マギ

□*珈琲には甘いお砂糖を
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朝から止まない雨の所為で雲もどんより濁る昼下がりだが、女の子二人の秘密のお茶会はお花が散らんばかりに盛り上がっていた。

『それでですね、白瑛様。
私とうとう恋、と言うものに落ちてしまったみたいなんです…。』

「こっ、恋?!」

まさに大袈裟、と言う言葉が相応しいように、彼女は予想以上の驚きを示した。
彼女に恋の相談をすのは少し違うかも知れないが、悲しいかな私の信頼できる女の子は彼女位しか居ないのだ。

「ごめんなさい、取り乱しちゃった…
それで、だだだ誰に恋しちゃったの?!」

『白瑛様、一度落ち着き下さい。
それが、恥ずかしながら紅覇様に…。
いえ、分かっています。余りにも身の丈に合わない事は重々承知し「そんな事関係無いわ!!!」

急に大きな声を張り上げる彼女。
余りの迫力に後ろに仰け反ってしまう。

「あ、あらごめんなさい、気持ちが高揚しちゃて…
でもね、恋に身分なんて無いわ!
いいじゃない、貴方と紅覇殿、とってもお似合い!」

彼女の熱い激励が、その場凌ぎの慰めと知っていても不覚にも嬉しくなってしまう。

『あ、ありがとうございます…。』

「…所で、恋ってどんな感じ?」

『…白瑛様、初恋はまだしておられないのですか…?』

「ばれちゃった…
…何だかこれ!って方が居なくて。」

言われてみれば、この方に恋愛と言う観念は無さそうだ。

「私、胸がドキドキするとか、緊張しちゃうとか、そう言うのは聞いた事あるんだけど、もっとこう、何ともう少し分かりやすい例えが聞きたいの。
ねえ、恋ってどんな感じ?」

目を輝かせて問いの答えを期待している彼女には悪いが、生憎私にはどう説明すれば良いのか分からない。きっと落ちてしまわないと分からないだろう、言葉にするのと感じるにはとても大きな壁があるのだから。

『…これと言って良い例えが出て来ません、ごめんなさい。』

「あら、そうなの。残念…。」

そう言って彼女はテーブルの上の綺麗なお皿に盛られたお菓子に手を伸ばす。
お菓子…何だか大切な事を忘れている気がする。お菓子…おか…

ー「西の国から甘いお菓子を沢山送って貰ったから、お昼の後直ぐに僕の部屋へおいで。絶対、忘れるんじゃないよ。」ー

『…ああああーーーーー!!!』

忘れていた。すっかり忘れていた。
紅覇様と約束していたんだった。
完全に、大遅刻だ。
紅覇様、今頃お怒りになっているに違いない、どうしよう。

「ちょっと、どうしたの急に!」

説明する時間も惜しく、どうまとめて話すべきか必死に頭を回転させて考える。

『あ、あう、えっと、その…
急な用事を思い出しました、会えたらまたいつか会いましょう。
ごめんなさーーーい!!!』

「…??」

全力疾走で彼の部屋に向かう。
大丈夫、白瑛様は後で謝ればきっと許してくださる筈だ。
今はただ、一刻も早く部屋に行くため走る事に集中する。



部屋に着くと彼に仕えている方が部屋の扉を開いてくれる。
紅覇様は今機嫌が悪いよ。
目がそう語っている。
ぺこりとお辞儀をして、
冷や汗で濡れた拳を握り部屋へ恐る恐るお邪魔した。

「…お、そ、い。
僕、お昼の後直ぐ来いって言ったよねえ。」

うわあめちゃくちゃ怒ってるじゃないですか…顔が笑ってない。

『すいません…その、仕事が長引いて…』

目を見られたら嘘とばれてしまいそうで怖くて下を向く。

「…ふぅん。まあいいや。
こっちおいで。お菓子食べよ?」

『…はい!』

良かった、今日はどうやら機嫌が良かったようだ。

お仕えの方が、綺麗なお皿に盛られた四角い形の茶色い固形を持って来てくれた。

「これこれ、すっごく美味しいんだ、食べてみなよ。」

『…これ、本当に食べられるのですか?』

疑ってかかるのは良くないが、食べ物には少し見えない。
何だか蝋の様に見えてしまう。

「失礼な、本当だよ。
信じないんなら僕がもーらいっ!」

そう言って一つを口に放り込み幸せそうな顔をする彼。
どうやら本当に美味しいようだ。

『い、いただきます。』

一つ口に運ぶ。するとどうだろう、
果物の甘みとも砂糖の甘みとも言えない絶妙な甘みが口いっぱいに広がる。
美味しい、大袈裟かもしれないが言葉では表現しきれない程美味しい。
今まで食べたお菓子の中で一番美味しい、と言っても過言では無い。

『…美味しい!』

「だろ?
甘い物好きのお前なら絶対喜ぶと思ってた。」

そう言って得意気に笑う彼にお菓子よりももっとずっと甘いものを感じる。
ああ、私は彼に恋に落ちてしまったんだな、とつくづく思う。

『これは、何と言うお菓子なのですか?』

「チョコレート、って言うんだよ。」

『チョコレート…チョコレート。ですね。ありがとうございます。』

チョコレート、チョコレート、
頭に刻み込み自分のものにするため何度も反復してそのお菓子の名前を思い出す。
この甘いお菓子は、チョコレート。
何て素敵な響き。
今度誰かが西の国へ行く時には是非頼まなくては。

「次は、これっ!」

次に彼が仕えの方に出させたのは、金細工のガラスに入ったこれまた茶色い液体。

「飲んでみなよ。
これはね、珈琲って言う飲み物だよ。」

これが珈琲、初お目に掛かります。
この茶色は安全な物だと、甘くて美味しい物だと判断した私の頭は、次にどんな甘みが来るのかと期待してその液体を飲んだ。

『…おえっ』

今女の子の口から出てはいけない音が出てしまった。
だってこれ、苦い。ものすごくにっっがい。吐き気すら催す程だ。
野菜より、熟れてない果物より、もっとずっと苦い。何なんだこれは。
珈琲、この言葉は私の中で完全に危険物になってしまった。

「ねえ、味はどう?」

私のさっきの反応を見ていたくせににやにやしながら感想を聞いて来る彼。
その瞬間理解出来た。
さっき怒りが直ぐに収まったのもこの悪戯のためだったか。
理解出来たと同時に自分は彼に大切にされて無いな、結局ただの遊び道具だ、という忘れたいような切ない思いが蘇る。
さっきまで彼の笑顔とチョコレートであんなに甘かった心は、今は珈琲の所為か、とても苦い。

『ものすっっっごく、苦いです!』

素直に思った事を口にする。

「はははっだよねえ!
お前の顔見て分かったよ。あー面白い。」

彼の笑顔が見れて少し傷も癒えたものの、ダメージは大きい。

チョコレート、甘い。
珈琲、すっごく苦い。
今日は色々勉強になったな、うん。
しかしあれだ、これらは何かに似ている。
えっと、あれだ、あれ。
さっきまで話していたでは無いか。思い出せ自分。
…恋!そうだ、恋だ。

恋はチョコレートより甘く、珈琲よりずっと苦い。
この例えなら、白瑛様も分かってくださるだろうか。

そんな事を考えて彼の方を見ると、よっぽど私の顔が可笑しかったのだろう、思い出し笑いをしている。

『…甘いなあ…。』

ただその一言に尽きる。
やっぱり私には貴方の笑顔が、チョコレートより何よりずっと甘い。

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