その他・短編集

□狭間
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「ううん…、ここは、どこ」
 私はふと、背中に何かが触れていることに気付き、意識を取り戻す。自分自身のからだの見えない部分全体を、その感覚が支配している事から、私は仰向けに寝そべっている。ぼんやりとした意識で私は、辛うじてそう認識した。地面と思われるそれは、硬くもなく柔らかくもない。温度も、人肌と言った感じで、平坦だ。空気の対流も一切ない。覚醒したばかりで曖昧な触覚では、それだけしか認知する事が出来なかった。
では、ここで触覚から聴覚にかえてみよう。閉じられた瞳の中で感じる物音は、殆ど無い。強いて言うなら、若干の耳鳴りが、私の傍で甲高い音を響かせている。都会育ちの私には、この静寂が異質で気味悪く感じられた。
聴覚だけでは嫌悪感しか得る事が出来なかった私は、ここでようやく目を開けた。しかし目の前には、予想だにしない光景が広がっていた。ここまでの感覚から、私は防音処理がされた密室に閉じ込められているのだと思っていた。だが、見上げている天井と思われるものは、どこまでも高く、終点が見つからない。横目で壁を探しても、それが全く視界に入らない。灰色とも黒とも言い難い微妙な色の空間が、どもまでも果てしなく広がっているだけだった。
自分がいる場所に疑問を感じつつ、私はゆっくりとからだを起こす。自称トレードマークの黒髪が、頭が通った部分に曲線描き、謎の空間にはじめて変化をもたらした。完全に起き上がると髪は重力に身を任せ、毛先が肩の上に乗っかった。
「ええっと、確か私は…、どうなったんだっけ」
私はこう呟き、機能し始めてきた思考を巡らせ、記憶を辿り始めた。まず初めに思い出したのは、どんな状況だったか、という事。確か私は、いつも起きる時間よりも三十分寝坊した。朝食も食べずに自転車に飛び乗って、全力でペダルをこいだ。ここまでは、何の問題もない。二年間通り慣れた道だから、迷うはずがない。「なら、何故この場所にいるのか」、この時点で辻褄が合わない事に気がついた。
「そういえば、あの時、ああなって」
それと同時に、最重要とも言うべき事項も思い出した。私は確か、国道との交差点で、スピードを緩めず突っ込んだ。焦っていたからよく覚えてないけど、二十メートルぐらい手前では点滅していた気がする。その後は…、思い出せない。
「という事は私、死んだのかな」
ここまでで記憶が途切れているから、私はこういう結論に至った。私の声は誰にも聞かれる事なく、無限に広がる空間に紛れていく。その場には、ただ一人座り込む私と、出口の見えない虚しさだけが、広い空間に取り残されていた。しかし、何故か私はこういう事実に辿りついたにもかかわらず、不思議と落ち着いていた。「死」に対する恐怖ではなく、見知った状況による安心感…。この感情が何を意味するのか、私にはさっぱりわからなかった。
「もしかして、あの世、ここって」
そう考えるしかない、終いにはそう思う事しか出来なくなっていた。

  ―――残念ながら、ここは「あの世」ではない―――

「えっ、だっ、誰なの」
私以外に誰もいるはずがない空間に、突然何者かの声が響き渡った。当然私は驚きで飛び上がり、頓狂な声をあげてしまう。「私以外に誰かいるのではないか」という、淡い期待を抱きながら、キョロキョロとあたりを見渡す。だが、そこには相変わらずの灰しか存在していなかった。

  ―――この空間の主…、汝の次元の言葉で言うなら、「神」にあたる存在だ―――

「かっ、神様」
謎の声の言葉に、私は再び声を荒げる。
「でっ、でも、何でこんな所にいるの? 私って死んだんだから、あの世のはずでしょ」
分からない事が多すぎて、私の脳内メモリーが悲鳴をあげ始める。オーバーヒート寸前の私は、どこにいるのかも分からない、自称神を問いただした。

