みじかいゆめのおはなし

□台風の日の話
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空条家の植木を物凄い雨風が撫で回している。
その音にかき消されない程度の音量で、和室の隅にあるテレビからはアナウンサーが各地の台風情報を伝えていた。



涼しいから、という理由で開け放したままの縁側から時折雨粒が入り込む。



「ねぇねぇ、承太郎、課題ってどうやったら終わるのかなぁ」
胡坐をかいた承太郎の膝の上に、頭を乗せたまま聞いてみる。

「少なくとも横になってたんじゃあ終わらねぇな」
承太郎はこちらに一瞥もくれずにもっともな返事をする。



「そうだよねぇ」
「わかってんなら、退きな。そろそろ重い。」
「退けるもんなら退きますよーぅ、承太郎のお膝が心地よいからわるいんだーい」
「…………」

承太郎の視線はテーブルの上に広げられた資料に注がれている。膝の上から見上げても、やはり整った顔立ちに、なんともいえない気持ちになる。



夏休み、もうお盆に入ろうかという頃、学生たちは夏休みの課題の存在に焦りだす。
わたしも例外ではなく、重い腰をあげ課題に取り掛かろうと一人で机に向かったもののさっぱり進まず、ならば環境を変えてみようと、お隣の承太郎の家へとやってきた。

とはいえ、一人で進まないものが二人になったからとて進むはずもなく、こうして通いなれた幼馴染の家でぐずぐずとしているのである。

承太郎はといえば、早々に課題を終わらせていたようで、特段気合を入れる必要もない自由提出のレポートに取り組んでいるらしかった。



びゅおお、と一段強い風がふいて、飛沫が顔にぺちぺちと撥ねた。

今回の台風は珍しく東京に直撃するらしい。
アナウンサーの情報だと、勢力も衰えぬままになりそうだ。



「承太郎、ちょっとこっち来て雨戸閉めるの手伝って頂戴」
襖が開いて、ホリィさんが顔を覗かせる。承太郎が返事もせずすっくと立ち上がったので、わたしは畳の上に転げ落ちることになった。ごろんという効果音は雨音にかき消されたけれど、ホリィさんの気遣う声に少し恥ずかしくなった。



いたたまれずに雨戸を閉めるお手伝いを申し出て、広い空条家の雨戸という雨戸をしっかりと閉めてまわり、元居た和室にもどってくると切り分けられた桃が用意されていた。



風が雨戸を叩きつけるので、承太郎がテレビの音量を上げる。
冷やされた桃をほおばっていると、ホリィさんがまた襖から顔を覗かせる。


「睡蓮ちゃん、おうちのほうは大丈夫かしら?」
「あ、ひゃい、…大丈夫です。家のほうは早々に雨戸を閉めたりなんやらしてきました」
「そう、それからおばあちゃんにはうちに来てること伝えてあるのよね?」
「はい、課題をしに行くって伝えてあります」

ホリィさんは、ならいいんだけれど、一応電話しておくわねとその場を後にした。



「睡蓮、おまえ課題しに来てたのか」
「…うっ、」

たしかに横になったり桃をご馳走になったりしていただけだけれど、そこはあえて突かなくてもいいじゃあないの。



と、急に部屋が真っ暗になり、雨戸が揺れる音が大きくなった、と同時に、
鋭い悲鳴が上がった。

電話をかけに行っていたホリィさんの声だ。

「え、なに!?」
急なことで状況が理解できない。

「…停電か」


部屋の中は真っ暗だ。
近所のトタンがベコベコと鳴っている、雨に打たれた木の葉が風の強さを騒ぎ立てている。テレビが消えてしまったので、そういった音がよりダイレクトに耳に入る。
しばらく待っても復旧しそうにないのでどうしたものかと思っていると、咄嗟のことに承太郎の服のすそを握り締めていたことに気がついた。




先程雨戸を閉めて回ったので、家の中はほとんど暗闇だった。
携帯の明かりを頼りに廊下を進むと、擦りガラスの向こうがぼんやりと明るい。
格子付きの台所の窓には雨戸はなく、そこから乳白色の太陽光がわずかにさしていた。


