”世界の歌姫”、烏合の衆に身を隠す。

□第7話
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東京に到着したのは、明け方だった。

事務所の地下駐車場に車を停め、お母さんと私は事務所の中に入った。

出迎えてくれたのは、社長と岬さんだった。



「晴花!」

「社長、…岬さん…」



お母さんが、古い知り合いでもある社長と岬さんに会釈する。
久しぶりに2人に会えたからか、声が震える。



「……詩織、が…、…っ私、…どうしたら…!」

「晴花…」



隣に佇むお母さんが、苦しそうに私を見る。



「せっかく向き合えた、のに、…詩織が…!…私…、!」

「晴花!!」



かたかたと震える両肩を勢いよく掴んだのは、岬さんで。
気づけば、岬さんの目が真っ直ぐ私を見つめていた。



「…岬さん、」

「しゃんとしなさい。それを話し合うために来てもらったんだから」

「っ…」



頷いた私は、社長、お母さん、岬さんと共に会議室に入った。







「…FAXの文面はこれよ」



会議室の机に差しだされたのは、紙。
文章が書いてあるが、そのフォントは新聞のそれだった。

"一週間以内に晴花をアイドル復帰させろ
さもなくば晴花の親友雪原詩織を殺す
自分はただ、輝く晴花を見たいだけだ"

その文面を見て、私は唇を噛んだ。
そんな私に、岬さんが尋ねる。


「…晴花、親友の子…雪原さんにこのことは?」

「…伝えてません。…喧嘩中なので」



私の言葉に、岬さんはそう…と呟いた。
お母さんが、隣で私を見る。



「…晴花、あなたはどう思うの?」

「…私…?」

「…不謹慎かもしれないけれど…詩織ちゃんのことも、昔の出来事も…何も考えないで、アイドルに復帰したいかしたくないか、それだけで考えたらどうなの?」

「………」



お母さんの言葉に、私は昨日の夜に考えたことを思い出した。


詩織と一方的にだけど向き合うことができたことで、少し心に余裕があったからかもしれない。


確かに昨日、私は「ステージに立ちたい」と…「アイドルに戻りたい」と思ったのだ。


その気持ちは今でも持っているし、出来るなら活動を再び始めたい。


だけど…実際のFAXの文面を見ると、やっぱり怖かった。

これを送った人が私に期待や恨み、どんな感情を持っていたとしても、思い通りにならなければ詩織を傷付けようとしているから。


「だけど」と「やっぱり」の繰り返しの中で、お母さんからの疑問はシンプルで考えやすいものだった。

晴花も、昔の出来事も考えないで、私の気持ちだけで考えるのなら、答えは決まっている。



「……戻りたい。…お母さん、私…アイドルに戻りたい」



あの喝采の中で、光を浴びて歌って踊ること。

これ以上の幸せは私には無いと、微笑んだ。



「…そう、やっぱり私の子だわ」



綺麗に微笑んだお母さんが、私の頭を撫でた。

岬さんに目を向けると、岬さんは安心したように息を吐く。



「晴花がアイドルに戻るなら、私もマネージャーにならなくちゃね」

「岬さん…」

「私以外に、晴花のマネージャーをこなせる人なんている?」



いたずらっぽく笑う岬さんに、私は笑う。

最後に、何も言わなかった社長に目を向けた。
社長は私の目を真っ直ぐ見ると、厳しい口調で言う。



「…晴花、休業中にレッスンは行ったか?」

「…いえ」



アイドルとして活動するのに、私は最近レッスンを行っていない。

アイドルとして戻れるくらいの歌や踊りは、一朝一夕で感覚が取り戻せるものではない。

社長の目を真っ直ぐ見た私は、告げた。



「…確かに、レッスンはしてません。…でも、戻ります。すぐは無理にでも、必ず」

「……」



社長が黙って私を見つめている間、私は社長から目を逸らさなかった。

やがて、社長がため息をついた。



「…分かった…母親に似てきたな、晴花。…FAXにある1週間後、晴花の活動再開会見を行う。それまでレッスンをみっちり受けるんだ。分かったな、晴花」

「はい!ありがとうございます!」



立ち上がって、社長に頭を下げた。

頭を上げると、お母さんは悲しそうな声音で言う。



「…でも晴花、…部活はどうするつもりなの?」

「………」



本格的にアイドルとして活動を行うなら、学校の部活動はできない。

暗にそう言われていた。
そして私はそれを、中学時代に知っている。
お母さんもアイドル時代にそうだったから、私にそれを尋ねたんだろう。



「…これから本格的に活動するなら、東京に来た方がいい。…転校する可能性もある」

「…そうですね。 …FAXの送り主が晴花の家を調べて、晴花や他の人に危害を及ぼす恐れもある」



社長と岬さんの重い言葉に、私は俯く。

俯いた顔を上げさせたのは、お母さんの言葉だった。



「…迷ったの? 晴花」

「違う」



咄嗟に、否定の言葉が出ていた。

迷っていた、訳ではない。
ただ、別れに苦しくなっただけ。

でもこれは嘘だと、お母さんを納得させるための嘘だと、…私は気づいていた。


だけど嘘にしてしまえば、アイドルに戻れる。

嘘にならないなら、私が彼らと離れる意味は何になるのだろう。

だから私は、これを嘘にしようと思う。



「…ちょっと寂しくなっただけ。…アイドルに戻るなら、仕方ないから」



私の言葉を、お母さんはどんな気持ちで聞いていたんだろう。


その日の私は結局、仮眠を少しとってからレッスンを受けることになった。
レッスンやら会見日程なども決めねばならなかったから、しばらくバタバタした日々だった。


私が烏野に戻れたのは、その三日後だった。








☆喧嘩中、という晴花の表現について
晴花ちゃんから謝罪はしたけれど詩織ちゃんは納得してないから、喧嘩中"だった"とは晴花ちゃんは言えませんでした。
これから詩織ちゃんも晴花ちゃんを許す方向に向かって、納得できたらいいですね。
細かいですが微妙なところなのです。




☆烏野のバレー部への皆への気持ちについて
晴花ちゃんがアイドルに戻るということは、どんな形ではあっても彼らとの別れを意味しています。
アイドルに戻りたい、という気持ちが大きくなった晴花ちゃんですが、彼らとの別れは避けたいものでした。
烏野にいることで晴花ちゃんも成長できたし、詩織ちゃんと仲直りしてアイドルに戻りたいという気持ちになったわけですので、恩も感謝も、マネージャーとして彼らに尊敬も感じています。
だけどアイドルに戻ることで、FAXの送り主や暴動化したファンが宮城でどのように振る舞うかは予想がつかないのです。

だったら、「自分が寂しいと思っている」ことを、「アイドルに戻れる充実感でいっぱい」という嘘で塗り固めてしまおうとしているのです。

「何かを得るには犠牲が必要」なんてよく言いますが、「アイドルに戻ること」と「詩織を助けること」を得るには、「烏野の彼らと一緒にいたいという自分の気持ち」を犠牲にしてしまおうと。
なかなか複雑な感情ですが、晴花ちゃんの気持ちはアイドルに戻る、という方向には定まっています。




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