*真夏の情事(小説)

□真夏の情事 episode.2 ナツオカ リョウ
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いつも通りの時間にいつも通りのメンバーのいる教室に着く。


今朝はいつもより穏やかな気持ちで目覚めることができた。

それが昨日の行為と、あの男の子のお陰だということは明らかだった。

昨日の温もり人肌の温度が渇いていたあたしの心を潤してくれたのだ。

もう一度彼に抱かれた後、あたしたちは特に何もなくお互いの帰路に着いた。

メールアドレスも電話番号も何も教えてもらえなかったどころか、最後まで名前すらも知ることができなかった。

それはあの男の子も「その場だけの関係」だとちゃんと分かっていてくれたからだろう。

名前すら聞けなかったのは悔しかったけど、相手もあたしがどういうつもりで声をかけたのか理解してくれていて、楽で嬉しかった。



「棗ー!!おーはーよっ!!」

自席に着くと、丁度一人の女の子が駆け寄ってきた。

「おはよう、遙」


大きな瞳と長い茶色のロングヘアーが印象深い「結城 遙(ゆうき はるか)」はあたしの友達だ。

甘えん坊な性格であたしのことを姉の様に慕ってくれている。

高校一年生の時に仲良くなって、二年生なった今でも仲良くしてくれている、とても優しくて良い子だ。

「棗ぇ、昨日の遙からのメール、気づいた?」

「メール?ごめん、読んでないや。昨日は疲れちゃって携帯見ないまま寝ちゃったんだ」

「そうなんだ。大丈夫?棗、ここ最近ずっと元気ないもんね…」

「大丈夫だよ、気にしないで。それよりメールごめんね。急ぎだった?」

「ううん、全然大丈夫!昨日出された英語の宿題の範囲が分からなくなっちゃったから棗に聞こうと思ってメールしただけだから!」

あたしの机の横に座り込みながらそう言う遙は、にこりと笑った。

優しい笑い方に穏やかな気持ちになる。

「…遙は本当に良い子だね」

「ええ?何、急に。メールくらいで怒ったりしないよう」

「んふふ。そうだよね。――――あっ!!」


教室の前の扉から入ってきた一人ののクラスメイトに視線が奪われる。

入ってきたその人は、昨日あたしを抱いた変な男の子だった。

今日も昨日と変わらず、長い前髪が左目をすっぽり覆っていて変に不気味だ。


「棗?どーしたの?」

「ねぇ、遙、あの男の子―――!」

「ええっ?」

こっそりとあの男の子に向けて指を指す。

指先をまっすぐに追いかけた遙は、あたしが誰を指さしたのか理解すると渋い顔をした。

「……あの人がどうしたの、棗」

「あの子…名前なんて言うか分かる?」

昨日聞いても教えてもらえなかったあの男の子の名前を、もしかしたら遙なら知っているかもしれない。

「夏丘。夏丘 凉だよ。だけど、なんで?あの人すっごい暗いし無口だし、ほとんど一日誰とも喋らないで本ばかり読んでる変な人だよ?あんな人の名前なんて知ってどうするの?棗」

