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□ラブユー、ステルス。
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『どうしても治してほしい人がいる』
昔馴染みどころかかつて共に死線をくぐった元上官のエルヴィンにそう頭を下げられて断れる筈もなく。
舌打ちと一緒にOKの返事を返してしまった。
患者の名前はまだ伝えられていないが患者の状態が書かれた書類を渡されて。
しかし、その書類に並ぶ病名の多さに溜め息が溢れる。
(解離性同一性障害に双極性障害……パニック障害に自傷もか……)
かなり病んでるな。
しかもその書類の最後の方に、そいつは大層な死にたがりらしく、何かとすぐ暴れるため取り押さえる必要があって、力仕事になるかもと書いてあった。
かなりどころじゃない。相当病んでるなこいつ。
精神科医になっておいて言うのもなんだが俺はあまりこういった病んだだの患っただのが苦手だ。
特に自傷は見てられない。
二千年前に生き別れた恋人を思い出して胸がズキリと痛む。
……まぁ、そこまで追い詰められた人達を助けたくてこの仕事を選んだが。
エルヴィンから受け取った書類をもう一度読んで深い、深い溜め息を吐く。
「エレン……」
昔からずっと、今でもずっと想い続けている二千年前の恋人の名前をポツリと口にして薄暗くなり始めた自室で静かに目を閉じた。
「今回の件、引き受けてくれて本当に嬉しいよ」
隣を歩くエルヴィンはひどく上機嫌で気持ちが悪いぐらいだ。
今日からこの、エルヴィンが経営する病院で勤務することになり段ボールに荷物を詰めて、昨日まで働いていた大学病院からこの病院に異動した。
与えられた執務室は広くはないが日当たりがよく、寝泊まり出来るようベッドも置いてあった。
この仕事を引き受けることになったのはいいが、患者の精神状態がひどく不安定なためしばらくは家に帰れないと思え、と初めにエルヴィンに言われて眉間にシワを寄せた。
エルヴィンさえお手上げの患者だ。
どんなやつか気になる。
患者に俺の紹介をすると、そいつの病室に向かう途中好奇心から、聞いてみた。
「おい、エルヴィン。俺の患者はどんな奴なんだ?そろそろ名前ぐらい教えろ」
するとエルヴィンは目を細めて。
「悪い人ではないな。名前は本人から聞いてくれ」
なぜそこまで頑ななのか。
軽く首をかしげて考えているといつの間にか病室の前について。
廊下の突き当たりにある一人部屋だった。
エルヴィンはその部屋のドアを控え目にコンコン、と二回ノックして声をかける。
「エルヴィンだ。君の担当医になる人を連れてきた。開けてもいいか?」
すると中から顔を見なくても分かるほど怯えた、震える小さな声で返事が返ってきて。
「ど、どうぞ……」
その言葉を聞いてからエルヴィンはゆっくりドアを開けた。
窓が開いてるのかサァッ、と優しい風が廊下まで吹き抜けて。
あまりの部屋の明るさに一瞬目を閉じて次にゆっくり、その光に馴らすように目を開く。
八畳ほどの病室には部屋と同じく真っ白なベッドとタンス、白い花瓶には暖色系の綺麗な花、風に揺れるカーテンも白くて。
そんな白の世界に、ぽつんとベッドの上で体を起こして不安そうにこちらを見る青年が一人。
窓から流れ込む風にゆらゆらとなびく髪はチョコレートのような茶髪で。
こぼれ落ちそうな大きな瞳は濡れて輝いて、ハチミツのような綺麗な金色をしていた。
俺は思わず息をするのも忘れてそいつを見つめる。
お前ー…………。
「あ、ぁ…えっと……オレ……」
焦ったように言葉にならない声を紡ぐそいつは今にも泣きそうで。
そんな青年の背中を撫でてエルヴィンは優しく言う。
「落ち着いて。この人はいい人だから。ほら、名前を教えてあげよう?」
青年は忙しなく目をキョロキョロと動かして、一瞬だけ目が合ったとき。
「え、エレン……で、す……」
掛け布団を握りしめて小さな、本当に聞き取るのもやっとの小さな声でエレンはそう言った。
エレン……。
目を見開いて固まる俺にエルヴィンが視線を寄越してはっと我に返る。
「今日からお前の担当医になるリヴァイだ。………よろしくな」
なるべく怖がらせないように優しく言ったつもりだが、俺の声を聞いてビクリと跳ねる細い肩を見て、どうしようもなく悲しくなった。
(前世の記憶はー……無いみたいだな…)
目をすがめると強張る顔。
そんな顔をさせたい訳じゃない。
でも、目の前にいるエレンに笑いかけるにはこの現実はつらすぎて。
「……リヴァイ。顔が怖いぞ」
遠慮がちにエルヴィンに指摘されあわててエレンから視線を外す。
どうすればいいんだ……。
この状況についていけなくて頭を抱えたくなる。
そして何を思ったのかエルヴィンはスッとエレンから離れて。
「あっ……」
エレンの戸惑う声が殺風景な病室に響く。
そんなエレンをあやすように優しく笑って、
「では、私はこれから会議があるから失礼するよ。エレン、何かあったらいつも通りナースコールを押してくれ。リヴァイ、エレンを頼んだぞ」
そう言ってエルヴィンは病室を出ていって。
「「………………………………」」
何をすればいいんだ…?
