High-Kyu!!

□いまだわかれず
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 白鳥沢と烏野を往復するのも今日で終わりだ。ボール拾いだけに専念した練習ってのは初めてだったけど、コートの外から見える情報ってのはビックリするくらいたくさんあった。スパイカーのフォームにも、ブロックの動くタイミングにも、一瞬先の未来を映すヒントが隠されている。今まで想像していたよりずっと、バレーは考える競技なんだと思った。

――ぐううぅ。

 だからすげえ腹が減る。頭も使えば、空腹はいつもより2倍つらい。おれの全身が回復したいと訴えていた。
 コンビニで買ったプロテインと、家から持ってきたバナナを頬張ってひと呼吸する。駅に着いたら、あとはチャリンコで30分の山越えだ。よし、早く帰ってちゃんとした飯を食おう。

「あァー、ハラへったー!」

 辺りはもう、真っ暗になっていた。道を照らすのはポツンポツンと立つ街灯と、たまに通り過ぎる車のライトだけ。あとはチャリの電気と自分の吐く息しか夜の暗さに勝ててなかった。
 そんな山道の途中、通りかかるバス停に目を向ける。いつの間にか、それが習慣になっていた。今日はいるかな。そう思いながら、いつもここを通り過ぎている。

「あっ」

 だから、雪さんを見つけたときは思わず声が出た。あの日からずっと、会いたいと思っていた人だから。
 ここは人通りも少ないし、通りかかったのがおれでよかった。バスを待っているのか、雪さんはケータイの明かりを頼りに本を読んでいた。こんな夜遅くまで勉強してるなんて、雪さんは本当に努力家だ。

「雪さんっ!」

 近づきながら声をかけると、雪さんが顔を上げる。まだ暗闇に目が慣れてないのかすぐには焦点が合わなかったけれど、そばに着いた頃にはおれだと気づいてくれた。

「こんばんは、翔陽くん」
「コンバンハっ。雪さん、予備校の帰りですか?」
「うん。翔陽くんは、練習の帰り?」
「あっ、えっと……練習といえば練習なんスけど」

 たぶん雪さんは、おれが学校で練習してたと思ってる。白鳥沢から帰ってきたところだなんて言ったら、驚くかもしれない。

「おれ、強化合宿に行ってたんです」
「男バレって合宿中なの?」
「あ、いえ。合宿に行ってるのは影山と月島だけで、おれはそれに乗り込みました」
「えっ!?」

 予想したとおり、雪さんは驚いていた。

「合宿って、まさかユースの……?」
「いや、そっちじゃなくて、白鳥沢でやってる県選抜のほうっス」

 ジャパンにも行けたらよかったけど、東京まで行くアテがない。そういう意味もあって白鳥沢に押しかけたけど、今は行ってよかったと心から思う。
 もちろん、勝手をしたことに反省もしていた。武田先生やコーチにも迷惑かけたし、キャプテンにもキツいお説教をもらった。やり方が強引だったことはおれも認めてる。
 だから、優しい雪さんもこのときばかりは何も言ってこなかった。きっとフォローの言葉が見つからないんだと思う。
 けどおれは、誰に何と言われようと後悔はしていない。だってこれが、強くなるために必要なことだったから。

「ッ、ハハ……!」

 そうやって気を持ち直していると、目の前で雪さんが笑いはじめた。いつものフワリとしたやつじゃなくて、おかしくて仕方ないって感じの笑い方をしている。

「思ったとおり、さすがは翔陽くんだ」
「えっ?」

 どういうことだろう。雪さんはおれのこと「こいつ合宿とか乗り込んじゃいそうだな」って思ってたんかな。一応、乗り込むのはおれ自身これが初めてなんだけども……。

「いや、合宿乗り込むのは予想もしなかったけど、翔陽くんのことだし、ただでは起きないと思ってたから」

 そう言って、雪さんはまだ笑っていた。暗がりの中で、目がきらりと光る。泣いて笑うほどツボに入ったらしい。

「それで、どうだった? 合宿のほうは」
「ずっとボール拾ってました!」
「えっ、交ぜてもらえなかったの?」
「はい、おれ押しかけだったんで。だから、コートの外で選手たちのことすげえ見てました」

 雪さんが、一瞬黙る。

「そっか。本当にすごいよ、翔陽くんは」

 今の間はなんだったんだろう。しみじみと雪さんは言うけれど、本当にすごいのは合宿に選ばれたメンバーだ。おれがコート上で考えられる情報量は、まだそんなに多くない。

「翔陽くん、生き生きしてるね」
「そう、ですか?」
「うん。この前と全然違うよ。いい経験になったんだね」

 今度はいつもみたいにフワリと笑ってくれた。やっぱりこの笑顔を見ると、つられて嬉しくなる。
 このあいだ雪さんに話を聞いてもらったときも、いきなり言って困らせたかもしれないけど、あの時間もおれには大切なものだった。視界が閉じていくような焦りの中で、雪さんの言葉はもっと先へ進めることを示してくれたから。

「雪さんのおかげです! あざッス!」
「ううん、私は何もしてないよ」
「そんなことないです。雪さんに励ましてもらえて嬉しかったッス!」
「そ、そう……」
「おれ、雪さんと話すの好きです」

