時間の概念など無いに等しいおかしな空間だが、昼夜は存在していた。夜が訪れれば心なしか心身は昂揚する。さして用もないのに出歩いたのも何となくそういう気分ゆえにだった。目的地はないが、いつも通り書庫にでも行こうか。世界中の本を集めたかのように広く奥深いあそこはそこそこ気に入っている。軽い気持ちで明かりの少ない通路を進んでいくうち、壁際に寄り掛かっている男の姿が見えた。記憶に在る像とは少し、違う、と感じたのは、その色が記憶の中のそれと正反対だからだろう。異なる点は色だけで、あとはほとんど同じだ、その時はそう思った。

 別に、予期せぬ出会いなんかじゃあない。時空さえも捻じれているので、こんな風に出会うこともあるだろう。このまま通り過ぎてもよかった。確かに浅からぬ縁はあったが、それはあくまでも自分の時代の『あれ』との間でこそ成り立つ。今目に見えている『これ』とは初対面に近い、ほぼ他人だ。こちらから立ち止まってやる必要はないし、向こうにだって至急の用件があるとは思えない。場外乱闘に当たる私闘の類は禁止であり、殺してやることもできない。ならば、と素通りするつもりだった。無視しようと思っていた。

 「懐かしい顔だ」

 思っていたが、声をかけられたなら話は変わる。相手が接触してこようというのなら無視は『逃げ』となるだろう。ジョースターに対して退くことは選択肢にない。ジョースター関係なくとも、この男に対しては絶対に。一呼吸置いてからDIOは男へと視線を流す。当然、目が合った。欠けていたピースが埋まるように、すんなりと。歳は、いくつだったか。だが本当に変わっていない。立ち姿も、顔立ちも。しいて挙げるなら、『あれ』の生命力を動とするのなら『これ』は静と表現すべきか。

 「もう二度と見ることはない、と、思っていたんだが」
 「貴様が生きる歴史とはろくでもないな。ま、そういう可能性もほんのちょっぴりはあるのかもしれん。髪の毛の先ほどの細さの、可能性がな」

 人差し指と親指でつくった隙間を擦り潰すがごとく縮めていった。それはもちろん挑発だった。わたしが敗れる世界などどうして許容できようか。そんな嘲笑を込めてわざと男を侮ってやった。DIOの知る人物、あの少年ならば、ふてぶてしく言い返してきただろう。負けず嫌いな所は偶に呆れたりもするけれど嫌いじゃあなかった。しかし今は、静寂が漂うだけだった。しばらく見つめていたが男の表情はちっとも変わらない。こいつは本当にあいつなのか。つまらなかった。兆しかけていた興味は散って消えた。

 「ふん……いずれぶつかることもあるだろう、それまで精々、今を」

 お決まりの常套句、完全なる社交辞令をくれてやろうとしたが、それは遮られた。

 「懐かしいんだ。おれにはお前が」

 夜風が吹いて、男が纏う白色がなびく。DIOを見つめている両眼、そこに宿る緑が光っている。きらきらと。否、ぎらついていた。

 「たのしいことしないか。おれたちと」

 白いコートをたおやかに、ドレスのように揺らして近付いた男に手首を掴まれた。その時、DIOは時が止まったことを知覚する。



 この部屋を、出なければ。

 くらりとぐらつく視界、とっさに両脚で踏ん張って倒れることを堪えた。壁についた自らの手を見やれば微かに震えている。それに、目眩が酷い。体力を消耗しているのは明らかだ。脱出して、休まなければ。対戦カードには一応の予定があるとはいえ、いまだ判明していないことも山ほどある、ここでは、いつ戦いの場に呼び出されるか分かったものじゃあないのだから。今は、休息が必要だ。忌々しくも誰かの手によって『割り当てられている』仮の自室へ戻れば慣れた寝床、棺桶が待っている。そこで眠るのだ。安息を。安眠を。回復を。絞り取られる前に。

 「は、はあ、く、このDIOが、ち」

 舌を打つ。はあはあと耳障りな雑音は間違いなく自分の口が発している。何ということか、息が切れている。滅多にない、こんなことは。いやあり得ない、普通ならば。だが普通じゃあない、ここは、ここには奇妙なものが溢れている。

