道端で空条承太郎を拾った。正確には、道の脇というか、寂れた店と店の間というべきか。どちらにしてもいわゆる寂れた路地というやつだが、とにかく、承太郎はそこに居た。空き缶や紙袋といった道端のゴミと共に転がっていた。地べたに尻をついて。砂に塗れて。血を流して。壁に寄り掛かかった体勢で、倒れていた。それでも、ぼろきれのようだとか汚いゴミに混じるだとか、ましてやそれと同化するだとか、そういった惨めな様子はまったくなかった。場所など、関係がないのだった。本物の宝石はどこであろうと自分自身の輝きによって光るものであり、泥の中に在っても星は星、そうとよく分かる光景だった。承太郎は倒れていてさえ、そのぼろぼろの体のどこかに、真っ白く気高い矜持を保っていた。敗残者には見えなかった。

 だから周囲を見渡してみた。夜でも目立つほどに抉れた地面を見つけた。漂う硝煙の臭いが鼻孔を通った。なるほど、と思った。なるほどここは戦場だったのだと。承太郎を起点にして、辺りには戦闘の気配が色濃く残っており、目を閉じれば先ほどまで行われていたであろうその戦いが想像の中で描かれるのだった。状況から推察すると、激戦に勝ったのは承太郎だろう。というか間違いなくそうだ。そうでないなら、承太郎が負けたのならば、こうして五体満足でいられるわけがなかった。狩人は、仕留めた証としてどの部分かを持って来るに違いないのだから。その場合承太郎が原形を留めていられるとは思えないので、すなわち、承太郎は勝った。いや、どうだろう。これも、もっと正確に表現するのなら、スタンド戦には競り勝ったが伏兵の銃に間隙を突かれた、とみた。もちろん承太郎は、その小物な狙撃手も即返り討ちにしただろう。しかしそのあと倒れるようではとうてい勝利と呼べまい。

 これほど近付けばさすがにこちらの存在にも気付くはずだが、顔を覗き込んでも承太郎はぐったりとしていた。フリではなさそうだった。つまり意識がなかった。殊勝に項垂れ、しっとりと目蓋を下ろし、目元には睫毛の影をつくり、唇からはすうすうと息を吸い、吐く。規則的に呼吸する辺り、単に眠っているとも言えた。撃たれたのは脇腹のようだった。臓器は無事なのだろう。でなければ暢気に寝るだなんて不可能だからだ。けれども……少し、思案した。

 元々、興味はあった。興味を満たす機会がなかった。その機会が目の前に転がっていた。

 重傷じゃあないけれども、手負いであるのは確実で、だから、そう、そうだったからこそ、拾ったのだった。手を伸ばしたのは、耳に聞こえるあんがい子供らしい寝息を止めるためではなく。

 「軽いな」

 持ち運ぶために。

 ひょいと持ち上げた体から香る匂いに笑みが漏れた。路地の悪臭も塗り変える赤い匂い。三大欲求の一つが疼き、それだけで酔ってしまえそうだった。

 「今が夜でよかったな。この辺りは治安が悪いと聞くぞ」

 我ながら恩着せがましいことを囁いてやると、垂れたこちらの髪が耳にくすぐったかったのか、まるで返事をするかのように小さく身動ぎして胸にもたれかかってきた。もぞもぞ動く腕の中の体温を、

 「温かい」

 そう感じることが不思議だった。



 治安が悪い、その噂が大きいだけあって、人一人抱えて戻ってきても金貨の一枚放り投げれば宿屋の主人は詮索どころか視線すら寄越さない。こんなにも血を流している明らかな怪我人が、これから略取され甚振られようとしている……可能性もあるというのに我関せずを貫く。主人からしてみれば、こんな出来事など日常茶飯事なのだろう。あのまま放っておいたら本当に危うかったのだなと思い、己の下したとっさの判断に内心頷いた。今頃承太郎の連れ共は焦っているだろうが責められる謂われはなく、むしろ感謝され讃えられたっていい。

 夜の散歩がてら物見遊山をするつもりで数日前から取ってあった二階の部屋へと上がる。眠る承太郎を抱き直しながら一段一段踏み締めて階段を鳴らす。二人分の重みを受けてぎしぎしと鳴く木。耳触りな悲鳴を聞けばさすがに起きるかと思った。部屋の前まで来ても承太郎は眠り続けている。よほど疲弊していたようだ。夢も見ていないのかもしれない。

