ハニ受け2

□Million Films
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名前を呼べば、天使のように微笑みながら振り返るこの美しい人の澄んだ瞳が、真っ黒なレンズではなく自分を見つめているだなんて。奇跡に違いない、とミョンホはいつも思っているし、未だに夢じゃないかと疑うこともあった。だからこうして、確認するように意味もなくその美しい名前を呼んでしまう。



「ジョンハニヒョン」
夕暮れに染まる道に、買い物袋をぶら下げた二つの影が細長く伸びていた。もう少し側を歩けば、このまま影は重なって大きく一つになるだろう。茜色のレンガにひょろりと浮かぶ黒い影は、きっと先日まで街を彩っていたハロウィンのような不気味な雰囲気だ。ミョンホは心の中でシャッターを切りながら、立ち止まってミョンホを見つめるジョンハンの影に寄り添うように一歩踏み出す。そして、あと少しで影が重なる…そう心躍らせた瞬間。



「何?早く帰るよ」
「あっ…」
名前を呼んでおきながら何も言わないミョンホにしびれを切らしたのか、ジョンハンは不機嫌そうに顔を背けて歩き出してしまった。せっかちで早足な彼は、いつも先を歩く。ミョンホの頭の中で、このありふれた日常から溢れるようにメロディが生まれている間も、彼の頭は夕飯のレシピがぐるぐると巡っているのだ。



趣味であり仕事でもある写真や音楽のことで頭がいっぱいになることは、ミョンホにとってよくあることだった。日々の暮らしの中のいつどこで閃きや感性が落ちてくるかは分からない。ジョンハンもそんなミョンホのことを理解しているので、本気で怒っている訳ではなく、あぁまたかと諦めて放っておいてくれているのだ。しかし、そう分かっていてもこうして遠ざかって行く背中を寂しく感じてしまうのは、昼間何気なく見てしまったジョンハンの古いアルバムのことが気に掛かっているからだろう。



モデルとカメラマンという関係から恋人に変わり、絵や写真など気に入ったものばかりを集めたこの小さなスタジオに彼を招き入れ一緒に暮らすようになって、献身的なサポートまでしてくれるジョンハンとの生活には何一つ不満がない。言葉が不慣れなせいでもどかしい思いをさせているかもしれないけれど、ジョンハンはミョンホにそんな不安を感じさせないほど、いつも一番にミョンホのことを考えていた。



「ジョンハニヒョン!」
もう一度名前を呼んだ。これほど幸せなのだから、今さら嫉妬などするはずない。そう言い聞かせ胸騒ぎを抑えながら、まだ幼くてかわいいジョンハンの姿を収めたアルバムの最後のページ…不自然な膨らみの中身を覗いてしまったことを後悔する。そこには意志の強そうな目が印象的な男の太い腕に掴まり、笑うジョンハンがいた。そして、今も変わらないその悪戯な表情を見て、胸を痛める自分に気付いたのだ。



幸せに終わりなどない。自分の知らない過去の話はこうも切なく、未来の二人を想像して不安になることもある。けれど、そうやってぶつかり合ったり絡まったりしながら、強い絆へ変わっていくのだろう。ミョンホはぼんやりとそんなことを考えながら、自分はいつからこんなに穏やかな考えを持つようになったのかと驚いた。間違いなく、ジョンハンと出会ってからだ。遠回りな駆け引きなどせず、その時々でお互いの気持ちをきちんと話し合えば大概の問題は解決する。さっぱりとしたジョンハンの考え方はシンプルで、だからこそ疑う必要がなかった。



「うん、どうしたの」
くるりと買い物袋を揺らしながら振り返ったジョンハンが、まっすぐにミョンホを捉える。撮影中は氷の王子のような温度のない美しい顔をするというのに、ミョンホがいつも見ているジョンハンは、ころころと分かりやすく表情を変える小さな子供のようだった。どうしたの?と首を傾げるジョンハンは、最後に見た不機嫌そうな顔をすっかり忘れてしまったようで、ミョンホの声に滲んだ焦りに気付いたのか、優しく心配そうにミョンホを見ている。



