Bakubomb

□You mean so much to me
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 平熱に戻ったスピカは、日課を再開できるまでに体力を回復させた。ベッドの上で目が覚めた彼女は、どうやってそこまで辿り着けたか覚えていなかったが、シリウスが占拠していた寝床を明け渡したことにはかなり驚いていた。無慈悲だとばかり思っていたが、情けをかけられる良心が彼にもあったということだろうか。
 しかし、元はといえば彼がベッドを奪わなければ倒れることもなかったのだと思うと素直には喜べない。ぞんざいな扱いをしたかと思えば手を差し伸べてきたりと、彼の奇行はスピカを混乱させていた。
 朝日を浴び、虹に照らされ、夕闇に浸って、星空を謳う。決まって流れていた時間は、彼の登場と共にあっけなく変えられてしまった。ひとりで過ごしたあの日々が懐かしい。そこには嫌味を唱える彼も、庭園を跋扈する兵たちも存在しない。変に腹を立てることも、怯えることもない穏やかな日常だ。
 スピカは戻りたいはずだった。それなのに、シリウスが傍からいなくなってしまうと想像するとどうしようもなく胸が騒いだ。孤独を恐れていたのかもしれない。横暴を具現化したような彼でも、いないよりはマシということなのだろうか。
 そんな彼は昨日目覚めたときからどうもよそよそしく、あまり口を利いてくれなくなった。よもや寝床を一回取られたくらいで腹を立てているのだろうか。それを言うなら彼女のほうが怒って然るべきだろう。元々あのベッドは彼女のものなのだから。
 少しぎこちない空気を感じてはいたものの、時間は着実に流れていく。周りを包む空もふたりの雰囲気に左右されることなく暗闇へと変化していった。上空には今日も満天の星が散りばめられている。

「今宵は新月ね」

 星の光が際立つ空を見上げてスピカは呟いた。隣にいたシリウスもそれに倣うように星を仰ぐ。縹色の瞳が煌めく星たちを映していた。

「あまり星空を見上げたことはなかったな」
「そうなの? こんなに綺麗なのに」
「おそらく、自分の名前を思い出すからだろう」

 その返答にスピカは首を傾げた。
 彼の名は空に浮かぶオオイヌの口に座した星と同じだった。焼き焦がすという意味を持つその星は、無数に散りばめられた他の星々を脇役にしてしまえるほどに強く輝いている。

「誉れな名前だと思うけど? ふさわしいかどうかは別として」
「フン、十分だろう。……だが私でも、昔はこの名に恥じぬよう苦心したものさ」
「自信家のくせに」
「君は、治ったと思えば減らず口ばかりだな」

 シリウスは呆れたようにスピカを見たので、彼女はふいとそっぽを向いた。しかしやっといつもの調子が戻ってきたからか、彼女はシリウスに顔を背けてこっそり笑顔を浮かべている。
 それからすぐに表情を消して向き直ると、彼女は冷ややかに訊ねた。

「じゃあ昔は違ったと言うの?」
「長男として生まれた私は、一等星の名を付けられるほどに両親の期待も大きくてね。常に優れていなければならないというプレッシャーも強かった」
「へぇ……」
「失望されまいと私も必死で戦闘の訓練や勉学に時間を費やしたが……、虚しくも両親と弟妹を救えないまま自分だけが生き延びた。結局、私は彼らを失望させてしまったのだよ」
「…………」
「仮に両親からの期待が私に向けられていなかったら、運命は変わっていたのかもしれない。もっとも、一等星でない私に価値などないだろうがな」

 シリウスは星空を見上げたまま自嘲気味に溢した。その横顔をスピカは黙って見つめている。いつも高慢で鼻につく物言いをする彼だが、今は頭上に輝く星空を通して失った家族を見ているのだろうかと思うと少しだけ胸が痛んだ。人を見くだして他者を寄せつけないその態度も、もしかしたら孤独の裏返しなのかもしれない。

「夜空には数え切れない星が存在するけれど、ひとつひとつにきちんと名前があるのよ。明るくても暗くてもね」
「……だから何だというんだ」
「貴方の輝きが淡かったとしても、見つけてくれる人はいると思うわ」

 スピカの言葉にシリウスは見上げていた目線を隣へ戻す。彼女の表情には侮蔑も憐憫も浮かんではおらず、ただ静かに彼の視線を受け止めていた。
 シリウスは少しの間、彼女の顔をじっと見ていたが、やがて鼻で笑うと嘲るような笑みを浮かべる。

「さすがは司祭様のご高説だ」
「……ほんと貴方って皮肉しか言えないのね」

 せっかく励ましてやったというのに茶化されたので、スピカは悔しそうに目をすがめた。忘れていたが“現在の”彼は自信家なのだ。
 まったく付き合ってられないと溜息を吐いてると、突然視界が影で覆われる。見上げると、すぐ近くにシリウスの顔があった。

「なっ、何……?」
「もし私が強く輝けなくても、君は見つけてくれるのか?」

 囁くように紡がれた問いかけにスピカは目を見開いた。まるでそれは、見つけてほしいと言われているようだったからだ。
 シリウスは、彼女が意図しない場面でするりと懐に潜り込む。今だって彼はからかっているだけに違いないのに、それに振り回されて胸を騒がせていることが恨めしい。
 うるさくなる鼓動を落ち着けてスピカは冷静を装うと、その手は食わないとばかりに言い返した。

