ハニ受け2

□弱い犬ほどよく吠える
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この学園でユンジョンハンの存在を知らない人間は居ないに等しかった。
校則違反である白金のふわふわした髪と白磁の肌。線の細い彼はキャメル色のオーバサイズのニットカーディガンを見事に着こなし、袖から指先だけを出していつも眠そうに目を擦る。
パッと目を引く華やかな容姿、反してどこか冷たさすら覚える柔く垂れた流し目。ユンジョンハンの周りには毎日沢山の人が集まったが、当の本人は何処かめんどくさそうに相槌を打った。他とは1つ線を引いて彼の世界を染め上げ踏み荒らすことが許された人間などこの学園にはいない。清潔で純潔、何となく"白"を彷彿とさせるユンジョンハンが纏う"影"には誰しもが惹きつけられた。

それが「ユンジョンハン」だった。





「この季節にプール掃除とか体罰じゃない?」

ズボンの裾を3回か4回ほど折って秋特有の肌寒さに身体を震わせながらモップを持つ姿は余りにもユンジョンハンのイメージからはかけ離れていた。端的に言って似合わない。しかしその容姿のせいか絶妙に様になっているのが少し可笑しくもある。

「…、そうですね」
「幽霊でも見たような顔してるね」


私立高校の室内プール、ユンジョンハンの冷めた声が反響した。「あ〜さむい」とボヤきながらも来て早々、黙々と掃除を始める姿はなんだか見てはいけないものな気さえする。
この学園の名誉の為に言えばプールは水泳部が練習終わりに手入れしているからそこまで汚れている訳でもないし、温水プールのお陰で寒くもない。

「そういえば名前は?」
「……ウォヌです、チョンウォヌ」

ウォヌは教師に「3年のユンジョンハンと一緒に」とプール清掃の旨を言い渡された時、1人で掃除をすることになるだろうとぼんやり思っていた。だってあの、ユンジョンハンがプール清掃に来るはずかない。仮に来たとしても掃除なんてしないだろう。だって箒を持たなくても雑巾を絞らなくてもユンジョンハンは許された。理由はユンジョンハンだからで、それ以上でもそれ以下でもない。
ウォヌは彼に憧れを抱いたことも妬んだこともなかったが、ユンジョンハンの存在自体がファストパスみたいだと思ったことはあった。

「そういえば何でウォヌはプール清掃なんてしてんの?真面目そうなのに」
「こないだの遠足、無断欠席しちゃって。起きたらもう遠足の時間終わってたんですよ」
「あ〜そんなことで?」
「先輩は?」
「出席日数危なくてさ。生徒指導の先生に脅されてんの、本当に酷くない?」

ジョンハンは愚痴をこぼしながら大して汚れてもいないプールサイドにモップをかけた。学校へ行けば毎日のようにユンジョンハンの名前を聞いたから彼はいつも学校にいるような気がしていたが、卒業が危ぶまれるほどの出席率だったなんてウォヌにとって意外だった。

「あ〜でもウォヌのプール掃除は半分おれのせいかも」
「……、?」
「監視役押し付けられたのかな、ほらおれ1人だと絶対サボるだろうし」

ジョンハンはモップを置いてホースに持ち替え、レバーノズルを握って指に力を入れた。瞬間シャワーヘッドから水が噴き出て虹を作る。湿気った空気、差し込む夕日はジョンハンの白金の髪をオレンジに染めた。
不意に彼は振り返ってウォヌへ悪戯っ子のように、そして少しの憂いを残したまま微笑んだ。


「もしそうだったら、ごめんね」

初めて目があった、初めて向けられた視線がアレなんてウォヌにとっては残酷だった。いつも見る様な冷たい視線の方がまだ良かった、それならば下手に彼に踏み入ろうなんて考えは寄越さなかっただろうに。
再び合わさらなくなった視線はもどかしく、熱くなった体は冷めそうにない。ウォヌはこの学校の人達がユンジョンハンに熱をあげる理由が漸く分かった。