とりあえず…会話でもすればいいのだろうか…。
「エレン」
名前を呼べば泣きそうな顔でこちらを見る。掛け布団を握っている手は白く、細くて震えていた。
「そこ、座ってもいいか?」
なるべく近くに居たくてベッドの横に置いてあるイスを指差すとエレンは固まって。
大きな瞳には涙を溜めていた。
「……無理ならいいんだ。俺はお前を泣かせたい訳じゃない」
一言一言確かめるようにゆっくり告げれば少し安心したのか体から力が抜けていく。
……今すぐ触れたい。
その髪を撫でて、その細い体を抱きしめて、今までの二千年分の想いを込めてキスをして…。
なんて、現状では無理なのは火を見るより明らかで。
こいつ書類に書いてなかったけど絶対対人恐怖症だ。
そう思ってこれからどうするか考える。
まずは治療より先に俺に馴れてもらわなければ困る。
そんな結果にたどり着いて、早速だがコミュニケーションをとろうと一定の距離を保ったまま話し掛けてみた。
「エレン。俺とお前は初めましてだからな。いくつか質問してもいいか?」
首をかしげて聞くと戸惑ったように部屋を泳ぐ視線。
それから少しして返ってくる怯えたような、はい…。という返事。
俺は眉間にシワが寄らないように気を付けて口を開く。
「お前は何歳だ?」
するとうつむいたエレンの口から紡がれるか細い声。
「18…です……」
掛け布団を握りしめる、震えるその手を握ってやりたいが近付くこともままならない。
何とも歯痒い。
白衣のポケットに突っ込んだ手を爪が食い込む程強く握って。
また、口を開こうとしたとき。
「エレーン!元気にしてるー?」
そんな大きな声を響かせて突然ドアを開けて入ってきた奴がいて。
反射的にバッと振り向いて声の主を見て、瞳孔が開くのが分かった。
「お前、」
「うぉお!うっそ!久し振り!!」
奴はそう言って俺に抱き付く。
「うわぁ〜!リヴァイ、相変わらずちっちゃい〜!え、何々、何でいるの!?」
俺は遠慮なくぎゅうぎゅうと抱き付いてくるそいつの背中をドンドンと叩いて。
「苦しい!離せ、ハンジ!」
思わず声を荒げてからはっとしてエレンを振り返ると、彼は目をうるうるさせて泣き出す一歩手前。
そんなエレンに俺から離れたハンジはスタスタと近付いて。
エレンの柔らかそうな髪をわしゃわしゃと撫でて。
「エレンは泣き虫だなー。男だろー?」
「なっ、泣いてませんっ」
「嘘だーぁ!」
「嘘じゃないです!」
そう言うエレンはいつの間にか涙が引っ込んでいて。
それを確認してからハンジは俺を振り返ってニカッと笑って。
「私はここの外科で働いてるんだ。リヴァイは?」
「俺は今日からエレンの担当医だ」
「何科?」
「精神科」
「あぁ、なるほど。てかwwリヴァイが精神科医ってwwウケるwwwwぶっふぉwwww」
このクソメガネしばいてやろうか。
静かに拳を構えたとき、エレンがハンジの白衣をちょんちょん、と引っ張って。
「あの、ハンジさんの知り合い…ですか……?」
恐る恐ると言ったように聞くエレン。
それにハンジはニコッと笑って。
「知り合いなんて他人行儀なもんじゃないよ!何だろう、仲間?うーん…昔馴染みってか…あ、親友かな!!」
それを聞いてエレンはあからさまに安心したように、ふにゃりと控え目に笑った。
っ……初めて見た……エレンの笑った顔。
思わず息を呑むとハンジは何かを察したのかヘラヘラと笑って。
「エレン、この人はすっっっごくいい人なんだよ!だって私の親友だよ?怖くないってー」
そしてポンポンとエレンの頭を撫でる。
ハンジのくせにエレンに触りやがって…。
それでも眉間にシワが寄りそうになるのを必死で抑える。
ふと、エレンを見ると今まで目も合わせないようにしてたのに、ちゃんと真っ直ぐ俺を見ていて。
「あの、えっと、せ、先生…」
「名前でいい」
先生なんて呼ばれる程のものじゃないしな。
真顔でそう言えば慌てた様子で言い直す。
「あ、えっと、り、ヴァイ…さん…」
「何だ」
努めて優しく返すと、最初と違って警戒心も怯えも消えた瞳が俺を捉えていて。
「ハンジさんの親友、なんですね、……あの、これから…よろしくお願い、しま、す…」
なんもと頼りなさげな声で言われて思わず抱きしめたくなる衝動を全力で抑えて。
「あぁ。……一緒に頑張ろうな」
少しだけ笑ってそう言うとエレンはふにゃっと目を細めて笑って。
また来る。
と、一言言ってニヤニヤ笑うハンジを引きずって病室を後にした。