skmくん受け1
□アリルイソチオシアネート。
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上の計らいで、きょうの楽屋弁当はお寿司の折り詰めだった。
長時間のリハーサルで疲れた身体にお寿司がいいのか分からないけれど、割り当てられた部屋のテーブルに並べられたちょっと豪華そうな折り詰めの蓋を開けて新鮮そうなぴかぴかのネタにテンションは上がる。
きょうの部屋割りは、大部屋が空いていなかったらしく、四人と五人に分かれていた。
別に誰かといっしょが良いなんて事は無いけれど、いつも九人でわいわいしていたので、人数が半分になると静けさが五割増になる気がする。
特にうるさいのが別の部屋にいるせいかも知れないけれど。
「こんこん。失礼しまーす」
「向こうの部屋に九人分の即席みそ汁あったから作ってきたよ」
開いた扉から先に顔を覗かせたのは、四人部屋の阿部で大きく扉を開くとその後ろからトレーに五つのカップホルダーを載せた宮舘が部屋に入ってきた。
温かい味噌汁の匂いに、知らずぐぅと腹が鳴る。
「ありがと〜」
近くの席にいた向井がトレーごと味噌汁を受け取って嬉しそうに礼を言う。
この部屋にはほかに、深澤と岩本、渡辺と目黒が居てテーブルにトレーを置くと各々手を伸ばして宮舘に礼を言う。
「そっちの部屋、うるさくない?」
「いまはマネージャーさんに呼ばれて部屋に居ないから静かだよ」
名前を出さずとも誰の事かすぐに通じるのはいいのか悪いのか。
そう答えるとじゃあまた後で、と部屋を出て行くふたりを軽く手を挙げて見送り、箸を手に取ってようやく寿司をくちに運んだ。
「……ん?」
「ふっか?どうしたの?」
「……あ、これ佐久間のだ」
「え?」
「ワサビが入ってない」
ひと口で放り込んだ寿司からワサビのツンとした香りがしなかったので不思議に思った深澤は、いま食べた握りの隣のネタをぺろりと捲ってみた。
本来そこにあるはずのワサビのみどり色がのっておらず、その横の握りもそれは確認出来なかった。
「え、じゃああいつ普通のお寿司食べてんの?」
「打撃が〜!とか言って大騒ぎしてんじゃねぇの」
お寿司を頼むと度々自分がワサビを食べられないことを忘れているのか、ワサビ抜きで注文をする事を忘れる佐久間の騒ぎ具合を思い出し、ケラケラと笑うメンバーと同じに笑いながら、それに蓋をすると深澤は席にを立ち上がった。
「向こうもってくの?」
「うん。やっぱワサビ無いと、なんか食った気しないし」
そう言う深澤に岩本はニヤリと口角を上げたが特になにも言うことはなく、行ってらっしゃいと手を振った。
控え室を出て斜め前の扉の前に立つ。
一番騒がしい人間が戻ってきたのか、なんとなく中から伝わる空気すら賑やかな感じがする。
人間ひとりでそんなに空気が変わるものか、と知らず口元を緩め、ノックしようと手を上げた時、中から形容し難い悲鳴が聞こえた。
例えを捻り出すとすれば、怪鳥の鳴き声のような。
いったい何事かとノックもせず、急いでドアノブを回して中に入るとテーブルの誕生日席に座っていた佐久間が、大きな目から大粒の涙をボロボロと零していた。
その周囲にいた阿部や宮舘、ラウールも大慌てだ。
「え、なに、あべちゃんどうしたの?」
「あ、ふっか。いや、佐久間がお寿司食べた瞬間に奇声上げて泣き出したんだけど、」
「……うわ、見てこれ!えぐい量のワサビだよ?!」
佐久間が「いたいっからいっ」とひとり騒いで阿部や宮舘に水を飲まされ宥めるように背中や頭を撫でられている時、最年少が佐久間の前にあった寿司のネタをぺろりと捲って見ると、そこには尋常ではない量のワサビがのっていた。
だいたい握り寿司にのせられるワサビの量は、指先にひと撫で程度だろうが、それはネタ側のシャリの上一面にベッタリ、しかも厚く塗られていたのだ。
普通の握り寿司の量のものでもダメージを食らうと言うのに、これでは瀕死の重傷になりかねない。
現に500mlのペットボトルの水では足りず、控え室にあったシェアして飲む用の2Lの水のペットボトルを抱えて飲んでも痛みが治まらない様子で涙を流し続けている。
「……え、これなに?イタズラ?」
「誰の?お寿司屋さんの?」
「……それって拙くない?」
「警察案件?」
なかなか戻ってこない深澤と、なんとなく騒がしい空気を感じ取ったのかもうひとつの控え室にいた面々がなんだなんだと顔を覗かせ、ボロボロと泣きっぱなしの佐久間とその周りで難しい顔をしたほかのメンバーの様子に、「え、どうした?」「なにやってんの?」と心配と驚きの声をかける。
「…ちょっと、これはさすがおかしいから電話してくるわ」
「うん、お願い」
いったいなんのつもりなのかは分からないが、用意された食べ物に毒では無いがこんな風に仕込まれるのは無差別なテロのようなものではないか。