 「足りねえ」

 ぞっ、とした。扉まであと少しという所で背後から聞こえた音に思わず歩みが止まっている。聞き覚えのある声だ、止まらざるを得なかった。なんということだ、まだ、動けるというのか。どこまで欲しがる気なのか。汗が流れる背中へ触れる熱。隙間なく胸を押し付けて物理的にも呼び止めてくる。それを温もりと呼ぶにはあまりにも熱く、一途で、振り払うなどできそうになく。脱出経路はこうして目の前に、扉を開けさえすればすぐそこに広がっているというのに、今やだんだんと遠ざかっていく気がしてならない。だが、脚はもう一歩も動かず、ドアノブへ伸ばしかけていた手もすとんと落ちしまい持ち上がらなくなった。ベルトよりもきつく強く食い込み腹にまで回されている腕をいったん外してから振り向けば、潤む瞳に迎えられて、しかしそれに見入る暇もないまま、今度は正面からあらためて抱きつかれる。吸血鬼だ、人間一人分の勢いぐらい、とっさだとしても難なく受け止められる、けれど。

 「ああ足りない、な」

 同じ声は真横から聞こえて、ぐ、と脇腹に圧力がかかって、他と比べれば柔く無防備なそこを手で押されたのだと理解する。犯人はあの白い男だ、傾いでいく景色に上がった口角が映る。あの口から始まったのだ、『たのしいこと』が。DIO、と吐息を吹き込まれながらDIOは倒れていく。不意打ちに加えての男二人分の体重、さすがにバランスを保っていられなかった。頭は、打ち付ける直前で掬われて、救われる。そのあとに導かれるのは膝の上。レザーパンツが冷たい。そういえばこの男だけはいまだにコートすら脱いでいなかったと気付く。服装のセンスは自分のそれに輪をかけて奇抜だが、色合いが見慣れた学生服に似ていなくもない。

 「DIO、おれももう、老いただろう」

 DIOにはひときわ無機質に見えていたが、ひた、と顔を挟む手のひらの、その少し硬くなった皮膚にようやく人間らしさ、年齢というものを感じた。

 「だが足りないんだ。お前でないと」

 微笑みが降りてくる。

 「足りないわたしを満たしてくれ」

 それなりの歳月を重ねてきたがゆえの芳醇な香りを匂わす、穏やかな微笑。拒否することは容易いだろう、暴れるのも簡単だ。それでも、近付いてくる、触れるその瞬間まで、ぼんやりと待っている。そうして逆さに交わすキス。認めてやるのも癪だが、感覚に、本能に、嘘は吐けない。唇に馴染み舌によく絡み、息継ぎのタイミングもぴったりと合って、一瞬でも無我夢中となるほどに心地好く。

 「ん、んん」

 二人同時に甘い声を漏らしている。

 「まさかこのおれが貴様に」
 「全部お前が刻んだことだ、おれに」

 まったく、どれほどの間どれだけの回数を重ねて仕込まれたというのだろう。どんな手管を持って掌握したのか、奴の世界の『DIO』は。知る手立てもないこの深いキス。自分の好みとしか言いようのない。最高に気持ち良い。DIOは籠絡されていく。口から得た感覚が体にも満遍なく行き渡って、脳髄から臓腑から爪の先まで熱が灯って、煽られる。ちょっと待て、と自分に問いたくなる、ついさっき、あれほど疲れ切り、乾いていたというのに。体内にこそ侵入していなかったが手に扱かれ口に吸われて、精根尽きた、もう無理だと、早く休みたいと、思っていたのに。自分の内側に潜む底知れぬ貪欲さにDIOは驚き、ついぱちぱちと瞬けば、真上にある顔がそれを認め、再びふわりと笑った。全てを肯定するように。海のように、優しく。

 胸の中の心臓が鳴って騒ぎ出して、もう止まらない。

 「承、太郎……貴様はどうして、こんなに」

 こうも大胆に、淫らに、あるいは素直になったのか。空条承太郎は変貌を遂げた。DIOの手によって。だがその経緯をDIOは知らない。知らないが、これをつくったのは別軸ながらも自分なのだと思うと、DIOの体中に生まれるのは歓喜だった。力が、漲ってくる。我ながらおぞましいほどの回復力、それと底の見えない支配欲だった。いっそ笑えてきて堪らなくなる。訳の分からないままに絞られ終わってしまった先ほどまでとは違い、今ははっきりと自分の意思を持ち、快楽に浸ろうと決める。三対の緑の瞳、それぞれへ、DIOもまた情欲に滲む赤色で応えた。第二ラウンドといくか、相手をしてやる、と。