 楽しくて、心地がよくて、でもちょっとドキドキもして。こんな風に嬉しくなるのも、好きだからなんだ。おれに力を与えてくれる、雪さんの優しさが。
 そう伝えたかったのに、雪さんが急に固まったから不安になった。暗くてちゃんとは見えないけど、機嫌がいいわけでも、悪いわけでもない。言うなれば“無”って感じの顔をしていた。

「雪さん……?」

 呼びかければ、雪さんがゆっくりと視線を合わせてくる。目の奥で、ゆらゆらと光が揺れていた。

「私も、好き」

 溜めが入ったから、何を言われるかと思った。けど、雪さんも同じ気持ちだと知ってホッとする。雪さんとはずっと仲間でいたいし、おれと話していて楽しいって思ってくれてるなら、こっちも嬉しかった。

「よ、よかったです」
「……話すだけ、じゃないよ」
「え?」
「私は、翔陽くんが好き」

 難しい暗号かなにかかと思った。“わたしはしょうようくんがすき”? これってもしかして、もしかすると告白というやつでは……? 雪さんが、おれに……?
 いやいや、落ち着け日向翔陽。おれが都合のいいように考えてる可能性もある。むしろ可能性大だ。だって相手は雪さんだぞ。高嶺の花? ってやつだぞ。

「ひ、人としてってことですよねッ? わ、分かってます。おれ――」

――ちゃんと理解してますから。
 そう続けようとした言葉は、雪さんの次の一言で遮られる。

「違う。私は翔陽くんを、男の人として好きなの」

 雪さんが動かす唇を目で追う。スローモーションに見えるのに、なぜか思考が追いついてこない。

「だから、翔陽くんさえよければ、私を彼女にしてほしい」

 とどめの一撃で、おれは完全に身動きが取れなくなった。だってこんなの、夢みたいだ。女子と付き合うなんてずっと先の話で、心の準備なんてできてない。ましてその相手が雪さんだなんて信じられなかった。
 けど目を見れば、これが本気なんだって分かる。雪さんはおれの彼女になりたいと言ってくれた。そしていま、その返事を待っている。

「お、おれ――」

 なんかもう、沸騰しそうだった。緊張で何を言えばいいのか分からない。手足は震えるし、腹も痛くなってきたし、まるで試合前みたいだ。
 そこでバレーのことが頭をよぎると、前に友達からされた質問を思い出した。

“部活と彼女だったら、どっち取る?”

 それまで頭にのぼっていた熱が、一気に引いていった。雪さんと付き合うことになったら、たぶん今までみたいな練習はできない。そう考えたら怖くなった。
 どっちも大事なことは変わらない。けど現実に選べるのは片方だけ。だとしたら、おれはバレーを捨てられない。せっかくつかみかけている新しい強さをここで失うなんて、そんなの……

「できない、です……」

 待っている視線に耐えきれなくて、とっさに下を向いた。それでも、目の前で雪さんが息をのむ気配が伝わってくる。
 呼吸するだけで胸がキリキリと痛かった。

「おれは、バレーが大事で……」

 だからって、雪さんが大事じゃないわけではないけど、バレーだけはどうしても譲れない。試合で負けないためには、今よりさらに力がいる。

「もっと、強くなりたいから……」

 小さな巨人も行った春高まで、あと少し。いま練習ができなくなったら、強くなれないままだ。そんなの、絶対に我慢できない。

「だから、付き合えないです」

 そこまで言って、おそるおそる顔を上げる。ほんの一瞬、見えてしまった雪さんの表情に、胸がヒヤリと冷たくなった。

「そう、だよね。ごめんね、急にこんなこと……」

 雪さんはそのあとすぐに笑ってくれたけど、おれはずっと、さっきの一瞬が頭にチラついていた。傷つけたんだ。おれがした言い訳のすべてが、雪さんのことを。

「ごめんね、今のは忘れて。勝手に言い出しておいて申し訳ないけど」
「そんな。おれのほうこそ――」
「ううん。翔陽くんは悪くないの。私のほうこそ、本当にごめんなさい」

 雪さんこそ、何も悪くない。なのにさっきからずっと、謝ってばかりいた。暗がりの中で、雪さんの目がきらりと光る。さっき見せたものとは比べられないほど、心臓に悪い光だった。

「雪さ――」
「ごめん、バス来たからもう行くね」

 くるりと背を向けられる。ちょうどバスが道の向こう側から現れたところだった。
 何か、言わないと。そう思うのに言葉が出てこない。謝ったところで、雪さんの望みを叶えてあげられるわけじゃないと思うと、何も言えなくなった。

「春高、頑張ってね」

 振り向くこともなく、雪さんはそう言い残して行ってしまった。
 バスのドアが閉められると、急に不安な気持ちがやってくる。もしかして、これが最後なのだろうか。さっきのが、雪さんと一緒にいられた最後の時間だったのだろうか。

「おれ、ほんとは――」

――雪さんのこと、好きでした。
 言われてから気づくなんて遅いけど、雪さんに告白されてすげえ嬉しかったんだ。おれだって、雪さんの彼氏になりたいと思った。
 でもそれは、バレーを諦めてまで望むことじゃない。
 おれ、自分のことばっかだ。雪さんがどんな想いで言ってくれたかなんて考えないまま、自分のしたいことを優先させた。
 出てきた涙をゴシゴシと拭う。雪さんを泣かせておいて、おれが悲しむなんて勝手が許されるわけないと言い聞かせて。
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