月の沈む刹那の間に 〜短編〜

□天高く想いは巡る 3
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面白くない噂が流れている。

土井先生と名前さんが良い仲になっている、というのである。

事の真相は定かではないが、これが本当であれば自分にとっては由々しき事態である。

土井先生とは付き合いも長く、尊敬もしているが、それとこれとは別である。
名前さんという存在は、自分にとって大切にしたい唯一人の女性である。
だからこの気持ちに嘘をつく気も、ましてや譲る気は毛頭ない。


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天高い秋の空。
爽やかな風が駆け抜ける昼下がり、吉野先生の言い付けで名前は町まで備品の調達に来ていた。

「え〜と、筆が10本に、硯が3つと・・・」

忘れないように書いてきた帳面を取り出し、確認しながら歩いていたせいか、そぞろ歩きで今にも往来を行く人にぶつかりそうである。
案の定、ぶつかりそうになった、その時、ふいに二の腕辺りを掴まれて後ろへと引き寄せられた。
驚きながらも振り返ると、そこにいたのは利吉であった。

「利吉さん!」

忍装束ではなく、町人の格好をしているがスラリとした手足と端正な面持ちが一目をひく。
行き交う女達の視線は利吉に集まり、この辺りだけが夏を取り戻したかのような熱気を帯びている。

名前は、そんな周りの気配にも気付かずに、ただ偶然にも行き合う事が出来た驚きと嬉しさで顔を綻ばせていた。

「偶然ですね!お仕事の帰りですか?」

偶然ではない。
昨日の夕刻、父の元へ行く際に名前が備品の買い付けを頼まれているのを聞いたのである。
話しを聞いたのは偶々だが、今ここでこうして会ったのは計った事である。

「はい。それより名前さん、しっかり前を向いて歩かなければ人通りも多い事ですし、危ないですよ? 」

少し恥ずかしそうに赤くなり、小さな声ですみませんと言う姿も、利吉にとってはこの上なく可愛らしく映るのだ。

「ところで何か用事ですか? 」

利吉は、内容を承知してはいたが 名前との時間を得たいが為に知らないふりをした。

「え、と、吉野先生に学園の備品の買い付けを頼まれまして」

「そうなんですか、仕事も調度終わりましたし、良かったら荷物係りになりますが」

爽やかな笑顔の利吉に、 名前は断るのも申し訳ない気がした。
それに実の所、壺などのかさ張る物まで頼まれており、一人で持ち帰られるか不安もあったのだ。本当であれば、同じく事務員の小松田秀作も一緒に来るはずだったのだが、今朝、掃除の際に足を挫いてしまい、結局、 名前一人で行く事になってしまったのである。

「助かります。お願いしても良いですか?」
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