skmくん受け10

□その未来は今
1ページ/6ページ

明るい声と笑顔を思い返して、目を閉じる。
脳裏に蘇るそれは少し遠くて、すぐに瞼を上げた。
このごろ、さくまくんの仕事にロケが増えた。
それもちょっとしたものではなくて前泊や後泊があるような、1日2日かけて行うがっつりしたもの。
その日の仕事が全部終わった後、下手したら日付が変わってからロケ地へ移動したり、深夜までロケがあってホテルで少し寝て朝イチで戻ってきたり。
仕事だから仕方ないといえばそれまでだけれど、ここのところ毎週のように予定が組まれていてあまりにハードだ。
撮影や台詞覚えで分刻みになっている俺とはまた違う、物理的・身体的に負担のかかるスケジュール。
その合間にYouTubeやラジオの収録もあって、更に彼はメンバーが出演した番組やラジオも欠かさずチェックしているから、もともと少ない睡眠時間を尚のこと削っていると思う。
あのさくまくんが自分のラジオで、やりたいことできてないんだよね最近バタバタしててさ、なんて云ってしまうほどに。
「…、」
ふう、と小さくため息をついた。
このことを考えはじめると、台本は入ってこない。
さくまくんは元気なキャラクターで体力もあるけれど、身体そのものはデリケートで精神的にもストレスを抱えやすい。
ここ数週間のすれ違いの激しさに、心配がつのる。
絶対に無理しているし、それを誰にも悟らせずにやり過ごすのが絶望的に上手な人。
朝の情報番組のための遠征は仕方ないにしても、そんなにヘビーなロケを何度もする必要ってあるんだろうか。
さくまくんは何の仕事か教えてくれないし、あべちゃんたちも知らないと云うし。
いくら俺の部屋の合鍵を渡してあるといっても、前泊や後泊をされたらそもそも来てもらえない。
必然的に会えない日が続いて、最後にふたりでゆっくり過ごした日からもう数週間が経つ。
なによりもどかしいのは、声を聞かせてくれないこと。
YouTubeやラジオを再生すればもちろん声は聴けるけれど、それはあくまで仕事中の佐久間大介で、俺が求めているのは恋人のさくまくん。
なんだか遠く感じてしまう。
ロケが増え出してからのさくまくんの連絡は個人的にもグループにも明らかに減ったし、電話しようとするとやんわり阻止されることが続いていて。
代わりのように、自撮りや音声の消された短い動画を送ってくれる。
どうしても疲れが声に出てしまうからと、俺を心配させないための気遣いが滲んでいて、そのたびに胸がきゅうきゅうと啼く。
体調管理も仕事のうち、そんなの彼が一番わかっている。
でも、そうじゃない。
どんなに疲れていても、むしろ疲れているからこそ。
会えないならせめて、声が聴きたい。
柔らかく俺の名前を呼んでくれる、澄んだ優しい声。
頭の中で再生されるそれは静かで甘くて、余計に焦がれてしまう。
「…、ふー…」
珍しく仕事が午前中で終わった昼下がり、久しぶりに遊んだ愛犬は満足してリビングで寝ていて、台詞を覚えるなら今が絶好のタイミング。
ついでにいえば明日はグループ全体での仕事があって、もう少し待てば会える。
けれど違う、というより、それが一番しんどい。
そこでしか顔を合わせられないなんて、正直拷問に近いとすら思う。
目の前にいるのにずっと話し込むわけにもいかない、手も繋げない、抱きしめられない、匂いも嗅げない、キスもできない。
そしてお互い仕事が終わればきっとすぐ、次の現場に移動しなければならない。
彼のことが頭から離れなくなって、台本を放り出した。
寝室のドアを開けて、ベッドに腰を下ろす。
「……」
このベッドもマットレスも、ショートスリーパーのさくまくんのことを考えながら時間をかけて新調したもの。
ついでに肌の弱い彼のために、シーツもタオルケットも掛け布団カバーも枕カバーも綿100%の優しい素材を選んだ。
枕に顔を埋めてみる。
ふたりでゆったりと眠るためにオーダーメイドした、睡眠をサポートしてくれる大きなそれ。
しばらく彼を受け止めていないから、もちろん俺の匂いしかしなくて。
この寝具一式は一緒に暮らすときに新居へ持っていく、未来への投資。
ごろりと仰向けに寝転がれば、引いたカーテンが目に入る。
さくまくんが俺のために自分の寝室のカーテンを高級遮光カーテンにしてくれたのを見て、同じメーカーの色違いを購入した。
お前マネすんなよお、と照れ笑いする彼を抱きしめて眠ったのは、いつだっただろう。
寂しがりやで不安の大きい彼を守りたいと思っているのに、最近は俺の方が寂しがっている。
「…さくまくん」
口から勝手にこぼれ出た愛しい名前。
そうしたら尚更寂しくなって、ぐっとくちびるを噛みしめた。
今すぐ会いたい。
さくまくん、さくまくん、さくまくん。
指が勝手に仕事用のスマートフォンを操作して、グループのスケジュールを呼び出す。
もう見慣れた彼の欄には、今日もロケの文字。昨日の深夜に現地入りしている。
夕方まで撮影してまた深夜にとんぼ返り、明日は早朝からグループ全体での仕事。
忙しいのはありがたいことだけど、だけど。
そこまで考えて、スマートフォンも放り出した。
さくまくんがハードスケジュールをこなしている理由を、わかっている。
それでも、
「…だめだ」
さっきから何を考えても、でも会いたい、だとしても会いたい、になってしまう。
プライベート用のスマートフォンを取って、彼の個人チャット画面を呼び出した。
今朝送ったメッセージには既読がついていて、少しだけほっとする。
けれども返事はまだない。
今、ロケ中だよな。
電話は出られない、というか持ち歩いていないはず。
ならば。
―さくまくん、お疲れさま。
お願いがあって、どうしても声が聴きたいです。ひとことだけでもいいから。
今日はもう家にいるし、遅くなってもいいから電話ください。
思っていることをほとんどそのまま打ち込んで、勢いで送信アイコンをタップした。
こういうのは考えてしまったら送れなくなる。
と。
「、えっ」
すぐに既読がついて息を呑んだ。
何もできないでいるうちにスマートフォンが振動して画面が着信モードに切り替わって、愛しい名前が表示される。
ほとんど反射的にスワイプして、耳に当てた。
「さくまくん?」
―あ、れん。いま、だいじょうぶ?
