ハニ受け3

□泡沫彼方
1ページ/1ページ

ちゃぷん、と鳴る水の音に一つ、ふぅ、と息を吐く。
湯船に張った水は冷たく、久しぶりに触れるその感覚が心地よい。やはり、水浴びは最高だ。
思わず気を抜いてしまう。ぶるりと身体を揺らせば、視界にはキラキラと淡青い鱗が輝く下半身。自分でも久しぶりに見るそれは相変わらずよく目立つ。
誰もいない宿舎で一人、内緒の水浴び。腰から下が魚になる俺は、いわゆる人魚という存在なのだろう。自分でもよくわかっていないこの体質を知っているのは親と、俺と同じ体質の祖母だけ。一生きっと、彼らしか知らない。
ピシャリ、と尾びれで水面を叩く。

「泡になって消える、か。」

俺は物語のお姫様とは違って、こうして陸で過ごすことも、もちろん歩くことも、話すことも、何でも出来る。
出来ないのは、人を心から愛する事だけ。
胸を焦がすほどの恋も、この身を投げ捨てても守りたい愛も知らない俺は多分、普通の人になれない代わりに泡になって消えることもないのだろう。愛し愛される感覚が、ドラマを見ても本を読んでも理解出来ない。そんな自分を気付かれないように、時折冗談混じりの独占欲を演じて、日々を過ごす。
愛を知れば何かが変わるのだろうか。

「んなわけないか…」

「ハニ…?」

「えっ?!わっ、し、シュア?!」

動揺にぱしゃん、と水が揺れる。ダメだ、間に合わない。
ドアの向こうの人影が揺らり、と動く。開けるな!という言葉と同時に開かれた扉の先、目を丸くする彼の瞳に映る自分の鱗の輝きに、言葉にならない絶望が襲う。
全て、失ってしまうのだろうか。

「…綺麗だね。」

「えっ……」

「やっぱりハニは綺麗だね。」

にこり、といつもの笑顔を湛えて微笑む彼に、上手い言葉が見つからない。
いつの間にか閉められた浴室のドア。目の前の優しい微笑み。甘い言葉。そして、唇に柔らかな感触。
綺麗なのはお前の方だろ、という反論は声になる前に飲み込まれて、唇の感覚を自覚した瞬間、感じたことの無い胸の痛みが、ずきり、と響いた。

「っ、……」

どれくらいそうしていたのだろうか、触れるだけのそれから逃げるように顔を逸らして、垣間見た彼の瞳は妖しいくらいに綺麗で。

「綺麗だよ、ハニ。」

「シュア…気持ち悪く、ないのか…?」

「どうして?こんなに綺麗なのに。」

そっと、伸ばされた手に触れられた鱗が熱を持ったように疼く。そのまま誘われるようにもう一度塞がれた唇は容易く割り開かれ、全てを絡め取るように奪われていった。

「ハニ、すごく綺麗だよ…可愛い…」

彼の甘い言葉が、ずきり、ずきりと胸を締め付ける。苦しくて、上手く息が出来ないのはキスのせいなのかそれとも…。自分でもわからないそれを自覚してしまったら、俺はどうなってしまうのだろう。

「んぁっ、……ん、シュア…んんっ…」

くらくらする意識の中、ぴしゃん、と水が跳ねる音がする。キラリキラリと輝く尾が宙を踊る。彼に触れられた所からじわじわと熱を持つ尾が苦しくて、逃れるみたいにまたばしゃり、と水面を叩く。
跳ね返る水飛沫など気にもとめずに呼吸を奪われ続けて、とうとうくたり、と身体を預ける頃、頭の先から濡れた彼が前髪を無造作にかきあげてこちらに微笑んだ瞬間、どくり、と胸の奥を重い響きが揺らした。

「好きだよ、ハニ。僕だけの人魚になって?」



否、という答えを選ぶという選択肢などなく、こくり、と頷いたあの時から俺は彼の恋人となった。
とはいえ、大きな変化があったわけではなく、いつも通りの日々に時折甘い時間が混ざるのと、彼の監視の元で水浴びをする機会が増えたくらいだ。

「本当に綺麗だね。」

「ありがと。」

「気持ちいい?」

うん、という返事を待たずに塞がれた唇。この全てを奪われてしまいそうなキスが少し怖いと言ったら、彼はどんな顔をするのだろうか。
するり、と触れる手が尾ではなく脚に触れたら。彼と心も体も繋がってしまえば、俺は二度とこの綺麗だと褒められた身体に戻れなくなる気がする。誰かに言われた訳ではないけれど。それでもいざ、そうなってしまえば俺はきっと拒めない。
綺麗な姿では無くなった俺をそれでもなお、彼は愛してくれるのだろうか。

