マギ
□*月に祈りを
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私が極端に灯りを嫌うものだから、ほんの悪戯のつもりで付けたのだろう。
ランプの灯りで私の胸元にある組織の紋章の刺青が鮮やかに浮かび上がる。それに気付き、一気に青ざめるターゲット。
『あー…。
だから灯りは付けないで、って言ったのに。
まあ、死んでもらう事に変わりは無いから良いんだけど。』
面白い位に手足を震わせるターゲットが助けを求める叫び声を上げようと空気を吸い込んだ瞬間、私のナイフはその心臓に突き刺さった。
これで仕事は大方終えた。
予想以上に早く片付いたものだ。
あとはこの宿を誰の目にも付かず抜ければ大丈夫。
顔に付いた血を雑に拭って、後片付けを始めた。
仕事が終わればここにいる必要も無い。後は休んで帰るのみだ。
しかしこんな仕事をしていてはそうそうこんな平和な国を観光出来はしない。
時間はまだ沢山あるのだ 、幸い服に返り血も着いていない事だし少し夜の街に繰り出してみよう。
*
何と言うか、治安が凄く落ち着いた、でも賑わいのある街だ。
周りを見渡しても怖そうな人も娼婦も見当たらない。
その所為でこっちが客を探している場違いな娼婦の様に見られて煙たがられたが。これではどうもばつが悪い。
こんな露出範囲の多い服でなくちゃんとしたのを買おう、そう思って周りを見渡していた時だった。
「いや本当に可愛い子達ばっかりなんだ。君も絶対に気に入るさ。」
「馬鹿言わないで下さい、シン。
私はそんなのには興味無いんです。」
あの声は…いや、そんな事あり得るだろうか?
ある訳無い、彼は死んだのだ。
そう組織に知らされたじゃないか。そうよ、きっと気のせい。
彼の事など忘れようと、そう決心したじゃないか。
大体、彼の幽霊でも居たと言うの?馬鹿馬鹿しい。
ただ彼の声に似た人だった、それだけよ、
口調だって全然違ったじゃない。
…絶対に気のせいに決まっている。でも、分かっていても確かめなければ気が済まない。
気付けば私は声のした方に人混みを掻き分けて進んでいた。
私の目の前には、いた、彼が。
後姿だけでも分かる。
身長が、髪が、何より雰囲気が、彼のそのものなのだ。
理解よりも先に体が動いた。
思わず肩を掴む。
知り合いだと思ったのか、ゆっくりした動きで振り返る。
警戒心丸出しだった昔の彼とは真反対だ。
私の顔を見て、目を見開く彼。
きっと思い出したのだろう。
『えっと、その…ジャーファル、よね…?』
「…」
「…何だ、知り合いかい。
邪魔したら悪いからね、俺は先に店に行っておくよ。」
只事ではない雰囲気に、一緒に居た男性はそう言って気まずそうに去って行った。
彼は言葉を返す余裕も無く、茫然としている。
本当は私だってそうしたい。
脳はとっくに理解容量を越えている。
『…えっと…』
「…何でお前がここに…?」
彼はよっぽど動揺しているらしく、目は見開かれたままだ。
『…ちょっと仕事で。』
「…まだやってるのか。」
『うん…』
まるで私の仕事を否定するかのような言い方に少し悲しくなる。
彼はもう足を洗ったのだろうか。
「…場所が悪い、移動しよう。」
『そうだね…。』
確かに、街中でするような話ではない。私は足早に進む彼の背中を嬉しいとも悲しいとも言えない心で追いかけた。
*
気まずい。
そもそも私達は恋人でも無ければ友達と呼べるような仲もでもない。ただ元同僚なだけだ。
現に今、彼も私も人気の無い休憩所の椅子に二人で腰を下ろしたきり何も会話していない。
本当は聞きたい事がたくさんあるのだ。でも何から聞けばいいのか分からない。
こんな時ばかりは人付き合いを怠って来た自分を殴りたくなる。
もしかしたら話し掛けたのは迷惑では無かったのか、そうだったらどうしようか…
『…あの、』
「…」
『急に呼び止めたりなんかして、ごめん…』
「別に…特に用事も無かった。」
『そ、そっか、良かった。
あの、一つ確かめていい?
貴方、本当にジャーファルよね…?』
「ああ…。」
分かり切った事だが、彼は幽霊ではなかった。
『その服装…もう足を洗ったの?』
「まあな。
…服装に関しては、お前も人の事を言える立場でもないと思うが。」
そう言われて始めて自分が極めて露出度の高い服を着ていた事を思い出す。
気付くと急に恥ずかしくなって来て、俯いてしまう。
『…その、仕事で…』
「…お前のターゲット、此処に滞在中の女子供を誘拐しては売り飛ばす組織の長だろ。」
ぴたりと当てられて、少し驚く。
それより彼は、シンドリアを此処、と呼んだ。
つまり彼は今シンドリアに住んでいるのだろう。
彼は本当に変わってしまったのだ。
『…うん、そう。娼婦のふりしてね。心臓一突きで片付いたよ。』
ほんの少し感じた虚しさなんておくびにも出さず、会話を続ける。
「…お前らしいな。
にしても、お前もそんな事をやるようになったんだな。」
『そんな事…?』
「娼婦のふり、とか…」
『ああ、そっちか。
一緒に仕事してた時から結構経ったじゃん、成長したんだよ。
今じゃ、ターゲットに本気で求婚されたりすんの、可笑しいよね。』
「…そうか。」
『うん。』
「…」
ジャーファルよどうしてここで黙る。そこはえーお前がー?ありえなーいみたいな流れに持って行く所でしょうが!