「睡蓮ちゃん、承太郎、大丈夫だった?びっくりしたわね…」
ホリィさんは目を凝らしながら戸棚のなかを物色していたようだった。

「たしかこの棚に懐中電灯が入っていたはずなんだけれど…」

探し物を手伝いに近づくと、影を作ってしまっていることをやんわりと伝えられてしまった。あぁ、すみません、ええ、いいのよ、とやっていると、背後にいた承太郎が頭上から黙って液晶で照らしてくれた。



「ホリィさんは大丈夫でしたか?さっきの悲鳴…」
「あ、ああ、あらやだ!聞かれちゃってたのね…!だ、大丈夫よ!」

あきらかに声のトーンを上げて誤魔化そうとしているホリィさんが懐中電灯を探り当て、睡蓮ちゃんのとこのおばあちゃんが心配だわ、とトーンを落とした。

携帯電話に視線を落とす。
電話をしようにもわたしのおばあちゃんは携帯電話を持っていない。家の固定電話は、停電では使い物にならない。



「承太郎、」
ホリィさんの一言で察知した承太郎はわたしをみて、
「送ってやる」
と言ったのだけれど、
ホリィさんはしばし逡巡の末、

「…わたしも行くわ!」
と付け足した。



だって、睡蓮ちゃんを送り届けておばあちゃんの無事を確認するのはいいけれど、その後こんな台風吹きすさぶ停電のなか、か弱い女の子とおばあちゃんの二人きりを残してくるなんて不安でたまらないわ!だからって、承太郎をそっちに居させたままじゃあ、聖子ちゃん一人でお留守番なんて怖くてできないんだもん!!!
というホリィさんの言い分で、わたしたちは三人、雨風の中、おばあちゃんの待つわたしの家へと向かう。

隣同士とはいえ、空条家もわたしの家もそれなりに敷地が広いため、そして容赦ない横風向かい風で、我が家の玄関につくころには汗とも雨水ともつかぬすっかり濡れ鼠だった。


ホリィさんが心配していたまでもなく、おばあちゃんは平然としたもので、よう来たね、おかえり、と出迎え、これから台風がさらにひどくなるからそのまま家でゆっくりしてゆけばいいと、ホリィさんと承太郎を迎え入れた。





着替えをすませて居間のガラス戸をあけると、わたしは固まった。同じく着替えを済ませた承太郎とホリィさんが蝋燭の明かりの中ちゃぶ台に向かっていた。ホリィさんはおばあちゃんの浴衣、承太郎は昔うちのおじいちゃんが着ていたのであろう浴衣を着ていた、普段からは見慣れない姿にドキリとしてしまった。


ホリィさんは、美術の教科書で見たことのあるような和装の洋人そのもので、マッチしているんだかミスマッチなんだかわからないが、異国情緒の趣だった。どこをとっても絵になっている。


そして承太郎については、正直、直視できなかった。
少しばかり浴衣の丈が足りていないというのもあるが、もう少し、胸元だけでもしっかりと締めてくれないとどこに視線をむかわせてよいのかわからない。
本人の意思とは無関係だろうが、自然と着崩しているのも様になっているのだから困ったものだ。


蝋燭の明かりがゆらゆらとゆれるのも、またいけない気がした。


混乱しつつ、とにかく何気なく余所に視線を固定させようと部屋の隅に移動し、おばあちゃんが出してきたのであろうラジオの周波数を合わせることにした。

一瞬固まったわたしをみて承太郎が訝しげな表情をした気がするけれど、気にしない。




その晩は、懐中電灯と蝋燭を総動員して、四人で鳥鍋をつついた。

キャンドルナイトなんてロマンチックだわとはしゃぐホリィさんに、仏壇の蝋燭でか、と冷静に突っ込む承太郎。おばあちゃんは始終にこにこして鍋をよそってくれた。
夏だけれど、台風のせいで肌寒いくらいだったので丁度よかった。




そのままホリィさんと承太郎はうちに泊まってゆくことになり、携帯も通じないので承太郎のお父さんには玄関に書置きを貼り付けてきたということだったが、台風で飛ばされた書置きなどの一切の事情を知らずに仕事から帰宅した空条家のパパは、一人心細い夜を送ったという。
 


「ところで課題はどうした」
「承太郎の家にうっかりおいてきちゃった!」
「わざとか」
「またあした課題しにいっていい?」
「…やれやれだぜ」
   

    

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