ある日、君に恋をした。

□後ろから迫る音
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この店『なごみ』を開店当初から支えて下さった野山さんが辞めることになった。

旦那さんが亡くなり、1人になってしまった野山さんは息子さん夫婦がいる県外へと越してしまうのだ。


「葵ちゃんと一緒に働けて本当に良かったわ」


優しく微笑んでくれる野山さんの胸を借りて大人気なく泣いてしまったのは記憶に新しい。


そして今日は野山さんの送別会。
お店を早めに片付けてみんなが待っているであろう、待ち合わせの店に向かう。


「葵さん!こっちです!」

「恵美ちゃん。遅くなってごめんね」

「大丈夫ですよ。お疲れ様でした」


店先で待っていてくれた恵美ちゃんと少し話して中に入る。


「お疲れ様、葵ちゃん」

「お疲れ様です」


個室に通されて、野山さんと夕夏ちゃんに迎えられる。
とりあえず飲み物を注文して揃ったところで乾杯。


「野山さん、今まで本当にありがとうございました」


かちん、とグラスがぶつかる。
普段はあまり飲み会はしないせいか、何だか新鮮さを感じる。


「…野山さんも、大変でしたね」

「夫も若くなかったからね…。しょうがないわ」


そう言って笑う野山さんの笑顔はどこか寂しさを感じさせた。

口には出さないけれど、野山さんも相当ショックなはず。
数回しか見たとき無い野山さんの旦那さんはとても優しそうで、野山さんを愛していたのが凄く伝わってきたから。


「そう言えば葵ちゃん、従業員はどうするの?」

「えっ?」

「恵美ちゃんと夕夏ちゃんは調理師免許持ってないから、葵ちゃん1人で全部作るようじゃ大変でしょう」


そこで初めて考えた。
野山さんの後任を考えていなかった。
仕込みや発注などの準備は私だけでも出来るが、調理や盛り付けは私1人だけじゃ手が足りない。

しかし今から探すとなっても一週間はかかってしまい、明後日に居なくなってしまう野山さんの後任はとてもじゃないけど間に合わない。

野山さんが居なくなってしまう事の悲しみでいっぱいだった。


調理師免許を持っていて、すぐに入ってくれる人が居るだろうかと考えた結果。

家に帰るなり私は思い浮かんだ人物に電話をかけた。


「はい」

「もしもし、サイ君?いきなりごめんね」

「葵姉さんから連絡くるなんて滅多にないから嬉しいよ」


どうしたの、と聞かれて今置かれている状況を大まかに話す。


「それで就職先見つかってないようだったら私の店で働いてみない?」

「いいの?」

「うん、サイ君さえ良ければ私は大歓迎だよ」

「お願いします」


正直期待半分だったけど良かったと一安心。
明後日から働いて欲しいと言えば、驚きの声が返ってきた。


「…そっちに住む所も探さないといけないし、明後日は」

「住む場所が決まるまで私の家にいていいよ?」

「でも葵姉さんに迷惑…」

「迷惑かけてるのは此方だし、最初からそのつもりだったよ」


そう言えばサイ君も「お世話になります」と引き受けてくれて。
いきなりだったけど何とか上手く事が運んで良かった。




「というわけで、野山さんの後任で今日から働いてもらうサイ君です」

「初めまして、サイです。よろしくお願いします」


サイ君の挨拶に恵美ちゃんと夕夏ちゃんは拍手で迎えてくれた。
簡単にサイ君を紹介して、レジの方は2人に任せる。


「それじゃあサイ君の仕事内容を説明していくね」

「うん」

「サイ君は主にこのレシピを見て料理を作って盛り付ける作業をしてもらいたいんだ」


様々な料理のレシピが書かれている本と、その作った料理の盛り付けの仕方が書かれている本を手渡す。


「そんな難しい料理もないからサイ君ならすぐに覚えられると思うから」

「頑張るよ」

「分からない事あったらすぐに聞いてね」

「うん、ありがとう。葵姉さん」

元々要領の良いサイ君ならきっとすぐに覚えてくれるだろう。


目まぐるしく変わる日常に、嫌な予感がしたのは何故だろう。




 

(それは幸か、不幸か)




 

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