沈黙が気まずくて会話を無理矢理引き繋ぐ。
『そんでさ、今回のターゲットがさ、明かり付けるなって言うのに付けちゃって。ほら、私の胸元に組織の紋章の刺青あるじゃない。 あれ見て真っ青になっちゃってさ、本当可笑しかった。』
「…大人になったんだな。」
彼はさっきの私の言葉で私が殺しのために身体を使う事を覚えたことを察したのだろう。
何とも言えないような表情でそうぽつりと呟いた。
「…にしても、助かった。
俺の所でもあいつを捕まえる予定だった。」
俺の所…彼は今何かの組織にいるようだ。殺しをするような物騒な所ではないようだが。
だとすると、何の組織だろう、
さっきの人は仕事の同僚であろうか…そこまで考えて、さっき彼の隣に居た人物がシンドリアの国王に酷似していた事を思い出す。
もう、考えるのはよそう。
彼がどんな組織に居るのかは大体見当が付いた。
『…本当に変わったんだね、ジャーファル。』
彼には皮肉に聞こえたかもしれないが、こんな言葉しか私の口からは出なかった。
「ああ、俺はもうあそこに居た事は忘れる事にしてる。」
迷いの無い目で彼はそう宣言した。
あの世でもいい、もしもう一度彼に会えたならあの時言えなかった思いを伝えよう。
彼が死んだと聞いた時決めたその決意は、その一言で歪んで崩れてしまった。
この気持ちはしまっておこう、彼を困らせなくはない。
彼が無事に生きていると知る事が出来ただけでもう充分だ。
『…そっか。じゃあ、私そろそろ行くね。もう本当に、二度と会えないね。
…さよなら、ジャーファル。』
椅子から立ち上がり、一言だけ別れの挨拶をした。
「…」
胸は悲しい気持ちに占領されているが、同時に嬉しくもあった。
だって、彼の命が危険に晒される事はもう無いのだから。
彼は光の当たった人生を歩めているのだから。
涙が今にも零れ落ちそうな瞳に気付かれたくなくて、彼とは逆の方を向いて足を一歩踏み出そうとしたその時、腕を掴まれた。
「…忘れようとした、忘れるつもりだった。なのに…」
私の腕を掴む彼の腕は震えている。
下を向いているため表情は見えない。
いつも間にか涙は瞳の奥に引っ込んでいた。
「…ふとした瞬間、お前の表情を思い出す…お前の無理して笑った顔が、怪我した時の辛そうな顔が、俺が負傷して帰った時泣きそうになりながら看病してた時の顔が、いつも脳裏に浮かんで来る…」
『…』
「あそこを抜けた時からずっと、お前がいつか殺しに失敗して殺されるんじゃないかって、そう考えると怖くて怖くて仕方無かった…」
『ジャーファル…』
子供の様に泣きそうな顔の彼がいたたまれなくなって思わず抱き締める。
『…ねえ、ジャーファル、そんな事思い出さないで。
貴方の中に私はもう居ないの、貴方があそこに居た時の記憶と一緒に無くなったの。
もう私の事も組織の事も、辛い事は忘れていいから…』
「…」
髪留めに毒針を仕込んで置いて良かった。
かなり強力な毒が塗ってある、次に目が覚めた時は私と会った記憶は綺麗に抜け落ちている事だろう。
彼に見えないようにそっとそれを髪から抜き取り彼の首筋に突き立てる。
彼は一瞬びくっと跳ねた途端、私を突き放した。
「っ…何をした…」
『…ごめんね、少し眠ってもらうから。
貴方はもう、後ろを振り返ってはいけないの。
お休みなさい、ジャーファル。』
彼は朦朧とする意識の中で私の言葉を聞き取ったのか、
「…俺、はそれ、でも…」
そこまで言って深い眠りに落ちてしまった。
彼をここに置いたままで大丈夫だろうか、
おそらく問題無いだろう。
ここの気候は暖かい。暑過ぎる程に。
彼の頬にそっとキスをする。
彼に初めてキスしたのが私だったらいいな、なんて思いながら。
もう後には振り返らない。
彼は彼の道を、私は私の道を歩むだけなのだ。
平行線の様に、もう二度と交わらない。
そろそろ行こう、夜が明けるまでにこの国を出たい。
真っ直ぐ帰ればきっと間に合うはずだ。
これからは私は夜空に毎晩、どうか彼の魂が救われて天国に行けますように。
なんてお祈りをしなくてよくなったのだ。
どうか貴方の行く道がこれからも温かでありますように。
これからは、こう祈るべきかもしれない。
私の真上にあるきらきらのお月様を見上げてそう祈った。