野球

□恋をした日 A面
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実際に会った怪物な彼は、俺が思っている以上に普通だった。
語弊があるかもしれないけれど、あんなに速い球を投げる彼も普通に緊張しているし、普通に笑う。そりゃそうだ。
そんな姿を目の前にして、がっかりする所か、もっと応援したいっという思いを強くする。
応援って力になるから。
それを自分は知ってるから、全力で応援しよう。気分をあげて貰いたい。
そういう風に思っていたが、予想に反して、
彼との初めての会話に俺自身も楽しんでいた。
昔からの友達みたい。
最初の当たり障りのない会話から、どんどん近づく距離感。
控え目な性格かと思っていたけど、中々マイペースでもいらっしゃるようで。
サインを強請れば、
これが笑顔です!っていうくらいの笑顔で、
「んふふふ、あははは!良いよ、サインくらいいくらでもするから、慌てんなよ。」
なんて、男前なことを言い出した。
格好いいだろ、良いよなぁ。
男前で、体も大きくて、ツンツンしているかと思えば一度身内となればこんなに懐いてくれるの。
「アハハハ!」
佐々木朗希投手は、笑いながら俺の頭をわしゃわしゃ撫でていた。
「はい。どうぞ。」
この日の為に新調したお気に入りのグローブにサインを貰って(色紙にもサインして貰った)、嬉しくて、抱き締めるようにグローブを抱える。
「ありがとう!!」
顔をあげてお礼を言う。礼儀は大事!
「宮城ってば、連れて帰りたくなるね」
……はぁ!?
こんのイケメンは、何を言い出した!?
しかも、いつの間にか、また頭を撫でられていた。
アレか、こいつは俺のこと犬とか動物扱いしてるんだな。
まぁ良いけど。そういう扱い慣れてるしぃ?
最近、苦しそうだったこの憧れの存在が少しでも笑顔になれるならね、アイドル冥利に尽きるよね。
自分でも納得いく投球をして、中々の球速でちゃんとストライクゾーンだった。ちょっと複雑な思いもあったプロ野球のマウンドだったけど、始球式にしたら、上出来だろう。
ご機嫌に球場の建物に入る。
「テンション上がるのは良いけど、グローブしながらのバク宙は、禁止ね。危ないから」
「はぁい」
「まぁ、見事なバク宙だったよ。さすがだね」
「ありがとうございます」
控え室に向かいながら、渋い顔をしたマネージャーさんにちょこっとお小言を言われたのは、誤差の範囲だ。自分でも、ちょっとやり過ぎたかと思ったけど、まぁ、それくらいのお小言なら、しょうがない。自分の本来の目的は達成出来た訳だし。
始球式に出ることが決まって、日が近づくと選手の取材も時間が貰えることになったと聞いた。
その相手が佐々木朗希投手に決まったと知って、とあることを心に決めていたのだ。
最近の佐々木投手は煮詰まっているように見えた。
取材は負担になるんじゃないかって考えたけど、ちょっとでも息抜きなればいい。
そして、貴方の素晴らしさを伝えたいと、思った。
応援が力になることは、自分が良く知っているから。
だから、自分もこの人を全力で応援したい。
憧れの選手が目の前にいるって思うと、震えそうになるけど、少しでも貴方の癒しになるなら、どんなことでもしよう。
自分を含めたファンは、勝手に貴方に期待してしまっているけど、そんなこと気にしなくて良い。
貴方は貴方らしく野球してくれたら良い。
それが自分の背中を押してくれた。
俺が貴方を応援するのは、その恩返し。
そう思って臨んだ始球式だった。
話すうちに、表情がどんどん柔和になっていって、ほんの一時の癒しとなれただろうと思った。
ファンだとは伝えたけど、自分が彼への応援の気持ちは、上手く伝えられなかった。
バク宙はその気持ちを表現したもの。
お客さんには申し訳ないけど、あのバク宙は、俺から彼に向けられた応援メッセージだ。
届いてたら、良いな。

自分の目的がほぼ達成された始球式から少し経ち、自分が所属するCUTEのコンサートツアーが始まった。
Bs事務所のCUTEとCOOLでタッグを組んで回るツアーは、動員も良く、ドームツアーだ。ダンスのCUTEと歌のCOOLと言われるチームの相性は良い。タッパもあり、歌も上手い颯一さんなんかは、掛け持ちしている。
野球少年だった自分が、こんな形でドームに立つことになると夢にも思わなかった。
CUTE用の広めの控え室でストレッチしていたら、なんか外が騒がしい。
「どうしたんだろ?」
廊下が騒がしくて!トラブルだろうかと顔を覗かせる。
「あ、宮城くん」
「え、ろーたん!?」
廊下には、笑顔でこちらに手を振る佐々木投手がいた。
佐々木投手を案内していたスタッフの人に話を聞くと、どうやら一般の人と同じようにチケットを買ってくれた佐々木投手が物販に並んでいる所をファンが気付いて人集
りが出来てしまって確保されたとのこと。
いや、まぁ気付くでしょ。
アイドルのコンサートツアーで女性のファンが多い中に190超えのガタイが厳ついスポーツ選手が紛れてたら、目立つに決まってる。
しかも、彼は一般人でも知っている有名選手だ。自分達のファンの中にも知っている人がいても、可笑しくはない。
「こんな風になるとは思わなくて」
佐々木投手は、恐縮した態度で、一回り小さくなっていた。
その姿は、令和の怪物どころか10代のような印象さえ持つ。こういうの女の人は、堪らないだろうな。
同性の自分も可愛いなと思ってしまうくらいだから。
「迷惑をかけてごめんね」
しかし、やっぱり素直な人だなぁ。
こちらが一方的に知っていただけだが、インタビューや前回の邂逅での様子を思い出し、改めて彼の人となりに好感を持つ。
「今度から、関係者席用意するから、言って下さいね」
「…タメ口じゃないの?」
「え、いいの?」
「それ、前にやったやつ」
目があって、あの時と同じように笑った。
「んふふ」
「ろうたんも、宮城くんじゃなくて、宮城で良いよ」
「……宮城?」
「そう」
頷けば、顔をくしゃりと皺を寄せて、これ以上ないっていうくらいの笑顔になった。
「宮城」
その大事な物の名前を呼ぶみたいな丁寧な言い方。そして、誘うような響き。
自分の名前に魔法がかかったみたいだ。
それは、本当に自分の名前だろうか。
頭で鈴の音が鳴り響いたかと思った。
頭の中で鳴り響く音楽は、いままでに聞いたことがないものだけど。でも、それは俺の中で産まれたモノ。
「宮城?え?照れてんの?」
照れるどころではない。
それなのに「耳、赤い」とか言いながら、耳を触ってこられたらもう堪らない。
高鳴る胸に、頭の中で鳴り響く甘やかな音楽、世界に輝きが増した気がした。
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