BL
□今日起こった、ちょっとだけ嬉しかったこと
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自宅に戻って玄関を開けたら、自分のものではないブーツがあった。
「…飯尾さん?」
見覚えのあるブーツは、確か彼のもの。
(え?え?約束とかしてたっけ?)
慌ててお気に入りの靴を脱ぎ捨てて、廊下を曲がる。
リビングのドアのガラス部分から、明るい光。
(うっそマジなに、オレ最低)
「…おー、おかえり」
ドアを開ければ、ラグに座ってソファに背を預けた、すっかりリラックス姿の彼がいた。
「ごめん、今日約束何時だった?」
「んー?いや、してないけど」
返事もずいぶんまったりしていて、確かに怒っている様子はない。
「え…今日ほんとに約束してない?」
「うん。だめだった?」
「…あぁ、そう。いや、別にいいよ。そっか」
慌ててスマホを確認するけど、メールも電話も入ってない。
飯尾さんからも。
ついでにスケジュールも見てみたけど、そこにも飯尾さんと会うなんて予定は書き込んでいなかった。
(…珍しい…)
「…みっちゃん?」
「いや、…なんでもないよ」
部屋ん中はすごい温かい。
テーブルの上の缶ビールは、二本が空でもう三本目。隣にはどっかで買ってきたつまみの惣菜の容器が置いてある。こっちはかんぜんに空っぽだけど。
テレビで流れているのは、たぶん最近DVD化されたばかりの洋画。CMで見たキャストが揃ってるし。
しっかしこの感動的なシーンの流れは、もうクライマックスってことなんですかね。
オレもちゃんと観たかったなぁ。
(…つまり、二時間くらい前からいたってことなのかな)
飯尾さんに合鍵を渡したのは、ずいぶん前のことだ。
この部屋に越してきて、部屋が片付いてすぐくらいだったかな。
約束してる日でもしてない日でも、自由に使ってくれていいからって渡した。
実際、いままでもオレが帰るより先に飯尾さんが家にいたこと、何度もあるし。
けれどそのときは大抵、連絡をくれていた。
それは来る前だったり、来た後だったり、時間帯は様々だったけれど、必ず連絡をくれていたんだ。
たとえば忘れ物を取りに来ただけですぐに家を出たときだって、「ごめん、忘れものしたから一回家入った」って、律儀にメールくれて。
台所に食器が溜まっていたとか脱いだ服は片付けろ、とか、そんな小言もいっしょに書き添えられていたけれど。
「…なに、突然。どうしたの」
「ん?今日来ちゃダメだった?」
「だからそうじゃないって」
「じゃあみっちゃん、こっち来て」
そう言って自分の隣をぽんぽんと叩く。
じゃあってなんだ、じゃあって。話繋がってねぇよ。
それに、みっちゃん、だなんて。
そんな呼び方、えっちんときしかしないくせに。
(いったいなんだっていうんだ)
荷物を置いて上着を脱いで、彼のすぐそばに寄る。
でも横じゃなくって、あえて彼の斜め後ろ、ソフの上に座った。
だって、いつもと違ういろんな事柄に悪い予感しかしない。
いたずら好きだし気まぐれだし感情の起伏激しいし。
からかわれるのか怒られるのかまったくわかんないけど、失礼なことにプッて笑いやがったからたぶん怒られるパターンではないんだろうな。
「みっちゃんさー、オレのこと、好き?」
「……はぁ!?」
「うっわー、なにそれ傷付く!」
いきなりなにを言い出すのかと聞き返せば、なぜだか彼がケラケラ笑い出した。
突然そんなことを言い出す意味もわかんなければ、大笑いする理由もわからない。だいたいビール三本で酔っ払う人でしたっけ。
「なんか今日の飯尾さんヘン」
「いろいろ考えるところがありましてねぇ」
「いっつもなんも考えてねぇくせしてな」
「えー?オレ毎日みっちゃんのこと考えてるよー?」
ソファにもたれて上目遣い。
目のクリッとしたかわいい子ならともかくさ、ぜーんぜん似合ってないけど。
「末期だな」
「なんだよー!好きなのはオレだけですか、そうですか」
いい年こいたオトナな彼が、拗ねた振りして俯いてみせた。
両膝抱えて鼻をすすって。
泣いてないって知ってるけど、わざとだって知ってるけど、オレは悪くないっていうのも知ってるけど。
「……好きだよ」
彼の頭に、自分の頭を乗せてみた。
ここならきっと顔は見られない。
見られたくなんかないし、見せられるもんでもないし、ここがいい。
「…ちゃんと、好きです」
バカか。バカじゃん。もういい加減、恋愛ごときで空回るのとか拗ねたりなんだりそういうのとか、やめませんか。
「みっちゃん」
好きに決まってるだろ。知ってんだろ。じゃなきゃ恋人になんかなるわけないだろ面倒くせぇ。
「んだよ」
「オレも好きぃー」
「…酔っ払いに言われてもなぁ」
この人の背中が大きいことくらい知っていたはずなのに、最近は考えたことなかったかもしれない。
首から肩のラインは、こんなにも細く折れそうだったっけ。
「最近あんまちゃんと会えなかったから、…さみしかったねぇ」
終わってしまったんだろう映画はいつのまにか消されていて、静かな部屋に彼の声だけが落ちる。
「…うん」
小さな返事も、かき消されることはなくて。
それが恥ずかしくて、なんだかちょっとだけ情けなくて、普段よりなんだか鼓動の音が早くって。
「会いたくて、来たんだ」
酔っ払ってる飯尾さんの声が妙に耳に好くって、抱きしめるこ力を少しだけ強くした。
END