「そろそろ帰ろ、もう十分でしょ」

ジョンハンの一言で運動部がまだ声を張り上げて練習している中、2人はプールを出た。並んで歩いてもジョンハンが言葉を発することはなく、ウォヌは只管グラウンドを眺めた。1つのグランドに3つか4つの部が同時に練習している光景は水槽に入れられた金魚みたいにどこか狭苦しそうだ。
しかし校門を目前に「ドンッ!!!」と少し遠くから聞こえた鈍い音にジョンハンとウォヌは足を止めた。すると同時に聞こえてくる野球部の騒がしい声。

「あ〜あ。割れたかな」
「割れてはないんじゃないんですか」
「ヒビは入ってそう」

バッターの打ったボールは見事にネットを超え校舎の窓に直撃したらしい。慌てふためく彼らの姿にジョンハンはケラケラ笑った。

「明日は野球部がプール掃除だな」
「案外根に持ってるんですね」
「だって今日本当はやくそ「ジョンハナ!!」

校門の向こう、隣駅が最寄りのはずの工業高校の学ランを着た男子生徒はジョンハンを睨みつけ……てはいるもののその瞳の奥にあるのは目一杯の愛だけだ。

「あースンチョラ」
「あースンチョラ、じゃねえわ!お前今日の約束忘れたとは言わせねえぞ」
「忘れてないよちゃんと連絡しただろ」
「おーおー目付きの悪いウサギがバット振り回してるスタンプだけで分かる奴がいるか?」
「そう言いながら迎えに来てくれるお前は本当にいい奴だな」


校門はまるで境界線のようで、スンチョルとジョンハンのやり取りをウォヌハひたすら目に焼き付けた。
さっきまで無表情だったジョンハンの悪戯が成功した子供のような笑顔を引き出したのは間違いなくこの男で。他校の制服を着た彼は境界線の内側に侵入することは許されないはずなのに、彼は境界線の外側からユンジョンハンだけを視界に入れ、自らの元へ帰ってくるのを今か今かと待ち詫びている。
内側にいるのも手を伸ばして届く距離にいるのも間違いなく自分なはずなのに何故こんなにも彼と遠く感じるのか。
「行かせたくない」なんて気持ちが烏滸がましいことくらい重々承知だがスンチョルが入れない内側に残って欲しかったのだ、1秒でも長く。

ウォヌの中にある小さな嫉妬と独占欲がむくむくと顔を出す。ウォヌは両手に力を入れた。ユンジョンハンが校門と言う名の境界線を飛び超えるまであと一歩といったところで大きく息を吸って、そして口を開いた。


「ジョンハニヒョン」

ピタリ、足を止めたジョンハンは振り返りウォヌと目を合わせた。
「ジョンハニヒョン」と呼んだ瞬間のスンチョルの、名前を呼ばれた本人よりも3倍以上驚いた顔が面白くてウォヌは内心クツクツと笑った。まだ「ヒョン」なんて呼べる立場ではないし、先輩後輩と呼べる関係なのかすら怪しいことくらいウォヌは十分理解していた。だからスンチョルは取り敢えず今は安心して貰って大丈夫なのだ、今は、だけど。

「ちゃんと生徒指導部の先生に言っときますね、ちゃんと掃除してたって」

ジョンハンは目をパチパチと数回瞬かせ、つい1時間ほど前の会話を漸く思い出して挑戦的かつ妖艶に笑った。

「うん、ちゃんと言っといて、絶対」

ユンジョンハンはそれだけ言うとクルリと体を反転させ、いとも容易く境界線を飛び越えた。瞬間スンチョルはジョンハンを懐に招き入れ伸ばした腕を腰に回す。まるで見せつける様なその流れはウォヌの思考も体も冷たくさせた。が、反して瞳に宿る闘争心と焼きつく様な熱い視線。


それに気づいたのはやはりスンチョルだけだった。
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