その他・短編集

□星空に燈る想い
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   ―――壱 常夜の世界―――

 「早いものね……。兄さんと出逢ってから、もう十五年も経つのね」
 ここは、とある大洋を進む船の上。星空の下の黒い画用紙に、一筋の白波を描いている。その船の甲板に、二つの陰。そのうちの一つ、ブラウンの長髪を二つに束ねた彼女が、囁くように声をあげる。白鳥座を見上げる彼女は、おそらく俺と出逢った当初の事を思い出しているのだろう。横目でしか見ていないので表情は分からないが、彼女は懐かしそうに俺に語りかけてきた。
 「そうか……、もう十五年も経つのか」
 その彼女に、俺はこう答える。隣のベンチに座る彼女の肩をポン、とたたき、俺も同じくあの時の事を回想する。今思えば、あの出逢いが無ければ、俺はこの世にはいないんだよな……。こう俺は心の中で言い、彼女への感謝を夜の潮風に乗せた。
 「今思うと、アっと言う間だったわね。十五年経った今でも、兄さんと話せるなんて、あの時の私には想像できなかったわ」
 「そうだよな。十年以上生きた奴は、俺だって聞いた事が無い。そもそも、俺以外に生きている奴がいるのかさえ分からないが……」
 生きていようが生きていまいが、俺にとっては関係ない話……。今はそうは思っていないが、俺にあるこの尻尾、他とは違うがために見放した奴らの行方なんて……。彼女がぼそりと呟いた一言で、俺の脳裏にある光景がフラッシュバックする。終わりを迎えたこの世界で突きつけられた過去の現状に、俺は思わず声をあげてしまいそうになる。だが、そうなった事で彼女と出逢えたのも、事実。なので俺は、湧きあがりかけた憎悪の念を無理やり押し留めながら、彼女の肩に置いていた左の前足を下に下した。
 「向こうに着いたら、二、三匹ぐらいはいるんじゃないかしら。南半球は被害が少ない、って支部長が言ってたし」
 そんな俺に、彼女は俺に優しく語りかける。だから、きっと仲間がいるよ、そんなニュアンスを含ませた彼女は、一度俺を見る。右目で笑いかける彼女はそっと、右に座る俺の背中を撫でる。撫でられるのはあまり好きではないが、俺にとって彼女だけは別。かもしれないな、と俺は呟き、俺は彼女の右手に身を委ねる。その手使いにではなく、灰と白の毛並みを撫でる潮風の心地よさのために、俺の表情は緩んでいた。
 「同族の行方、興味ないな」
 「そう言うと思ったわ。双波(ふたは)らしいと言えば双波らしいけど」
 分かっていながら言うお前もお前だがな。自分の中でこう呟きながら、俺はこう答える。そんな俺の反応を予想していたらしく、彼女は微かに笑う。半分まで言ったところで、彼女は赤い十字の腕章を身につけた右手を止める。そこで俺は彼女に目をやると、やっぱりね、と言いたげな表情を浮かべていた。
 「だろうな。……華莉奈、そろそろ休まなくて大丈夫か」
 「少し前に三十分ぐらい寝たから、平気よ」
 「慣れているだろうが、着いてからはそんな時間、無いからな。移動中の今のうちに休んでおけよ」
 「……分かったわ。兄さんも、あまり無理しない様にね」
 「あぁ。俺もすぐに休む。だから、先に行っていてくれ」
 それはお互い様だ。俺は目で彼女にこう言う。朝の来ないこの世界では、おそらくこのやり取りは日常茶飯事だと思っている。群れの奴らはどうか知った話ではないが、独り身だった俺は、そうだと思っている。そもそも、群れを追い出されてから華莉奈と出逢うまでの四年半、俺は一睡もしていなかった。見張りもいない状態で眠ようものなら、その先にあるのは、死、ただそれだけ。過去の産物とも言えるモノで溢れる北半球では、種族を問わずそうだ。
 そんな事はさておき、俺に諭された彼女は、波による揺れに足をとられながらも、何とか立ち上がる。じゃあ、先に失礼するわね、そう俺に言ってから、彼女は船室へと戻っていった。俺は見えなくなるまで、見守る。唯一の家族、そうともいえる、彼女の背中を……。
 船の甲板に残った俺は、彼女の入っていった扉から、頭上の星空に視線を移す。前足を揃えて座っていた腰をあげ、甲板の端へと歩みを進める。三歩分ぐらい空けたところで、俺は再び腰を下ろす。彼女にはああ言ったが、本音を言うと、今は眠りたい気分ではない。なので俺は、星明かりに照らされながら、自分達に課せられた指令を整理する事にした。