 「承太郎がこうなったのはてめぇのせいだぜ、というやつだ」

 DIOの知る頃よりも二十は歳を重ねた承太郎は若者言葉を懐かしそうに口にする。張りは落ちたがその分やわらかな彼の顔をDIOは一撫でして、お次は、と、自らの下腹部を見た。DIOが乗り気となったことを察してか、さっそくと言わんばかりに股ぐらへ顔を埋めようとしているこの少年はエジプトカイロの夜にDIOが抱いた承太郎だ。年若いゆえの我慢の利かなさよと、頬に手を滑らせる。これの肌は血色が好く、瑞々しく、張りもある。指の腹で感じる体温の下には真っ赤な血が力強く流れているのだろう。微かな脈動がいとおしかった。何度か撫でてやるとうっとりと目を細めるその様、すぐ傍から聞こえる羨望の息遣いに、なお笑みが深まる。さっきも一番積極的であった白い承太郎へは暫しの『待て』を命じて、DIOは十代の体を目で堪能する。赤く色付いた頬、首筋、犬のような体勢でこの手に甘える承太郎を抱き続けていけば、いつかこうなるのだろうか。DIOより未来を生きる承太郎は、視線が合うと嬉しそうにその目を細めた。

 「妬けるな……若さには敵わねえか?」
 「まァ待てよ、ああ、お前並みの技巧をこいつに覚えさせてやりたいと思ってな」

 可愛がる場所を頬から額へ移した手で帽子を払って、黒髪に触れて、そこから一気に力を込める。

 「うッぐ!」
 「生温いぞ承太郎」

 お望み通りに、わし掴んだ髪を股間へと容赦なく押し付けてやりながら、告げる。

 「本気で欲しければ、そら、もっとねだれ。必死に頬張ってみせろ」
 「んぶ……う、あふッ」
 「わたしがその気になったからには半端は許さん。感じさせろよ貴様の全てで」

 欲しいけれど主導権を握られるのは不服といったところか、睨み上げてくる瞳。それとはまるで対照的に、承太郎の小さめの口は従順にも精一杯、大きく開いていく。程なくすれば布越しに伝わる熱さがある。熟れた口内、濡れ切っている舌、丁寧にねぶられる感触。歯を立てまいとしながらも、口の中で独り占めしたがっている健気な姿。どうしたって血液は集中していって、体積を増した。ただでさえ含み切ることに苦労していた若人は悪戦苦闘している。DIOにとって最も虐め甲斐があるのはやはりこの承太郎だった。苦しさに歪む顔はとても馴染む。もっと愛でてやりたくなる。舌使いの拙さをこれから染め上げていくことへの愉しみにDIOは胸を躍らせた。そこへ割って入る者がいる。

 「退きな」
 「あ、てめえ」
 「お前はDIOを焦らし過ぎだ。おれも待ちくたびれたぜ……待て、は終わりでいいだろう?」
 「よかろう。やってみろ」

 喉で笑い、許可を顎で示せば、幼い自分を押し退けてポジションを陣取る。

 「ガキはそこでよくよく見てな」

 正義の色、眩い純白を身に付けながら唇を舐める舌の、赤いこと。既に白濁が付着しているその白いコートを脱ぎ捨て去って下肢に頭を落とす。どう見ても発情した獣、それも雌染みている。

 「はしたないやつだ。先祖が泣くぞ」
 「言っただろう懐かしいと。お前のかたち、お前の味、ぁ、全部、ぜんぶ」

 会えないと思っていた、この手で殺したから。だけどまた出会えて、触れられる。これがまやかしであっても今は溺れていたい。そういった声なき声が聞こえる。冷静なようでいて心は、本来ならあり得ぬ再会に燃え盛っている男だった。この承太郎は恐いくらいに一途で、下手をすれば燃やされてしまいそうだとDIOは思う。衣服から取り出したDIOの熱芯をじっくりと見つめて、頬擦りして、キスをする承太郎の眦から、いつの間にか流れている涙を見つけて、それ以上の揶揄を止め、黙って好きにさせた。承太郎にこれほど深く想われていたことに、何も感じないわけがなかった。

 「んッ、む」
 「う、ン……ぁ、いい、ぞ」
 「感じてくれているようで何よりだ」

 唇で食み、吸い上げる。感じるポイントを的確に刺激され、身を震わせるDIOの髪を、大きな手が撫でる。ゆっくりとした、大らかな動き。自分もつられて泣きたくなるほどの安心を得つつ、