深澤は眉間に深いシワを刻み、スマートフォンにひとつの番号を呼び出した。
結果としては、それは本当にただの悪戯だった。
きょうの寿司の折り詰めは上の、正確には『殿』の計らいだったのだ。
そしていま、佐久間の前には様々なフルーツが盛られた籠と、大好物のシャインマスカットが盛られた籠が置かれていた。
殿からの謝罪のメッセージとともに。
仕掛け人が分かった時点で、この大量にワサビののった握り寿司の本来の行き先は深澤であったのだろうと皆の予測は難くなく、指示されたスタッフの手違いで佐久間の元に届くはずのサビ抜きの握りが深澤の元へ、当たると大惨事になると予想されていた佐久間の元に仕込まれた握り寿司が届いてしまったのだ。
お寿司いやもう嫌い見たくない食べない!と本気で嫌がり子どものような駄々を捏ねる佐久間に、午後からもハードな仕事が待ってるからと皆で宥めすかすが、未だ大量のワサビの影響か顔を真っ赤にして大きな目から涙を流しながら拒否するので、段々と小さな子どもをいじめているような気がして可哀想になってきた頃、山盛りフルーツが届けられたのだった。
「泣いたカラスがなんとやら、かな」
「あべちゃん」
広いレッスン場の奥で、シャインマスカットの籠を前にご機嫌に頬張る佐久間と、その横にはくちが空くたびひと粒ずつ放り込むやたらと笑顔な岩本や、この場にいるほかのひとたちへも行き渡るように、マスカット以外のフルーツを宮舘が向井やラウールをアシスタントに華麗な手つきで皮をむいて切り分けた。
人数分の皿など無いので、コーヒーなどを飲む用に備え付けられた紙カップに入れて配られており、阿部が両手に持って現れたのはそのお裾分けだった。
爪楊枝の刺さったそれぞれに、オレンジやグレープフルーツ、白桃とマンゴーが入っている。
「それで深澤さんはなにをそんなに落ち込んでいるんですかね?」
阿部はふたつをふたりの間に置いて、爪楊枝を一本摘むと目の前のカップに入っていたマンゴーを突き刺してくちへ運ぶ。
滅多に食べないそれは完熟の甘さがくちいっぱいに広がり思わず目尻が下がる。
もう見るからに美味しいという顔をする阿部につられ、深澤もマンゴーをくちに運んだ。
確かに美味しいそれにしみじみため息が出る。
「佐久間に嫌われた、って?」
「…………、別に、そんなんじゃねぇし」
「ふーん?」
ワサビ誤爆の件で、本来なら深澤に当たるはずだったと知った佐久間は、それほどにダメージを受けたのか深澤へしばらく近づくなとキャンキャン吠えたてた。
別に深澤が仕掛けたわけでもなんでもないのだが、計画立案実行犯は現場に居ないし、誰彼構わず山盛りワサビを食べさせようとしたのではなく深澤を指定したのは仲が良いからで、つまり半分以上八つ当たりなのだが、その宣告を聞いた岩本がニヤニヤ嬉しそうに便乗して佐久間を囲い、いまは深澤の居るのとは席から一番遠いテーブルで甲斐甲斐しく佐久間の世話を焼いていた。
「照、楽しそうだなぁ」
「……そうねぇ…」
「……あ、」
「……なに、あべちゃん」
「佐久間こっち来るよ」
「え?」
その言葉にグレープフルーツの甘酸っぱさをどことなく苦々しく思っていた深澤は、明後日を向いていた目をそちらへ向ける。
見れば確かに、佐久間が岩本から離れてくてくとこちらに向かって歩いてくるところだった。
「……あげる」
「…え?」
「ありがとう、佐久間」
「……ん、」
これまたたわわに実のついたシャインマスカットを、三分の一ほどカットしたものを紙カップに入れて持ってきた佐久間は、なんとなくまだ拗ねたような表情を見せつつ、阿部の礼にはちょっとだけ口角を上げて頷くとまた元の席へ戻って行った。
そしてそこから、同じようにカットしたマスカットを入れた紙カップを方々に配り歩きはじめた。
「………………」
「八つ当たりしてゴメンね、ってことじゃない?」
これめっちゃ美味いよ、と早速ひと粒摘んだ阿部はまだ少し驚いたような顔をしている深澤へ、佐久間の心境を推測してそう言った。
ほかに配るより早く、真っ先にそれだけを持って置いて行ったのは謝罪の表れ。
八つ当たりをして罰が悪かったのか、けれど大いなる被害者でもあるから素直に謝ることは出来なくて、拗ねたような照れ隠しのような、目元をほんのり赤くして(それは泣いたからもあるだろうけれど)小さくくちびるを尖らせて大きな目を彷徨わせる姿が
「…………かわいいなぁ…」
「そこじゃないし、なんか漏れてるからもう」
先ほどまでとはうってかわってちょこまか動く佐久間を視界に収め、本人が見ていないことをいい事にデレりと頬を緩ませた最年長に、刺々しい眼差しを向けつつもいまさらかと大きなため息を吐いて、元最年少はカップに残っていたグレープフルーツを爪楊枝で突き刺し、デレデレと緩みきったくちへと突き込んだ。