 何世紀か前にはあったらしいが、この世界に昼は無い。太陽という恒星が活動を終えたこの世界では、当然陽の光、月光も存在しない。あるのは、頭上に広がる漆黒と、そこに散る星々のみ……。この環境に身を置くようになってから知った事だが、二人の独裁者の手によって、この惑星は衰退したらしい。核兵器、細菌……、非道的な手を講じて、三百近くあった連合国と戦をしていたのだとか。そのせいで、北半球はほぼ壊滅。独裁者側も、自滅の道を歩むこととなった。それだけで話が済めばよかったのだが、事態はそれで終わらなかった。独裁者の使った核兵器により、この惑星に尋常ではない規模の放射線が放たれた。因果関係は不明らしいが、同じ時期に太陽が活動を停止。さらに、放射線に侵され、同時に使われた細菌が突然変異を起こした。特に戦の被害が深刻だった北半球に蔓延し、ありとあらゆる生物を病で蝕んでいった。それらの果てが、今の世界の現状だろう。
 話を戦から一世紀ほど進める。放射線の状況下で、病は更に生物を蝕む。これが原因で、ある病が増殖していった。一度感染すると、数時間後には死に至る……、いや、死を『奪われる』と言った方が正しいかもしれない。『腐生体』、俺達が身を置く支部ではそう呼ばれている。実際にそれに侵されたモノを見たことがあるのだが、肉体が腐り果て、血肉のみを求める汚らわしい存在……。アンデッド、ゾンビ……、そう例えると伝わりやすいだろう。一部の国を除き、北半球の国々はそれらの手に堕ちてしまった。
 この事態に直面し、北の国、更には南の国の頭、富裕層はこの惑星を捨てた。統率する者がいなくなり、文字通り世界が滅んだ、という訳だ。講じる手立てがない者は、『腐生体』へと堕ちる。七十億以上いた人々は、その数を劇的に減らし、数十万を残すのみとなった。当然、獣である俺達も例外ではなかった。
 唯一被害をおさえられたのは、北側の国では、医療の分野が発達した国のみ。俺や華莉奈がいた国も、その一つ。おさえられたとはいえ、それらの国も壊滅状態にあった。そこでそれらは、微かに残った医療技術で状況の改善に挑んだ。例え細菌に感染していなくとも、この惑星は膨大な放射線で溢れている。故に感染せずとも、癌などにより死に至る。何も手段を講じなければ、三十年も経たないうちに死に至る。獣の俺達にとっては、ただでさえ短い寿命が更に削られる事になる。そこで改良されたのが、万能細胞。それを体内に投与する事で、癌化した細胞をつくりかえる。画期的な発明だが、それ故に体への負荷もある。生涯で一度しか、投与する事が出来ない。四十年しか持続しないが、それでも十分といえる結果だった。
 話を元に戻すと、俺と華莉奈は、その万能細胞を人々に投与する使命がある。俺と華莉奈が身を置く……、いや、拾われた団体が、それを行っていたためだ。それ以来、人である華莉奈だけでなく、そうでない俺もその活動に加わっている。目的地で症例が多発してきたため、派遣されたという訳だ。
 「兄さん、一睡しても戻ってないと思ったら、やっぱりここにいたのね」
 「ん? 」
 「双波がひとりでいるなんて、珍しいね」
 「あぁ、桂里奈と隊長か」
 粗方頭の中で整理出来たちょうどその時、船室の方から声をかけられた。呼びかけられたその方に振りかえると、桂里奈以外にもう一つの影。彼女がこう言い、俺が向き直ったところで、その声は物珍し気に話しかけてくる。おそらく三十代ぐらいだとは思うが、歳不相応な口調で左頬を掻く彼。完全に油断していたので頓狂な声をあげてしまったが、とりあえず俺は、そうだが、とこくりと頷く。一匹で何をしていたの、そう訊かれそうなので、それよりも先に口を開いた。
 「潮風にあたっていると、出逢った頃を思い出してな……。少しだけ感傷に浸っていただけだ」
 「感傷に、かぁ。狐なのに、人みたいな事を言うんだね」
 「それを褒め言葉として受け取っておこうか」
 持ち合わせている情報をまとめていただけだが、それもあながち嘘ではない。狐なのに、と卑下するかのような言い回しにイラッときたが、それをあえて聞かなかったことにする。だが、話しかけられた以上無視するわけにはいかない。つき出た口元を若干引きつらせながらも、俺にとってはお決まりのセリフを吐き捨てておいた。
 「そういえば、双波と出逢ったのは、海岸近くの森だったわね。私には分からなかったけど、潮の香りもしていたわね。十五年前だから、あの時は私、まだ三歳だったかしら」
 「俺は今二十だから、そのくらいだな」
 「そんなに前に? 結構長い付き合いだって、支部長から聴いてるけど、どんな風に出逢ったの? 」
 三歳だったのに、よく覚えているな。彼女にこんな感想を抱きながら、俺はこう続ける。当時俺は五つだったが、狐の俺はその時には既に大人だった。この名前をもらったのも、その時だったな……。俺の名前の由来にもなっている、二本の尻尾をチラッと見る。すぐに前に視線を戻す。先程の言動もあり、彼の問いかけに俺はうやむやに返したが、華莉奈は何のためらいも無く話し始める。なので俺は、はぁ、とため息を一つつき、彼女の語らいに補足を加えていくことにした。
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