 「早くいけ。ヒマだぜ」

 『待て』をくらっている仏頂面には微笑みを返した。ああ、このあとはお前を抱いてやる、そんな想いを込めて。



 「あ、あッDIO……DIOッ」
 「どうした? もう終いか」
 「も、っと、つ、突けッ強く、う」
 「くれてやる」
 「ひあ、ああッ」

 逆に焦らしに焦らされてやっとお預けから解放された承太郎が腰を揺らす。尻の締め付けは並みじゃあなく、食い千切られそうなきつさがDIOの性感を高める。口で一回、体内で数回、DIOの欲望を飲み込んだ承太郎は現在ザ・ワールドに相手をさせている。スタンドとなんざ不健全だぜと言っていたが案外嵌っているらしく、ザ・ワールドと感覚を共有するDIOは満足していた。水音、肉と肉がぶつかる音、嬌声が入り混じる、さながらサバトのような空間。そんな中、年長者である承太郎だけはあいかわらず乱れることなく行為を見守っていた。

 「いい加減、はッ我慢も飽きた、ろう」

 こいつを飛ばし終えたら次は相手してやろう、とDIOは牙を見せた。しかし、

 「このままでも問題はない」

 DIOのものも、ザ・ワールドのものも、なくても大丈夫だと。そう首を振る承太郎の言うことを分かりかね、首を傾げる。

 「要らんのか?」
 「欲しいさ。この歳でもお前を前にすれば疼く……でもおれはソレじゃあなくてもいけるんだ」

 すくっと立ち上がり、コートの裾を摘まみ、持ち上げてみせる承太郎が三度微笑む。

 「DIOの手首までなら入るから」
 「なんッ? 手、だと…!」

 アブノーマルな告白にDIOの時は停止した。

 おいそちら側の『DIO』よ、承太郎になんというものを突っ込んでいる。

 夜は長い。淫靡な夜会は続く。



 かつかつと足早に目指すのは会場だった。そろそろこの先の予定が発表されていることを期待しての前進だ。次こそは、とこの一歩一歩に願を掛けている。ジョジョとの対戦はまだか、と。ここへ来てからというもの、ディオの頭に思い浮かぶのはそればかりだった。ジョナサン・ジョースターと決着をつけるよりも前にこんな世界に召喚され、第三者の存在によって全ての顛末を知らされてしまった。自分は首だけになって生き永らえジョナサンの体を奪って復活する。色々な意味でとんでもないエピソードだ。そんなものを他人に聞かされる見せられるだなんて、ディオとしては冗談じゃあなかった。数ある未来の一つ、と前向きに考えるにしても、このままでは落ち着けないのだ。これを解消するには一度感情を昇華させなければならないと思った。どうせならこの世界でジョジョと一戦を。そして勝利を。それが目下のところ、ディオの望みだった。

 「あんまり急ぐと危ないぞ」

 突然、ディオはつんのめった。まさか無様に転ぶことはなかったがその手前まで体は傾いでいた。足を引っかけられた。このディオが。いつの間に。スタンド使いってやつか。すぐに状況を判断し、小さな嫌がらせをしてきた相手へ向き直る。ぎ、と眼光を放った先、そこにいたのは美しい男だった。いいや美しいと言えばそれはもう美しいけれど、ディオの美意識からはいささか外れた美だ。露出の多い格好も、くびれた腰も、赤い唇に赤い爪も、なよなよしく見えて仕方がない。これが未来の己だと、周りは言う。信じ難いし受け入れ難いが、嘘や幻でないことはディオ自身、ひしひしと感じてしまっている。吸血鬼として百は年上の男。自分とジョナサンとが一体になった姿は雄々しく、眩しい。それゆえにいけ好かない。

 「どけ。おれは急いでいる」
 「この馬鹿げた世界で何を急くことがある……いや大方、お前はお前のジョジョにご執心なのだろうが、なァ」

 伸ばされた腕を避けたはずなのに。ぎりぎりと掴まれている顎骨は今にも砕けそうで、痛みに顔を歪めたディオをDIOはさらに力づくで引き寄せる。

 「ふッ……ぐ、う」
 「たのしいことしないか……わたしのじょうたろうたちと」

 たのしいことってそれは絶対よくないものだろうし、ジョータローってなんだ、達ってどういう意味だと思うし、嫌な予感は際限なく湧いてくるのだがそれらより何よりも、吸血鬼であるDIOの頬がやつれていることと、少しの間交代してくれと呟かれた泣き声に、ディオは言い知れぬ不安を感じるのだった。



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