龍が如く維新夢
□法度
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「邪魔をしてすまなかったな…頭に血が上ってしまったようだ」
「井上……」
池田屋にて、長州からの間者であった松原が粛清された
その斬殺された松原の死体の傍で…身体を微かに震わす…まだ幼さの残る少女がいた
名を、名前…普段は新撰組幹部達のありとあらゆる雑用を仕事としている少女だ
少女が怯える理由は只ひとつ
この少女もまた、松原と共に新撰組に潜入した…
長州からの間者だからに他ならない
ー法度ー
「よーし、じゃ、そろそろ帰るとすっか」
「待て」
原田左之助の言葉を、副長の土方歳三が間髪いれず止める。
名前はこの場から逃れられる左之助の有難い言葉を聞いて、早速部屋から出ようとした足を止めざるを得なかった。
ゆっくり…名前が部屋の奥にいる土方を振り返ると…そこには名前を鋭い視線で見据える土方がいた。
血の気が引くとは…この事だろう
「もう一人…この中に長州の間者がいる」
土方が低く呟くと…土方の視線を追った他の幹部達の視線が…自然と名前へと集中した。
「歳ちゃん…まさか…名前ちゃんが間者とか言わへんやろな?」
「……そうだと言ったら?」
土方の淡々とした言葉と態度に、沖田はぽかんと口を開けた。
沖田は名前を妹のように可愛がっていた為、信じられないのだろう。
名前を可愛がっていたのは、他の古参幹部達も同じだった。
「監察の山崎が言うんだ、間違いはないだろう、証拠もある」
「……え」
土方は名前にゆっくり近付くと、力任せに名前の着物の半衿を掴み引っ張る。
引っ張られた事で着物が乱れ、名前の鎖骨が大胆に露出した。
当然名前は土方の手を掴み抵抗するが、細身の少女が土方の力に敵う筈がない。
「やめて…!やめてください!」
肩が出る程に開かれた名前の胸元から白い紙が見え…それを抜き出し土方は床に放った。
それは…手紙か何かのように見えた。
「これは……長州への報告書か」
井上が紙を拾い上げ中を見ると、新撰組の事について内密に書かれた報告書だった。
土方は露出した胸元を押さえて怯える名前を、部屋の真ん中へ突き出す。
「山崎の言った通りだな、見つかるのを恐れて着物の中に隠していたのだろう?…それが仇になったな、名前君」
「…………っ」
“逃げるなら今しかない”
そう本能で感じた名前はなり振り構わず閉められている襖へと走り出した。
呼び止める声が誰のものかもわからない程…今の名前は切羽詰まっていた。
「おっとぉ、どこ行く気だよ」
「きゃ!?」
出口の傍にいた左之助が、名前の前に立ちはだかる。
それならと、他の襖から出ようとする名前だったが…それぞれ近くにいた武田、藤堂に止められた。
「逃がさへんでぇ」
「………………」
にやりと笑う武田に対し、藤堂は複雑そうに名前を見つめる。
その顔は…ひどく悲しそうに見えた。
「さて……斎藤君、今度こそ証明してもらおうか」
「土方…本気で言ってるのか?」
「無論だが」
「……………」
淡々と刀を差し出してくる土方を、龍馬は怒りにも似た眼差しで見据えた。
この男には…感情がないのだろうか?