―――確かに、汝は死んだ。一言で表すなら、即死だ。記憶が途切れているのも、その影響だ―――

 私の問いかけに、その声は淡々と答える。現場にいないと知るはずの無い情報を聴いた事により、私はようやくその事実を実感する事が出来た。が、それと同時に、麻痺していた感情が蘇る。何ともいえない複雑な気持ちが、一気に押し寄せてきた。
 そんな私に構わず、声は更に話を続ける。

―――この空間は汝の住む空間から外れた場所…、次元の狭間とでも言っておこうか。時間、空間の概念の存在しない場所だ―――
 
 「はぁ」
 非現実的な言葉が、私の耳から入ってすぐに抜けていく。そんな私は意味が全く分からず、空返事しか出来なかった。
 「全然意味わからないんだけど…。何でここにいるのかも分からないし」
 声が話す度に、私に容赦なく疑問が襲いかかる。ついに私は底の無い、モヤモヤした渦に囚われてしまった。

―――それは、汝が輪廻に囚われているからだ。この空間に既視感を感じるのも、その影響だ―――

 言われてみれば、このよくわからない空間、それからこの声のセリフも、初めてじゃない気がする。目が覚めてから、何故か落ち着いていたのも、たぶんそのせい。
 「輪廻に? 私が? 私がどうして輪廻に」
 その理由が全く分からない、私は率直にそう感じた。井戸の水みたいに、無限に湧き出す疑問と共に、私はその声に聞き返す。その事さえも知っている気がし、まるで台本通りに進んでいるかのように感じられた。

   ―――それは吾輩にも分からない―――

 「は? 分からないって…。神様なのに」

   ―――吾輩も全知全能ではない。調べてはいるが全く見当がつかない―――

 声はそう言う。これはあくまで私の予測でしかないが、おそらく困った表情を浮かべている。中性的な声のトーンから、私がここにいる事が異常であると悟った。

 「調べ方が悪いんじゃないの? 見落とし…」

 ―――方法が一つしかない以上、そのはずはない―――

 「見落としたところがあるとか」、そう言おうとしたが、声に遮られてしまった。その声はこう断言し、輪廻の被害者に反論した。
 「ならその方法は? 回数は、何回なの」

   ―――十九万と、四千五百七十四回だ―――

 「そんなに…」
 やっぱり、調べ方が悪い、私は閉じた口の中で、そう呟いた。
 「なら私が代わりに調べる。私の事なんだから」
 そうしないと、解決しそうにない。私は若干のため息と共に、こう提案した。
 「私の事だから自分で解決する。だからその方法を教えて」
 私は意を決し、どこかにいるはずの節穴にこう言い放った。私の決意は今までで一番遠くまで響き渡り、それが私の本気度を表す事になった。

   ―――転生だ―――

 「転生? 生き返るってこと」
 やはり私のいう事を知っていたのか、節穴は私が言い終えるとすぐに単語を並べた。もちろん私は復唱し、その真意を訊ねる。

―――そう言う事だ。汝にとっても損は無いことだろう。十数年しかなかった人生をやり直せるのだからな―――

 「人生をやり直せる、か」
 人生をやり直せるなら…。私はその言葉を聞いた瞬間、走馬灯のように様々な事がよぎり始めた。友達の事、学校の事、家族の事…。やり残したことを、もう一度できる。なら…。
 「じゃあ、お願い、その転生っていうのを」
 私は、高らかにこう宣言した。

   ―――承知した―――

 節穴は、私の予想に反して、二つ返事で承諾した。その声に、何故か私には懐かしさが感じられた。これも、おそらく輪廻のせいだろう。節穴が言うには、このやりとりはもう何十万回も繰り返している。なら、この連鎖を断ち切りたい。ここじゃなくてあの世に行きたい、逝かせてほしい。そう切に願った。

   ―――では、始めるぞ―――

 「うん」

   ―――検討を祈る―――

 声の呼びかけに、私は大きく頷く。そして声の主がこう言うと、私の意識は強制的に暗転した。


     どうか、私の輪廻が断ち切れますように…




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