 「おふ、くろ」

 前言は撤回。いい夢を堪能中だった。母を呼んだかの唇、角度によっては微笑んでいるようにも見える。

 「悪夢にならなければいいがな」

 ここまで来たら起こすのも可哀想だとそれなりに気遣ってやり、そっと、静かに、ベッドへ下ろす。取り替えられたばかりのシーツがさっそく砂に血にと汚れていくが私物ではないので知ったことじゃあなかった。元よりこんな粗末なベッドを使う予定もないのだ、どれだけ乱れようと構わなかった。本能的にだろう、やはり寝惚けている承太郎が寝返りを打ちつつ枕に甘えるので頭から帽子がずれていく。零れる黒髪、ちょろんとした前髪に、微笑を隠せなかった。さて、しかし、問題が一つ。いくら健やかに眠りこけているとはいえ、承太郎は負傷しているのだった。人間は元来か弱い生き物。シーツの上の手負いの獣、もとい承太郎には傷の手当てが必要だと思う。それが連れてきた目的の一端でもある。その『手当て』を始める前に一度具合を確かめた方がいいだろうと、無い袖をまくった。触診というやつだ。あらためて、承太郎の脇腹を布越しに撫でてみる。指で触れたそのシャツは熱く湿っていた。医者ではないが過去の経験からして人体にはそこそこ詳しいし、そうでなくとも緩やかに続く出血が承太郎にとって良い状態とは言えないことぐらい分かっている。速やかな処置が要ることも。そして止血や肉の縫合を適切に行うには。

 「普通に考えれば脱がせるべきだが」

 ひとりごちる。自分の中の普通を基準とするのなら面倒臭いので一気にシャツを引き裂くところだ。それが一番手っ取り早い。が。

 「着替えがないってのは、困るだろう、な」

 持ち前の替えは何着かあるのだが、いずれも独創的に過ぎる衣装を承太郎が着るとも思えなくて、結局妥協した。

 砂漠の匂いが染みついた、妙なコートを肩から外す。しわになったら嫌がるだろうとちゃんと壁にかけてやった。コートを脱がせば現れる腕は想像していたよりも白かった。この身も透き通るように白い皮膚と賞されるがそれとは違う、古い馴染みの健康的な桃色の肌と比べてそれともまた違う色白。まさに西洋と東洋のあいのこという気がした。シャツをたくし上げながらがっしりとした両腕も持ち上げて、と、図体のでかい眠り子をお着替えさせるのは面倒以外の何でもなかったが、こんなことにいちいちスタンドを使いたくもなかった。なかなか、辛抱強く頑張ったと思う。上半身を綺麗に剥かれても承太郎は眠り続けている。銃撃されておいて頑丈なやつだと感嘆すべきか、油断し過ぎにも程があると呆れるべきか、迷う……緊張の糸が切れたらこんなものなのだろうか。

 「疲れていたんだな」

 気付くと、ベッドに腰掛けて、承太郎の傍に寄って、顔に触れて、目の下をなぞっていた。そこには薄らとした隈ができていて痛ましかった。常に神経を使う旅だったはずだ。

 「よくここまで来れた」

 感心すれば頬の一つも撫でたくなる……これは自然な行為だ。怪我により発熱したせいでか、冷たいものを、この指の感触を求めるように、承太郎は頬を押し付けてくる。

 「おいおいいいのか? わたしの指は」
 「ん……ん」
 「お前を……いや。まァいい、か」

 いよいよ幼児を世話している気分になってきた。真実、承太郎が幼い少年だったら手放しで可愛がってやれるのだがそうではない。無防備な喉はしっかりと隆起を描いている。浮き出た鎖骨は雄の色香を放つ。筋肉は付き過ぎということもなく全身を覆い、特に厚い胸板から腹筋、腰へと続くラインは美しいと言っても良い。造形として、男として、見事なもので、異性には求愛され同性には羨望と崇拝を向けられるだろう。どう見ても子供ではない、だが、これはまだ未完成だから、大人でもない。眠りに落ち、母を呼び、寝惚けるぐらいには子供だ。西と東の混血児は今、子供と大人との間にちょうど立っている。子供のように柔らかくはない、大人にはない生命力がある。どちらでもありどちらでもない。それゆえの魅力に溢れている。人ならば、成長する。いずれ訪れるだろう完成の日、出来上がりを、ほんの少し期待している心がある。