「――――――…なつ、おか」

夏丘 凉。それがあの人の名前。

正直全然似合ってないと思うし、名前負けしてる。

アイツのイメージからすれば、もっと暗そうな名前の方が絶体似合っている。


夏丘 凉の方を見てみると、もうすでに彼は席につき、本を読み始めていた。

「本好きすぎ…」

「ね、ねぇ、棗?本当にどうしちゃったの?突然夏丘のことなんて聞いてきて」

「そんなに本ばかり読んで何が楽しいのかな」

「も〜っ!!棗ってばあ〜っ!!」



――――あんなことまでしたのにあたしは夏丘のことをなにも知らない。

夏丘は今何の本を読んでいるんだろうか、あれは昨日読んでいたものと同じなのだろうか。

夏丘は昨日のことをどう思っているのだろうか。あたしとの関係をどう思っているだろうか。

……そんなこと、名前ですら聞き出せなかったあたしに分かるはずもない。

でも、それでいいんだ。

あたし達は恋人ではなく、身体を一度重ねただけのただのクラスメイト同士なんだ。

深く知ることも知られる必要もない。

そんなことは恋人同士がすることなのだから。

あたしと夏丘の間には体の関係だけがあればいい。

名前をわざわざ遙に聞いてまで知ったのは、教えてもらえなかったのが単純に悔しかっただけで、あたしはやはり夏丘自体に特別な感情を持ち合わせてはいなかった。

心の渇きを潤せれば誰だって良かったのだから、わざわざ夏丘のことを深く知る必要なんて欠片もない。

あたしがするべきことは夏丘との関係がこれきりにならないように夏丘を繋ぎ止めること、ただそれだけ。

多少の罪悪感はある。自分が人として悪いことをしている自覚もある。

だけど、自分で潤せない渇きを潤せる方法をせっかく見つけたのだから、夏丘には悪いけどこの関係を一度きりにする気なんて毛頭なかった。

夏丘があたしを抱いてくれる内はあたしは夏丘に抱かれ続けるだろう。



「――――――つめ…棗っ!!」

「あっ…」

「もー…やっと気付いた。棗のバカ…。遙そっちのけでずぅっと考え事して。もうHR始まるし戻るねっ」

「遙、ごめんっ」

「いいよ、別に!それより調子悪いなら無理しないで帰りなね。じゃあ、また来るね、バイバイ」

遙はそう言い残して自席に戻っていった。

悪いことをしてしまった。

考え事を始めるとつい周りの声が聞こえなくなってしまう。

気がつけば殆どのクラスメイトが登校してきていて席についている上、担任の先生も教壇に立っていた。

「さーて。じゃあHR始めるぞー」

先生が教卓に両手を付き、体を前のめらせて言うと、すかさず学級の委員長が号令をかける。

「起立、令――」

「「おはようございます」」

「着席」

「はい。じゃあ今日の連絡事項を言います。今日は―――」

先生は淡々と今日の日程を話しだす。

何となく気になって夏丘を見てみると、彼は相変わらず本を読んでいた。

彼の席は教室の真ん中の列の一番前―――つまり先生の目の前の席なのだが、そんなことはおかまいなしという様子で夏丘は読書にふけっている。

「馬鹿じゃないの…」

思わず小さく呟く。

やっぱり夏丘は変な奴だ。

先生も見慣れた光景なのか特別注意をする様子は無かった。

「―――連絡は以上。あ、あと、夏丘と藍原は委員会の仕事があるから放課後図書室に行くようにな。サボるなよ〜」

「え!?」

「じゃあHRはおしまい。一時間目の準備をするように!」

先生の言葉を皮切りにクラスメイト数名が席を立ち始める。

あたしはポカンとした顔のまま動けずにいた。

まさか夏丘と委員会が同じだったなんて全然知らなかった。

いや、知ってはいたのだろうけれど今まであまり気にしていなかったのだろう。

再度夏丘に目をやってみる。

しかし彼はさっきから変わった様子はなく、ただ黙々と本を読み続けていた。




「まさかアンタと同じ委員会だったなんてね…」


放課後―――…人の少ない図書室のカウンターであたしと夏丘は委員会の仕事をしていた。

夏丘は気怠そうに返却された本の仕分けをしている。

あたしもそれを手伝いながら夏丘に話しかけた。

「朝先生に言われてびっくりしたよ。まさか夏丘と同じ委員会だったなんて本当にすごい偶然」

「………名前」

「ん?」

「なんで…俺の名前……」

夏丘は虚ろな目で本を仕分けながらぼそぼそと呟いた。

「あ、ああ、名前ね。友達から聞いたの。アンタ教えてくれなかったから」

「……ふーん」

「勝手にごめんね。…ってかさ、アンタなんか今日暗くない?大丈夫?」

夏丘自体そんなに明るいタイプではないことを昨日話して分かったけれど、今日の…というか今の夏丘は極端に暗かった。

テンションが低いというか、生気が感じられないというか…。

夏丘はそう言われても気にしていない様子で黙々と作業をしている。

「…頭からキノコ生えそうじゃん」

「………」

「ねぇ、聞いてる?」

「頭悪そうだね、今の」

「は!?」

さらっとバカにされて腹が立つ。

少しでも心配したあたしがバカだった。

「はぁ…心配して損した」

「別に馬鹿にはしてないよ。むしろキミっぽくて良いと思うけど」

「それ、やっぱ馬鹿にしてるよ」

「そうかな」

「アンタやっぱ性格悪いね」

「……」

また黙られてしまった。

馬鹿にされるより黙られる方がやりづらくってすごく嫌だ。

最初は無口なのかと思っていたけど喋るときは喋るし、この人はただマイペースなだけなのだろう。

喋りたいときに喋って、喋りたくないときには喋らない、すごく自分の心に正直な人だ。

だけど振り回されるこちらの身にもなってほしい。

コミュニケーションが取れないとどうしていいか分からなくなってしまう。

「あのさあ、その急に黙ったり返事しなかったりって少しどうにかならない?その…無視されると正直どうしていいか分からなくなる」

「……どうにかって?」

「だから、なるべく喋ってほしいっていうか…」

「なんで君に強制されなくちゃいけないの?」

「いや、強制はしてないじゃん。現に「お願い」って形にしてるし」

「俺、喋るの怠いから嫌いなんだよね。わざと喋らないようにしてるの」

「……―――」

「喋るのが怠い」という夏丘の言葉に唖然としてしまう。

そんな風に感じたことがないから夏丘の気持ちはあたしには理解できそうになかった。

「人と話すと緊張してうまく喋れない」とか、「人見知りだから」だとか、そういったちゃんとした理由がもしかしたらあるんじゃないかと考えたけど、まさか「怠いから」という自己中心的な理由だとは思ってもみなかった。


「あ、あぁ、そう……」

急に気が抜けて、夏丘が無視をすることなどどうでもよくなってしまっ
た。

あたしは目の前に溜まった仕分け済みの本を手に持ってカウンターを出た。

「本棚に戻してくる。アンタは仕分けてて…」

少し古めの木製のカウンターを抜け、本棚に向かった。
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