野球

□恋をした日 A面
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☆恋をした日☆ A面


その日の始球式はアイドルの子が来るって聞いて、女の子かなぁと思った。可愛い子だったら良いなとか、若干浮ついた事も考えたが、それだけだしお近づきになりたいとかそういう風な事は考えてなかった。
ましてや……手に入れたいなんて思うとは思ってなかった。

☆☆☆

始球式にアイドル密着しているローカル番組の取材も入るということで、対応は今日は先発ではない自分がする事になっていた。アイドルと聞くと女の子を思い浮かべていたが、よく聞くと男の子のアイドルグループの子らしかった。
人生そんなに甘くない。
練習の前に球団が用意した部屋へ入る。
そこには、小柄な男の子がいた。小柄と言っても、普通の男の子の平均はあるだろうか。野球選手は、体が大きい人ばかりだから感覚がわからなくなる。
アイドルであろうその子は俺が入ると、立ち上がり、被っていたうちのチームの帽子を脱ぎ、
「はじめまして、cuteの宮城大弥です。」
とお辞儀をされた。
その違和感のない動作にむしろ違和感を抱いた。この子、アイドルだよな?
「……野球、されていたんですか?」
「あ、はい。中学校まで。」
低めの声で、落ち着きのある話し方。
それでいて、表情は柔らかくて、目を細めて笑顔を作られたら、好感しか持たない。
これが、アイドルのなせる技なのだろうか。
「今日はよろしくお願いします。」
嬉しそうな顔をして、両手で握手を求められれば、『あぁ、この子ちゃんとした子だ。』という感想を抱く。
誰だってそうだが、野球していた人でもチャラくなるというか浮ついたようになる人もいる。
「僕、佐々木投手の大ファンで!いつも応援しています。」
嬉しくって仕方がないというような笑顔で
こちらが幸せになるようなことを言われれば、当然自分も嬉しい。
「ありがとうございます。」
彼の笑顔につられて、自分も頬が緩むのを感じる。
「高校の時に、事情があって野球辞めたんですけど、やっぱり好きで。高校野球みていたら、佐々木投手が163出したのをニュースを見まして。本当に、純粋に凄いって。同い年の佐々木投手に憧れました。」
「……宮城さん、同い年なんですか?じゃあ、タメ口で良いですよ。」
事情があってって、少し悲しそうな表情したけど、怪我とかかな。
「え?いいの?」
ぱちくりと目を開けたかと思うと、口角を上げて、目を細める。イタズラ小僧みたいな顔をする。
その表情の変化に胸が跳ねた気がした。
「もうタメ口じゃん。」
きっとユーモアもある人なんだろう。
目が合うと、二人同時に笑った。
「ね、ろうたんはさぁ、」
……アイドルの距離の詰め方、エグいな。
俺、今までそんな風に呼ばれたことないんだけど。
びっくりして、ポカンとしてしまっていたことを俺が聞こえないと思ったのか、向かいの席から、隣の席に移動してきた。
物理的距離の詰め方も、エグい……。
「ろうたんは、休みの日何してるの?」
「ん?寝てるかな……?」
「そっかぁ、休養も必要だよな。趣味は?」
「それが、趣味ってなくてさ。」
「そうなの?じゃあ、野球ばっかなんだ?」
「そう。趣味がないのが、悩みかな。」
「それはそれで、佐々木朗希って感じでイメージのまんまだわぁ。格好いい!」
「……」
「ろうたん、照れてるじゃん。」
「……うるさい」
宮城くんは声を上げて笑った。その笑顔は、確かに年相応な感じだと思うほど、少年の顔だった。
アイドルの顔とは違った、まるで友達のような感覚。
挨拶や落ち着いた話し方で、ちょっと年上だろうかと思っていたから、本当に同じ年なんだなと妙にしっくりときた。
「だけど、残念。」
「何が?」
「んー。僕、ろうたんの趣味を聞いて、同じのを自分も趣味にしようと思ってたから。」
そんな愛でるみたいに、優しく、笑う宮城に絶句する。
こいつ、なに。
この生き物は、なに。
アイドルってこういう生き物なの。
心の内側にスルッと入ってきて、扉を内側から開けていくようなことすんの。
その後も野球の話や違うことでも、結構な時間話し込んだ。
インタビューが苦手で、司会の人や質問者の質問をそのままオウム返ししてしまうこともある。
そんな自分が、初対面の人間相手にするすると言葉が出てくるなんて、今までなかった。
今日も取材だっていうことを忘れていた。
スタッフさんの『そろそろ〜』という声で、周囲に人がいて、これが取材の一環だったことを思い出した。
「あ!ね、ろうたん、サイン下さい!」
「良いよ。」
それまでタメ口だったのに、急に敬語に戻って苦笑する。
「本当!?めちゃ嬉しい!!」
色紙にでもサインすれば良いんだろうか。
「ちょっと待ってて!!」
そう言って、マネージャーさんだろうか、少し年嵩の男性に何やら頼んでいる。
マネージャーらしき男性は、部屋を出てすぐに戻ってきた。
それは、可愛いウサギ?のイラストが大きく描かれた黒いリュックだった。なにやら縫いぐるみまでついている。随分と可愛いリュックを使っているんだな。
そのリュックを開けると、おもむろにピンクの物体を取り出した。
「え?グローブ?」
「うん!マイグローブ!!」
ウサギのリュックにピンクのグローブ……。やっぱり、今日のアイドルは女の子だったのかな?いや、でも目の前のアイドルは、自分よりも低音ボイスのガッチリした男の子だ。
そういえば、宮城くんはアイドルにしては、しっかりした体つきだなと気付いた。アイドルの人は、ほっそりとしたイメージがあるのに、珍しい。
「えへへ〜。この日の為に、新調したんだぁ。慣らすのも楽しかった!」
本当に野球が好きなんだなとわかるような少年のような笑顔。
「良いの?新しいのにサインしちゃって。」
「当たり前じゃん!!あ、でも、サイン消えたら嫌だから、使うの勿体なくなりそうぅ〜。予備も持ってくれば良かったぁ。待って待って、色紙!色紙にもサインちょうだい!」
「んふふふ、あははは!良いよ、サインくらいいくらでもするから、慌てんなよ。」
まるでボール遊びをする犬のようなはしゃぎようで、尻尾があったら振っているんじゃないだろうか。
自分を一途に見つめてくるその上目遣いに、実家で飼っている人間ではない家族を思い出してしまって、更に笑いが込み上げてきた。
「あははは!」
こんなに笑ったのはいつぶりだろうか。
「えぇ?ろうたん、大丈夫?なに、どうしたん?」
大笑いする俺を不思議そうに見上げる宮城くんが可愛いなと思った。
同い年の成人男性に向かって何を言ってるんだって感じだが、そう思えるくらいに、自分はこの人に好感を抱いている。
心のままに、ちょうど良い高さにある宮城くんの頭をわしゃわしゃと撫ぜる。
天然か、人工か、ふわふわとしたパーマが気持ち良い。体温が高めなのか、温かさが手から伝わる。
益々と犬みたいだなと思って、この温かさをこのまま連れて帰りたくなった。
これがずっと側にあったら、自分はきっと無敵になれる。躓くことがあっても、立ち上がれるんじゃないかと……。