「ハニ?」

「なんでもない……そろそろみんな帰ってくるから、戻らなきゃ。」

「…そうだね。」

「先に出てて。」

裸の自分を見られるのは水浴びで慣れているはずなのに、脚がある姿を見られるのはなんだか恥ずかしい。今まではそれが普通で、これからもそのはずなのに。

「…ねぇハニ、僕の前では戻りたくない?」

「え…?」

「どんなハニだって僕は受け入れるよ。」

切なげに揺れる彼の瞳から逃れるみたいに顔を逸らす。その言葉を信じていいのかと、疑ってしまう自分がまた嫌で、何も言葉が出ない。

「ハニ…」

「んっ、…ゃ、……」

「信じて?」

与えられる甘い口付けに、彼の切なげな瞳に、流されてゆく。怖くてたまらないのに、いつの間にか戻ってしまった脚に触れられた瞬間、身体中に電流が走る。もう、逃れられない。
執拗な程にぐずぐずに溶かされて繋がった身体は、喜びに声を上げるようにびくびくと揺れる。それでも心の奥の方では嫌だと悲鳴を上げていて、なんだか、おかしくなってしまったみたいだ。
一際激しく求められた身体は逃げるように意識を飛ばす。暗転する世界の中で、大切な何かが消えてゆく感覚がしたような気がした。



「ハニ…?起きた?」

いつの間にか運ばれたベッドの上で、うん、と擦れ気味の声で返せば、甘いキスが降ってくる。触れるだけのそれに流されるまま応えて、見上げた先の彼の瞳に映る自分の顔があまりに泣きそうで、思わず笑った。

「ハニ?」

「…何でも無い。」

「そ。シャワー浴びる?」

いい、と返して布団を被る。怪訝そうに俺の名前を呼ぶ彼の腕を引いて、抱き込む。自分から離すことはしたくない。彼が離れてしまわない限りは。愛される事を知ってしまった身体は、もう孤独の寂しさには耐えられない気がする。
嬉しそうに隣に身体を沈める彼があやすように頭を撫でる。いっそそのまま溶けるみたいに消えてしまえたらいいのに、とそっと瞳を瞑った。


***


ハニが寂しそうに笑う事が増えた気がする。
手を伸ばせば嬉しそうにくっついてくるし、甘えてくる時もままあって、そんな時は相変わらず可愛くて頬が緩むのを自覚する。ただ、ふと見せる顔に憂いが増えた気がするのだ。
それからもう一つ。ハニはあの日以来、水浴びをしなくなった。

「ハニ、シャワー浴びる?それとも水浴びする?」

「いらない……もっと。」

まただ。水浴びと言えば首を振って、誤魔化すみたいに腕を伸ばしてくる。それでも抱きしめれば嬉しそうに笑うから、それ以上は何も言わなかった。
そんな時、どこか泣きそうに笑っているのに気付いているのだろうか。でもそれに気付かない振りをする自分もずるいのだろう。
求められるまま与えて、繋がって、幸せなはずなのになぜ、どこか寂しそうなのだろう。

「ハニ…」

きゅ、と丸まるように眠る彼の頬を撫でて、唇にそっとキスをする。もし、彼が別れたいと言っても、逃げる脚の自由を奪ってでも離してやれそうにないと思った。
するり、白く滑らかな太ももを撫でて、そこに口付けを落とす。
あの不思議な色に輝く美しい尾も魅力的だけれど、こうして繋がって愛し合えるハニの姿がやはり好きだ。

「愛してるよ、僕のお姫様。」

「何それ…」

「ふふ、起きてたんだ?」

ハニの綺麗な脚が好きだな、と思って。そう返した瞬間、眠そうにしていた瞳が驚きに見開かれて、視線が絡み合った瞬間、ぽろり、と涙を流した。
慌ててどうしたの、と次々とめどなく溢れる涙を掬っては泣かないで、と額を合わせて、そうして見つめた先に見えたハニが、苦しそうに一言呟く。

「もう、このままでしか居られないんだ…。」

もう人魚にはなれないけれど、シュアがあの姿の俺を愛しているならどうしようかと、一度愛される事を知ってしまった身体はもう戻れないのだと泣く彼の瞳を拭って、額に一つ口付けを落とす。
どんな姿も綺麗な彼のあまりの美しさに目が眩んで、夢中で捕まえたはずの彼が酷く脆かった事に、こんなにも胸が高鳴るとは思わなかった。
愛し愛されて戻れなくなるなんて、なんて儚くて愛しいのだろう。離れたくないと彼が必死で自分の腕を掴んでいたなんて、なんていじらしいのだろう。

「どんなハニも愛してるって、言わなかった?」

「でも…!」

でもじゃないよ、と唇を塞ぐ。んん、とまだ何か言い足りないのか唸る彼を無視して、くたり、と力が抜けるまで言葉を奪う。もうどんな事を言われても、彼への思いが膨らんでゆくばかりで、逃げるどころか離してやれそうには無かった。

「ユン ジョンハン。」

僕は君を一生愛し続けるよ。まるで結婚式の誓いのような言葉を彼に捧げて、抱きしめる。
しわくちゃになったシーツの上、長くてボサボサの髪、ぐちゃぐちゃの泣き顔、そして、君の白く滑らかで美しい脚。
君の全てを、心から愛してる。
次の章へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