「土方…名前だぞ?」
「…ああ」
「あんた…よくそんな事が平気で言えるな」
「法度に例外はない、誰であろうと…裏切りは死だ」
「……………」
それはわかっている、山南も…松原も法度によって殺された。
しかし…わかってはいても、龍馬はどうしても刀を取れなかった。
女子供という以前に、名前を殺すなんて事は龍馬にはできない。
まったく刀を受け取る気配のない龍馬に土方は小さく溜息をつくと、武田に腕を掴まれ捕らえられている名前に近付き刀を振り上げる。
「もういい、私が殺す」
「土方!!」
龍馬の止めに入る手より土方の刀を振り下ろす手が若干早く、土方の手は龍馬の手をすり抜け刀は名前へと振り下ろされた。
「………っ!!」
「うぐっ!」
名前は咄嗟に自分を捕らえている武田の手に噛み付き武田から逃れ、刀を避けようとした。
しかし……
「きゃあぁぁ!!」
土方の刀さばきを名前が避ける事など容易ではなく…
土方の刀が肩から腕の側面を傷付け皮と着物が斬り落とされ…名前の柔肌を赤く染めた。
痛みと避けた勢いで名前は床に倒れ蹲り、名前の血が畳を赤く染める。
「名前!」
「名前ちゃん!」
龍馬と沖田は名前の元へ駆け寄ろうとしたが…龍馬は藤堂に、沖田は井上にそれぞれ道を塞がれた。
「どけ藤堂!」
「斎藤さん…これが…新撰組の掟なんです」
「源さん何でや!名前ちゃんが死んでもええんか!?」
「……間者だったならば、致し方あるまい」
龍馬と沖田には、藤堂と井上が必死に感情を押し殺しているように見えて仕方なかった。
藤堂と井上の光りのない黒眼は…冷酷な新撰組幹部としての目なのか、それとも可愛がっていた少女をもうすぐ失うという悲しみの目なのか、それは本人にしか分からない。
「うぅ……っ!」
「逃げればそれだけ苦しむ事になるぞ、名前君」
「……っ土方さ……も…………せん…」
「………なんだ」
血だらけになった名前は痛みで掠れた声で何か囁いたようだが、あまりにか細い声に土方は聞き取れず聞き返す。
幼さの残る瞳から涙を零しながら…名前は土方を見上げて再度呟いた。
「……も…申し訳……あ…りま…せ…ん……っ」
「………っ」
土方は思わず顔を顰めた。
その言葉は…これまで彼が幾度となく聞いてきた…懐かしささえ覚える言葉だったからだ。
土方の脳裏に、彼女との思い出が蘇ってくる。
『あう…も、申し訳ありません…土方さん…』
『きゃっ!ひ、土方さん申し訳ありません!』
決して仕事ができる方ではなかった名前…
土方にとって…名前が仕事で失敗して必死に謝る姿はどこか微笑ましくもあり…名前の『申し訳ありません』は…彼女との思い出そのものだった。
「………ああ……もう…謝らなくていい……」
周りが叫び、止めようとする中…
土方は刀を振り上げた
「いやぁ〜副長!容赦ねぇなぁ〜!」
ドカッ!!
「………黙れ」
「!」
にやにや笑う左之助を柱に力任せに押さえつけ、土方は血生臭い刀を左之助の首筋に突き付ける。
その目は、今にもその刀で左之助の喉を切り裂かんばかりだった。
土方の気迫に、左之助は思わず身体を強張らせた。
「………………屯所に戻るぞ」
人形のように動かなくなった名前を、土方はそっと抱きかかえる。
名前の純白の着物は血に染まり…まるで元から赤い着物だったかのように鮮やかになっていた。
名前は…赤い着物が好きだった。
「………名前ちゃん…寝とるだけみたいや…」
「………そうですね」
沖田の言葉に、藤堂が頷く。
土方の腕の中の名前は…沖田の言うとおり、まるで眠っているだけのように穏やかな顔をしていた。
土方が名前を抱きかかえ、他の幹部達が後に続く…前にも、今に似たような状況があった事があった。
新撰組幹部と名前とで、普段着で飲みに行った事があり…酒に弱い名前は酔い潰れてしまい、今のように土方に抱きかかえられて屯所に戻る事になったのだ。
その時も…名前はお気に入りの赤い着物を着ていた。
あの時…酔いと羞恥心に頬を赤くした名前は眉を下げて土方の腕の中でしょぼくれていた。
『あう…も…申し訳ありません…土方さん……』
『謝るなら最初から飲む量を加減してもらいたいものだな』
『うぅ…お、おっしゃるとおりです…』
『まぁ歳ちゃんそう言うなや〜、それより名前ちゃん酔って眠いんとちゃうか?屯所着くまで寝といてもええで?』
『え?で、でも沖田さん…それでは土方さんに申し訳ないです…!』
『…構わん、少し寝ておけ…帰ったらまた明日から働いてもらわねばならんからな』
『そ、そうですね…わかりました……ありがとうございます』
そう名前は柔らかく笑うと…土方の腕の中で、そっと目を閉じたのだった
「……あの時と…ひどく似ているな」
あの夜と重なる腕の中の名前
あの夜と違うのは…もうこの少女が…二度と目を覚まさない事
「……今回の粛清は………きつい……」
名前を強く抱きしめ
土方は声を押し殺して…涙を流した
2014.7.5