少し寂しいような気もしたけど、澤村先輩の指示が飛ぶと、それ以上考えるのは止めた。

「次、スパイク練習ー!」

 準備を終えて次の練習に移ると、その凄まじさに思わず目をみはった。さすが男子高校生だけあって、スパイクに迫力がある。あれなら綺麗に返球なんてさせてもらえないだろう。
 でも、凄いのはスパイクだけじゃない。さっき日向くんと一緒にいた黒髪の彼は、恐ろしいほど正確にトスを上げる。欲しいところにボールがあるから、スパイカーも力を乗せたスパイクを打てるんだろう。
 実力の高さに見とれていると、今度は突如としてコートの端から響き渡る声に度肝を抜かれた。

「持って来ォォい!!」

 それは、ほんの、一瞬きだった。
 今までのクイックとは一線を画す速さで放たれたトス。あんな速さ、普通は流れて壁にぶつかるだけだ。追いつける人なんて、いるはずがない。
 でもその先に、ちゃんと彼がいた。昔見たあのときのように、翼を広げて。

「うおぉっ! 決まったぁ!」
「ボゲ! 日向ボゲ! やるなら先に言ってからやれッ!」
「なんだよ固いこと言うなよー。ちゃんと合わせてくれたじゃんか」

 まるで雷にでも打たれたような衝撃で、私はその場を動けずにいた。頭の中で再生される映像。日向くんは、私の想像を軽く超えていく。

「……大丈夫?」

 意識を戻すと、隣からマネージャーさんが声をかけてくれていた。いつまでも固まっている私を心配してくれたみたいだった。

「あ、はい……。大丈夫です」
「すごいよね。あの速攻」

 私の心を読んだみたいに、マネージャーさんは笑みを浮かべた。微笑みというより、悪戯が成功したときのようなニヤリとした表情。ああ、これが、このバレー部のとっておきの武器なんだなって分かる。

「はい。あんなの初めて見ました」
「日向も影山もまだ1年だけど、今年の烏野は強くなると思う」

 そう言ってコートに戻した視線には、士気が宿っているように見えた。マネージャーさんの言うとおり、さっきの速攻は確信を持つのに十分すぎるプレーだったと思う。
 菅原先輩が豪語した春高出場は、大げさでもなんでもなくて、手の届く場所にあるんだ。
 そしてそれを可能にするのは……

「日向くん……」

 彼の存在なのだ。
 さっきもあからさまに目を背けたのに、懲りずにまた日向くんを目で追いかけてしまう。幸いなことに、日向くんはとても集中していたから、また視線がぶつかることはなかった。
 けど、今度は隣にいたマネージャーさんから視線を感じる。振り向いたら案の定バッチリ見られていた。

「あ、えっと……」
「日向と知り合いなの?」
「ち、違いますっ……!」

 ここで彼の名前が出るとは思いもよらなかったから、口から心臓が出るかと思った。目で追ってたの、気づかれたかな。
 受け答えがあまりに必死だったから、きっと不自然に思われたかもしれない。その証拠に、マネージャーさんはすべてを悟ったかのような綺麗な笑みを浮かべている。
 心の内を見透かされたようでいたたまれなくなった私は、このあと予定があるからと断ってそそくさと体育館を後にした。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