野球

□ただのトレーナーなんですけど
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U18の大会が終わった後、数年間駆使してきた左腕が使い物にならなくなった。

使い物にならないといっても、私生活や運動する分には支障がない。ただ今まで通りマウンド上で球を投げることが出来なくなった。
医者にそう告げられた時、真っ先に思い浮かんだことは、どうやってお金を稼ごう、ということだった。今まではプロ野球選手になって、沢山お金を稼いで、野球をさせてくれた家族に恩返しをしようと考えていたため、その道を閉ざされた以上他の道を探さなければならない。
上京するべき?公務員が安定していると言うが高卒でもなれるのだろうか?でもそんな公務員になるほど頭が良い訳では無いしな。
うんうん考えていた時、同級生でU18でチームメイトだった朗希から連絡があった。内容はプロの球団から声が掛かったけど宮城はどこ行くの?と尋ねのもので。その時プロ野球選手にはなれないと伝える。そこで俺と朗希の繋がりは切れるはずだった。だって朗希の1番は野球だから、野球から離れた俺なんて興味を持つ価値もない存在になると思っていたから。
だけど何故か、俺は高校を卒業後朗希の専属という形でトレーナーとして千葉ロッテマリーンズに所属することになった。




「宮城」
「あ、ろうき。どうしたの?」
「次のWBCの代表にどうだって声掛けられたんだけど」
「は?まじ?おめでとう、良かったじゃん!ろうきがまた日本代表のユニフォーム着た姿見れるの嬉しい」
朗希のトレーニングスケジュールを確認していると後ろから抱き着かれ、監督室に呼ばれていた理由を教えてもらった。きっと、いや、絶対選ばれるだろうなと思っていたが、実際に声が掛かったと言われると自分の事のように喜びが湧き上がってくる。
振り向いて朗希の顔を見て笑い掛けると、彼は頬を赤く染め嬉しそうにはにかんだ。
「あ、じゃあ日本代表中のトレーニングメニューとか着替えとか用意しとくね?でも代表チームのトレーナーさんが練習メニューとか用意してたらそっちに従った方がいいのかな…あと滞在予定のホテルにろうきが食べられない物出ないか確認しなきゃ…」
自分はロッテに残って他のスタッフさんたちの手伝いとかしなきゃな…これを機にチーム専属のトレーナーさんと情報交換とかして他の選手の身体の状態とか知ってサポート出来るようにしよう。いくら周りが朗希だけのサポートだけでいいと言っていてもチームに所属させてもらって、球団からお給料を貰ってるんだから少しでも彼らに貢献出来るように動かなくては。
そう考えていると朗希は心底不思議そうな顔をして「何言ってんの?宮城も一緒に決まってんじゃん」と言って1枚の書類を見せてきた。
「はぁ?」
書類を受け取り内容を確認すると、代表選手とスタッフ内定の旨が書かれていた。ロッテからは投手に朗希、投手コーチとして吉井監督、そしてトレーナーに俺、宮城大弥の3名を代表選手、スタッフとして招集すると書かれいて…最後にはご丁寧に全日本野球連盟と代表チームの監督の名前が続けて記されている。
「…なんで?」
「え?なんで?」
「いやいや、なんで俺が?俺何も出来ないよ?やっと最近ろうきの身の回りを管理出来るようになったのに」
「十分じゃん。てか普段と変わりないよ。宮城は俺の相手だけ…んん、俺のトレーナーとして傍にいてくれたらいいから」
そう言って微笑む朗希。
いや、無理だって。メンバー見たけど一流の選手とスタッフばかりだし完全アウェーだよ。
吉井監督に断りの返事をしてもらおうとじゃれついてくる朗希をそのままに監督室へ行ったのに気付けば代表内定の同意書にサインしており目の前で笑顔を浮かべる2人と一緒に代表チームへ行くことが決定していた。



「宮城くん、だよね?興南高校だった…」
「は、はい!…え?、ダ、ダルビッシュさん!?」
代表選手が集まってのキャンプが始まり、トレーナーとして選ばれた以上自分にできる範囲だけでも選手のサポートへ回ろうと決め、タブレットを使って代表選手のプロフィールや体調等を見ていると名前を呼ばれ顔を上げた。目の前には自分達世代にとって大スターであるダルビッシュ投手が優しい笑みを浮かべこちらを見ており驚いて叫んでしまう。慌ててタブレットを置いて頭を下げる。
「は、初めまして、ロッテ所属のトレーナーをしてます。宮城大弥です」
「あはは、そんな緊張せんでも…甲子園、見てたで?俺の理想とするピッチングしてたからよぉ覚えとるわ。プロになると思ってたからどのチームにも君の名前が見当たらんくて不思議に思ってたんやけど、トレーナーになってたんやな」
「ありがとうございます…ちょっと、私生活ではそこまで支障は無いんですけど左腕が使い物にならなくて…」
笑いながら左腕を擦る。この話をするのはあまり好きじゃない。自分の力具合を見誤り駆使して、結果自らの野球選手という人生を終わらせたことを嫌でも思い知らされるから。
目が合わないよう視線を下げつつ言うと、急に左腕を触られ肩が跳ねる。顔を上げるとダルビッシュさんが眉間に皺を寄せ、心配そうに「大丈夫なん?」と聞いてくる。慌てて「キャッチボールくらいは出来るまで回復してるんで、大丈夫です」と答えるとホッとしたように表情を緩め、慈しむように腕を撫でてくれる。
幼い頃からテレビの中で活躍していた人が自分の左腕を気にかけてくれていることにむず痒い思いをしていると、急に腕を掴まれ後ろに引っ張られた。
後ろから抱きしめるように回された長く、細く見えつつもきちんと綺麗に筋肉の付いた両腕。ビックリしつつも、腕の持ち主が誰かすぐ分かったため緊張で固まっていた身体の力を抜く。
顔だけ後ろへ向けると案の定、朗希で…目が合うと少し不貞腐れたように「勝手に離れないでよ」と言われる。
「ろうき、練習は?」
「終わった。宮城が見当たらなかったから急いで探しに来たのに、何呑気に他の選手と親しく話してんの?」
「ちょ、お前!ダルビッシュさんのこと他のとか言うなよ…!」
慌てて朗希の口を抑え小声で注意するが本人は何処吹く風。
「じゃあ傍から離れないでよ」なんてわがままを言う始末。
このままここにいたらもっと失礼なことを口走るかもしれない。そうなったらチームに馴染めなくなるだろう。代表選手が集まってのキャンプは始まったばかりだと言うのに。
回されていた腕を解いて、向かい合うように身体を捻り手を握る。こうすると彼は嬉しそうな顔をするし、機嫌が良くなるのだ。案の定表情が緩んでいるのを確認して、ダルビッシュさんに「すみません、失礼します」と告げる。ダルビッシュさんは難しい顔をしていたが声を掛けるとすぐ笑顔を浮かべ「じゃあまた今度。ゆっくり話聞かせてな?」と言う。
俺ごときか何か彼へ話せる内容なんてあっただろうか、と思いつつも、朗希の機嫌を損ねないようにしないと、という思考で頭が一杯になっていたため頷いてしまった。

その後、朗希から「何話してたの」「俺がいないところで」「有り得ない」「もっと俺のこと分かって」なんて責められることになるなんてこの時の俺は思いもしなかった。
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