「朗希、楽しそうだったね。」
部屋を出て、チームの練習場に戻る時、広報さんから声をかけられた。
「そうですね。同じ年だからかな。」
「宮城くん、人懐っこくて有名だしね〜。」
「そうなんですか。」
そうなんだろうな。
彼が心根の優しい青年だと言うのは、この短い時間でも肌で感じた。
頭の回転がいいからか、元野球少年だからか、打てば響く会話。ちょっとした冗談も面白くて、大胆な部分もある。
けれど、相手が嫌がることは決して言わないであろう事がわかった。
人との距離を掴むのが上手いのだろう。
相手を気遣う様子も自然で嫌味がなかった。
きっと彼だって気付いていただろう。
自分のファンだというなら、昨日は敗戦投手で、ここの所は調子が乗ってないことを。
気持ちの切り替えは出来ているはずだが、心に残る悔しさは、まだ消化しきれていないように感じる。
昨日だけではなくて、ここ最近はやけに空気が重たく感じることがある。
体は動くし、健康なはずなのに世界が色をなくしたような感覚。
野球に息苦しさを感じるなんて思ってもみなかった。
プレッシャー……を感じているのだろうか。
ただ好きな野球を続けたかったからプロになった。
『佐々木朗希世代』と持て囃され、望んでもない期待をされる。
有難いことだとはわかっているけど、自分は何をしたいんだろう。
期待にも応えたいと思う。
けれど、どこか暗中模索している。
掴んだ夢が夢だったのかわからなくなる。霧散してしまったかのような感覚。
「始球式、楽しみだね。彼、中学校まで投手だったみたいだし、今も芸能界の野球チーム入ってるって聞いたよ。」
「怪我っすか?」
さっきも本人から聞いた話。野球を辞める理由は人それぞれだ。
怪我して辞める奴、野球よりやりたいことを見つけた奴、練習が辛くなった奴。
彼は野球が好きそうだったから、練習が辛くなったわけではなさそうだし、やはり怪我なのかなと思った。
「あ、知らない?そうか、宮城くんの事も知らなかったもんね。テレビとかで話題になったりして、結構有名なんだけど彼ね、所謂貧困家庭でさ、経済的な理由で高校では野球続けられなかったんだって。」
「……え」
「幼少期の話とかネタになってるのか、結構みるよ。具なしカレーが1週間出てきたとか。苦労したみたい。」
予想外だった。
あんなに笑顔で柔らかい対応をする彼が。
昨日に先発した自分は練習が終われば、帰っても良いのだけれど、今日は彼の始球式を見たくて、残っていた。
名前を呼ばれた宮城くんは、癖があるけど、左投げのスリークォーター気味のちゃんとした投球で、投球の時、あんなに集中していてプロ顔負けだなと思っていたら、ストライクと言われた瞬間、花が咲いたような笑顔になった。
野球が好きって笑顔だ。こんな楽しいことはないよって教えてくれている。
そして、その笑顔のまま、助走をつけたかと思うと、アイドルは軽やかに宙を舞った。
「綺麗だ。」
その言葉が自然と口から出てきた。
どこか冷静な自分が、目を奪われるってこういう事を言うんだと思う。
なんて鮮やかなんだろう。
グレーな色の世界にそこだけ色を集めたみたいだ。
転倒したりすることなく、綺麗な着地。
それすらも、目を奪われる。
途端に上がる歓声。
それは、そうだろう始球式を終えたアイドルがバク宙を決めたんだから。
声援に慣れているのか、両手を掲げて観客に応えた。その動きは、全身で嬉しさを表現していた。
笑顔の宮城くんは、そのまま球場施設に戻っていく。最後に球場を出るとき、球場を振り向き一礼した。
高校野球を思い出すその仕草に、懐かしさを感じる。
顔を上げた彼がこちらを見る。自分と目があって、にっこりと笑って、ピンク色のグローブを指差さされる。
そこは自分が書いたサインのところだった。
『ありがとう』
遠くからでもそう言っているのがわかる。
手を振られたので、振り返す。すると、両手を広げて全身で応えてくれていた。
マネージャーに背中を押されて、球場へ戻る彼をずっと見ていた。
その日、世界が色を取り戻した。
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