「さあ、どうかしらね」
「フッ、たしかに……。君に星を見極めさせるのは難しいかもな」
「何よそれ。馬鹿にしてるの?」
「だが、シリウスほどの明るい星なら君にも見つけられるだろう? やはり私は一等星以下に価値を感じない」

 そう言って勝気な笑みを浮かべたシリウスに、スピカは今度こそ何も言えなくなった。またいつもの冷やかしに決まっているのに、本気にとらえてしまいそうになる。
 見下ろしてくる縹色の瞳に自身の姿が映ると、慌てて目を逸らした。落ち着けたはずの鼓動は再びうるさく高鳴っている。
 スピカは耐え切れなくなって一歩後ろに下がると、そのまま踵を返した。

「どこへ行く」
「もう寝るのよ。貴方も早く休んだら?」
「まさかまた広間で寝る気か?」
「そのまさかよ。誰かさんに私のベッドを取られたからね」

 皮肉たっぷりに言い返してスピカはさっさと歩き出そうとする。しかしシリウスが彼女の腕を掴んだので、それ以上進むことはできなかった。

「ちょっと何するのっ……」
「きちんと布団で寝たまえ。また倒れられたら敵わない」
「えっ、ベッド返してくれるの?」
「ああ」

 思いがけない申し出にスピカは目を瞬かせた。少しは心を入れ替えたのか知れないが、返してもらえるならそれに越したことはない。
 しかし、この宮殿にベッドはひとつだけ。彼はどこで寝るというのだろうか。

「貴方はどこで寝るのよ」
「無論、君の隣だ」
「はぁ!?」
「フン、地べたなんかで寝られるわけないだろう」
「どの口が言うのよ!? わたしにはそうさせたくせに……!」
「つべこべ言わずついてきたまえ」

 異論は認めないとでも言うように、シリウスは掴んでいたスピカの腕を引っ張って寝室へ連れていった。
 部屋につくと彼はその腕を解放し、早々に着けていたマントをはずして壁の鴨居に掛けている。
 連れてこられたスピカは、入口に立ち尽くしたまま彼の動作を落ち着きなく見ていた。

「ねぇ、本気……?」
「それ以外に方法がないだろう。……まさかとは思うが、変な気を起こしてるんじゃないだろうな?」
「ばっ、馬鹿言わないでよっ!」
「フン、少しは期待すれば可愛げがあるものを」
「誰が貴方になんかっ! そっちこそ変な気を起こしたら許さないから!」
「安心したまえ。抱くのは淑女だけと決めている」
「ほんっと腹立つ!!」

 憤懣やる方ないスピカは、拳を震わせてシリウスを睨みつけた。安心させるにしても、もっと他に言い方があるだろう。貞操の危機がないとはいえ、憎たらしい相手と同衾するなんて気が進まない。これなら広間の冷たい床のほうがまだマシだ。

「やっぱり広間で寝る」
「二度同じことを言わせないでくれないか。早くこちらに来たまえ」

 縹色の瞳に光が差すと、スピカは声を詰まらせた。有無を言わせぬその眼差しに圧されて彼女は渋々ベッドに入ると、すでに床に就いていたシリウスに背を向ける。
 久しぶりの温かな肌心地は、大理石の床よりも格段に寝やすいはずだ。それなのに、眠気はいつまで経ってもやってこない。むしろ彼女はいつもより目が冴えてしまっていた。嫌でも意識は背中へ集中する。ひとり用のベッドだからか、他人の体温がやけに近く感じた。
 もうシリウスは寝ただろうか。こんな風に心をざわつかせるのはいつだって彼女のほうで、彼には関心など微塵もないのだ。そう思うとスピカの胸はズキリと痛んだ。同時にとても悔しくて、もう割り切って寝てしまおうと無理やり目を瞑る。
 しかし、突如背中に感じた異変によって再び目を開けた。頭に感じる微かな振動。それで髪を梳かれていることにスピカは気付いた。たまたま手が掠めただけかと思ったが、それにしては振動が長く続く。痛くはない。むしろ、少しこそばゆい。
 されるがままだった感触は、しばらくするとパタリと止んだ。今度こそ寝てくれただろうか。そう思ってスピカは恐る恐る寝返りを打つ。

「……起きてたの?」
「……君のほうこそ」

 後ろを向いたスピカはシリウスとばっちり目が合ってしまった。そして気まずい沈黙が訪れる。
 彼女は、いま髪を触っていたことを問い質したかったが、勇気が出ずに口をつぐんだ。それを問うてしまえば、その先の理由まで聞くことになってしまいそうだったからだ。
 あくまでも彼女は自身に品格が備わっていると自負していたが、先ほど彼から男女の関係をもつ気など更々ないと暗に言われたばかりなのだ。たとえ理由を聞いたところで、嫌味な回答を聞くことになるに決まっている。
 けれど、もしそれが考えられるもうひとつの答えだったとしたら……。そう思うとスピカは、どうしたらいいかわからずに何も言えなくなってしまったのだ。
 悩んでいた彼女だが、目の前のシリウスはさっさと寝返りを打って背を向けてしまう。

「早く寝たまえ。また寝過ごす気か」
「言われなくても寝るわよっ」

 目の前の背中を睨みつけてスピカも寝返りを打つと目を瞑る。
 結局、危惧していたような事態に発展することはなく翌朝を迎えたのだった。
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