 「肉体的な成熟。熟れる、ということ。わたしには訪れないものを、お前は持っているというわけだ」

 遺伝子は、己に無いものを欲するという。

 ゆっくり上下する胸の上、ひたり、と、手のひらを当てた。手の下にはひとつの命。その命を刻む音が手のひらを通し響いてくる。人の心音とは、いつ感じても心地好いものだ。支配していると実感できるから、好きだった。全てはこの手一つで決まる世界がここには在る。ただ、承太郎の鼓動は本当に力強かった。掌握できない、この手の中には収まりきらない……逆にこの手を押し上げるほどの力で心臓は動き、承太郎は、生きている。思い通りにならないことは嫌いだ。それでも、跳ね退けられるような感覚、そう不快ではなかった。

 「じゃじゃ馬こそ乗りこなし甲斐があるものよ」

 承太郎を抱き起こすように腕を差し入れて、表から穴に……銃創に触れ、同時に背中側からも確認する。どうやら弾は貫通していないらしい。せっかくの生命力、その輝きに影を射す無粋な鉛がいまだ体内に残っているとは。何だか腹が立ってきた。寝る前に自分で処置ぐらいしろと溜息を吐きたいが、一戦終えたあと追い撃ちされた者相手に傷を弄れと言うのもいささか酷か。よって、これより摘出に取りかかるわけだが、あいにく麻酔はない。このいかがわしい宿ならばイリーガルな薬物も用意できようが、起きたらいきなり薬漬けというのも惨いだろう。そして麻酔に代わる手段は、もう、思いついている。それとて気が進まないものの、痛覚が活きたまま傷口を指でほじくられるよりはきっとマシだ。

 「獲物を逃さぬため備わっている能力だと思うがそれをこんな風に使うとは」

 弾痕を囲うように五指を挿入した。この指は痛みを鈍らせる。この指は肉と肉を癒着させる。今の承太郎には最良の治癒となるだろう。

 「堪えろよ。男子なら」
 「はッう」
 「大丈夫。もう終わる」

 承太郎は大きく仰け反った。背が浮く。だが押さえつける必要はない。また脱力して、反応はそれで終い。承太郎が呻いたのもたった一度。一度きりだった。当たり前だ。細心の注意を払い素早く入れた指は、あっという間、すぐに抜いている。それが証拠に一滴も吸っていない。おかげで今とても視界がくらくらとしている。なんて美味そうなご馳走だと喜び勇んで飛びついたら硬い皿を齧っていた、そんながっかり感だ。実のところ随分前から欲望が湧き渇きを覚え、誘われている……ああそうとも最初から。見つけた時から。だが耐えた。ここまでできたのなら最後までやってやる。血のついている指を振り振り、粗末な洗面台へ向かう。水道水を全開に、じゃーじゃーと響かせながら汚れた手を洗っている。おれは今なにをしているんだろう、と、思わないでもない。

 「う……だれ……だ」

 おまけにグッドタイミングときた。数秒の手術でも荒療治。刺激が強過ぎたようだ。タオルで手を拭き、甘美な匂いが取れたかどうかくんくんと嗅いで確認しながらベッドへ戻れば、承太郎が目を見開いていく。予想通りの驚愕。気付かぬはずがないのだ。肉体で繋がっているのだから。

 「だれ、か?」

 片目を瞑った。

 「誰だと思う?」
 「でぃ」
 「少し待ってみろ」

 手のひらで塞ぐ。

 「考え方を変えるんだ……そうだな」
 「ぐ」
 「親切な色男が人助けをしたと考えてみるのは、どうだ。ぼうや」
 「う」

 名前を呼べば魔法は解ける。分かるだろう。お伽噺の定番を目に込めて見下ろすと、承太郎の瞳が一瞬、揺れた。ここがどこであるかと、体力を消耗している自分が置かれた状況と、口を塞ぐ『者』の意図と、いろいろ考えて考えて考えて。それから承太郎の動揺が鎮まるのは早かった。眼差しに芯が戻り、冷静になっていく承太郎を認め、口枷を外す。茶番も意外と面白いものだ。心の中で、呼びかける。

 「そいつは世の中捨てたもんじゃあねえな。きれーなお兄さん」

 乗った、という声が聞こえた。



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