「うん、ごめんね無理云って、」
―んや、俺こそごめん、我慢させて…
「ううん。それより今なにしてるの?休憩?」
―あのさ、れん
「うん?」
―…今から、れんのとこ、行ってもいい?
「えっ」
どうしたの、とかロケは、とかたくさんのことが頭をよぎる。
でも聴きたくてたまらなかった電話の向こうの声は、なんだか弱々しくて。
いつもの心地よい張りがないその音は、ひどく脆く耳に届いた。
―いや、ごめん。やることあったらいいんだけど、
「ううん、来て。むしろ迎えに行く。どこにいるの?」
―…ん−、と、…俺が行くから、家にいてほしい。
「嫌だ、早く会いたい。どこにいるか教えて」
―蓮、お願い。待ってて。
「……っ」
ずるい、と思った。
さくまくんがこんなに切実な云い方をするなんて、ほぼないことだから。
もう数年付き合ってきて、片手で数えられるくらい。
そんなふうに云われたら、俺の答えなんて。
「…、わかった。どのくらいかかるか教えて」
―ありがと。じゃああとでな。
「っちょ、」
ぷつ。
無慈悲に元の画面に戻ったスマートフォンを呆然と見つめた。
何かおかしい気がする。
ロケは天候にも左右されるし、予定が変わることはままあるけれど。
だからといってさくまくんは恋人の家に直行するタイプではない、というかまず自宅に帰って一息つこうとする人種。
そして今日のロケは北関東、予定が変わってすぐ連絡をくれたのだとすれば、ここに着くまであと数時間はかかるはず。
でも。
さくまくんが、来てくれる。やっと会える。
そう思ったら、いてもたってもいられなくなった。
けれど闇雲に探しに出て、すれ違ったりしたら元も子もない。
焦って、考えあぐねて、とりあえず浴室に向かいバスタブを洗って、キッチンへ移動してケトルに水を入れる。
冷蔵庫を開けてみたけれど、彼が来てくれる頻度が減ったために食材を買い足していないそこには飲み物と調味料しか入っていない。
でもその中の、一際主張するボトルに触れてから扉を閉めた。
ゆっくりしていってくれたら、あわよくば泊まっていってくれたらなんて。
急に慌ただしく動いたせいで目を覚まして見上げてくる愛犬に申し訳ない気持ちになりながらも、かけがえのない存在を想う。
愛犬を抱き上げてからソファに腰を下ろし、スマートフォンを手に取った。
彼とのチャットを見返す。
ここ数週間は俺からの連絡の方が多くて、返信が来ているのは半分程度。
でもそのメッセージにはほぼすべてに写真や動画がついていて、そこにさくまくんの愛を感じる。
疲れた顔も多いし、背景もさまざま。
でも必ず何かしらの、くすっと笑える要素が入っていて。
いつも俺を笑わせてくれる、大事な人。
保存し忘れているものがないか確認していると、玄関から物音がした。
「っ、」
駆け出して行く愛犬を追いかけるようにリビングのドアを開けると、ちょうど玄関の扉が開く。
そこにいたのは、
「…っさくまくん!」
「あ、れん、」
扉が閉まると同時に駆け寄って、腕の中に閉じ込めた。
驚いて身じろぎしているのがわかるけれど、気にしていられない。
ふわりと柔らかい髪が顎をくすぐって、大好きな匂いを思いきり吸い込む。
足元でぴょんぴょん飛び跳ねる愛犬と俺を彼が交互に見ているのがわかって、それでも全然離す気になれなくて。
「…蓮…?」
「…っ、会いたかった…」
耳元にくちびるを寄せて絞り出した声は、思ったよりずっと切羽詰まっていた。
掻き抱くように力を入れてしまって、くるしい、とちいさく抗議が聞こえる。
しぶしぶ腕を緩めると、眉を下げて見上げる俺の恋人。
まだ少し仕事中の空気を纏っている、ああまたこんなに顔色悪くして。
「…ごめんな」
「もういい。会えたから、もう」
さくまくんが、会いに来てくれた。
それだけのことが、こんなに嬉しいなんて。
「上がって。荷物持ってくよ」
「ん…ありがと」
名残惜しいけれどさくまくんを解放して、脇を支えて座らせる。
スニーカーを脱ぎながら愛犬に声をかけ、そのまま手の甲で撫でるのを横目にリビングへ。
1泊にしても少ない荷物を置いて、キッチンのケトルのスイッチを入れた。
洗面所をのぞくと、手を洗うさくまくんの足元でぴょんぴょん跳ね続ける愛犬と柔らかく揺れる桃色の髪。
久しぶりに会えた彼に俺よりもテンションが上がりまくっているもふもふを抱えて、さくまくんのつむじにくちづけた。
「ふ、かわい」
「…どっちが?」
「どっちも」
「…早く来て」
愛犬を片腕に移動させて、空いた方の腕で肩を抱く。
上着越しでもわかる硬い骨の感触に、胸がぎゅっと締め付けられた。
次へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