黒薔薇
□第五話
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「坊ちゃん、お嬢様。本日もお手紙が届いておりますよ」
どさっ、と束ねられた手紙の束をそれはそれはにこやかにセバスチャンは机に置いた。それを見てシエルもスズカもうんざり顔
「もう社交期(シーズン)も終わると言うのに。くだらない舞踏会に夜遊びの相手捜し…ロンドンはロクなことがない」
『ホント…もううんざり…』
基本的に人混みが嫌いな二人はパーティーにお呼ばれしてもよほどのことがない限り行くことはなかった
「ワーウィック伯爵。バース男爵ガートランド伯爵夫人…」
お断りリストに黙々と名前を書いていくセバスチャン。その時手紙を捨てていっていたシエルの手が止まった
「これは…」
ーーー
英国の夏は短い。最も気候の良い5月〜8月は「社交期」と呼ばれ、地方の屋敷から貴族達はこぞってロンドンの街屋敷へ社交に精を出す
「坊ちゃんとお嬢様が街屋敷へいらっしゃるのは久しぶりですね」
「“あの手紙”さえなければ誰が…人が多すぎて満足に歩けもしない」
『同感』
「たまにはお屋敷を離れるのもいい気分転換かもしれませんよ。あの4人もいないことですし、静かに過ごせそうじゃありませんか」
ムスッ、としているシエルとスズカに言いながらセバスチャンは扉を開けた
「まったくこの家はドコにお茶しまってんのかしら」
「見あたらないねぇー」
ぐちゃごちゃに散らかっている部屋を見て、静かに過ごせそうじゃありませんかと言ったセバスチャン本人も言われた二人もあり得ないと瞬時に悟った
『マダム・レッド!?』
「劉!?」
「『何故ここに…!』」
「あらっ、早かったじゃない」
勝手にあさくっていた真っ赤なドレスを着た美女と、中国服を着た男がこちらを見た
「可愛い甥っ子と姪っ子がロンドンに来るっていうから、顔を見に来てあげたんじゃない」
◆元バーネット男爵夫人
アンジェリーナ・ダレス
(通称マダム・レッド)
王立ロンドン病院勤務
「やあ伯爵姉弟。我は何か面白そうなことがあると、風の噂で聞いたものでね」
◆劉(ラウ)
中国貿易会社「崑崙」
英国支店長
「これはこれは、お客様をお迎えもせず申し訳ありません。すぐお茶の用意を致しますので、少々お待ち下さい」
一番やっかいな奴らが来た…と顔をひきつらせている二人と違い、セバスチャンは笑顔でお茶の準備をした
「いい香りだ。淹れ方がいいと格別だね」
「本日はジャクソンの「アールグレイ」をご用意致しました」
「同じアールグレイでも違うモンねぇ〜。グレルもちょっとは見習いなさいよ」
「は…はぁ…」
『マダム・レッド。そちらは新しい執事?』
「ええそうよ」
「バ…バーネット邸執事をしております、グレル・サトクリフと申します」
「あんた達の執事と違って、ダメダメなんだけどね」
「それにしても…」とアンジェリーナは隣に立つセバスチャンのお尻に手をやった
「何度見てもあんたイイ男ねー。田舎仕えなんか辞めて、ウチに来なさいよ!」
「!!」
硬直したセバスチャンはなんとかポットを落とさないように死守
「ゴホン!!マダム・レッド…」
「あっ、ごめん思わず♡」
茶目っ気たっぷりに謝罪したアンジェリーナにため息し、気を取り直して話を始める
「ここからが本題だが…数日前、ホワイトチャペルで娼婦の殺人事件があった」
「何日か前から新聞が騒いでるヤツよね?知ってるわ。だけど…あんた達が動くってことは、何かあるんでしょう」
『あぁ。ただの殺人ではない』
「猟奇的…いや、最早異常といっていい。それが“彼女”の悩みのタネというわけだ」
「どういうこと?」
「被害者の娼婦、メアリ・アン・ニコルズは、何か特殊な刃物で原形も留めない程、滅茶苦茶に切り裂かれていたそうです」
「シティヤードや娼婦達は犯人をこう呼んでいるそうだ」
『切り裂きジャック…ジャック・ザ・リッパーってね』
「僕らも早く状況を確認せねばと思い、急ぎロンドンへ来たというわけだ」
「女王の番犬が何を嗅ぎつけるのか、我もとても興味深いな」
劉はふ…と笑って言う
「君達にあの現場を見る勇気があるのかい?」
『……』
「…どういう意味だ」
「現場に充満する闇と獣の匂いが、同じ業の者を蝕む。足を踏み入れれば、狂気に囚われてしまうかもしれないよ」
立ち上がるとソファに座っている二人の前に歩み寄る
「その覚悟はあるのかい?ファントムハイヴ伯爵。ご令嬢」
横目にセバスチャンはその様子を見る
「僕らは“彼女”の憂いを掃うためここに来た。くだらない質問をするな」
「ーーーーいいね。いい目だ」
グイ、と二人の手を取ると劉は歩き出した
「そうと決まれば直ぐに行こうじゃないか伯爵!!ご令嬢!!」
「ちょっと!!」
アンジェリーナは呆れたように劉を見つめた
「ったく!!男ってのはせっかちね!お茶くらいゆっくり飲みなさいよ。私も行くわ。現場ってドコなのよ劉」
「知らないのかい?マダム」
すると劉はため息
「なーんだーあ。じゃあそのへんの人に聞いてみないとダメじゃないか」
「アンタ今まで知らないでしゃべってたワケ!?」
「『(あの長い前フリは何だったんだ)』」
ぎゃいぎゃいと言い合う二人にやっぱりここでもうるさいのか、とシエルとスズカはなっがいため息を吐いた
「落ちつけ。誰も現場に行くとは言ってない」
「「え?」」
『どうせすでに野次馬だらけで、ろくに調べることはできないだろう』
「僕らが行けばヤードもいい顔をせんだろうしな」
「じゃあどーすんのよ」
「伯爵…まさか…」
「そのまさかだ」
ピンときた劉に肯定してハァ…と二人は嫌そうにため息
『私達もできるなら避けたい道だが、やむを得ない』
「こういう事件に奴ほど確かな情報を持ってる奴はいないからな」