「元彼やたらゴツくない?」
「ああ、写真?見たの?」
訝しがりながら思ったことを正直に話すミョンホに、ジョンハンがにっこりと微笑む。分かりやすく拗ねてくれるところがかわいくて、こういう時に普段はあまり感じない年齢差を実感するのだ。



口ごもる様子もなくからっと答えるジョンハンに安心したものの、少し寂しくも感じた。自分と別れた後も、こうして次の恋人に自分のことを何の気なく話したりするのだろうか。こんな写真を見てしまうと、嫌でも別れるという可能性まで考えてしまう。
「全部見た?」
「…いや見てないけど」
「そう?今度連れて来ようか?もう一人、ミョンホと気が合いそうなやつもいてさ」
「ギター持ってた方?」
「見てんじゃん」



はっ…と気まずそうな顔をしたミョンホを指差しながら、ジョンハンは悪戯な顔でまた笑った。責めるでも、怒るでもなくただ優しい顔で揶揄われて、ミョンホは自分のあまりの子供っぽさに耳が赤くなる。
「ギター持ってる方。ワインも好きだし、ロマンチストだよ。お前と似てる」
「ヒョンのタイプはいつも同じなんだね」
皮肉のつもりで、少し意地の悪い言い方をしてしまうところも嫌になった。ジョンハンとの灘らかな日常で、いつも落ち着いていた心が揺れる。こんな小さな波をきっかけに、簡単に揺らいでしまうのだ。それほどミョンホの生活も、心も、ジョンハンが占める割合は大きい。



確かに写真や音楽のことを考えて、周りの声が聞こえなくなることはある。それでも、甘い金木犀の香りが風に乗って届いた時、鈴虫の美しい鳴き声を耳にした時、よく手入れされた庭に咲く竜胆を見て秋の訪れを感じているその時も、ジョンハンのことを思った。お前が好きな金木犀の匂いだよ!と練り香水を付けた手を差し出してきた愛らしいジョンハン、きれいな声で鳴く鈴虫の姿が想像と違うと気味悪がったジョンハン、竜胆の花に至っては鮮やかな青い花びらを見ただけでジョンハンお気に入りの青いカーディガンが浮かんだくらいだ。それほど、ミョンホの目には様々なジョンハンの姿が焼き付いている。



「ホンジスとチェスンチョル、俺の幼馴染。ゴツい方がチェスンチョルでミョンホに似てるのがホンジスね」
「…仲が良すぎる気がするけど?それに幼馴染ならあんな風に隠さなくても」
「こっちじゃ普通だよ、お前も最初は慣れなかったでしょ?スキンシップ。で、隠したのはミョンホがこうやってヤキモチ焼くだろうなって思ったから」
当たりでしょう?そう言って腕を絡めてくるジョンハンにはすべてお見通しで、またこうして上手いこと丸め込まれてしまう。疑っている訳じゃなく、本当に男の気持ちをぐっと掴んで離さない魅力的な人だと感心したのだ。



出来るならばこれから先、五年、十年、それ以上も一緒にいたい。ミョンホ自慢のたくさんのカメラでも撮りきれないほどの思い出を、ジョンハンのどんな些細な変化も、毎日見つけていきたいのだ。
「ついでにミョンホが昔は少〜しヤンチャだったのも知ってるし、ジュンフィっていうすご〜くかっこいい子と仲良いことも知ってる」
「はっ!何で!?」
「何ででしょう〜?」



声を上げて笑いながら走り出したジョンハンを咄嗟に追い掛けた。足が速いジョンハンとの距離はあっという間に広がっていく。ただ一つ、体力がないという欠点があるので、ミョンホはすぐに追いつき、二人の差はまたゼロになった。
「ジョンハニヒョン」
「何?教えないよ」
「すごくきれいだ」
夕日とジョンハン、あまりに美しい光景にミョンホはまた心のシャッターを一つ切る。ぼんやりと優しく二人を包み込むオレンジの光の中、ジョンハンはもう一度走り出すことで赤く染まった顔を誤魔化した
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