蜜より甘く

□scene8
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その日は生憎の雨だった。
万事屋の仕事も休みだという事で名無し子は部屋の窓際で薄暗い海を眺めながらぼうっと煙草を吹かしていた。休みでも当然のように銀時や神楽に遊びに来いと言われていたがそれを名無し子は苦笑しつつも丁重に断ったのだ。

『雨なんか嫌い…』

出掛けたくないのだ。
こうして雨が降る度思い出してしまうから。
確かあの日もバケツを引っくり返したような雨が降っていた。
銀時達や寺子屋の皆が無事に帰ってくるようにと名無し子は雨が降り注ぐ天に向かってただただ祈っていて、そこへ物音が聞こえてきてもしや自分の祈りが届いて銀時達が帰ってきたのではと思い慌てて玄関へ駆け寄った名無し子の目に飛び込んできたのは下卑た笑みを浮かべた飯島だったのだ。

何故飯島がここに来たのか皆目見当が付かなかった名無し子は松陽の知り合いだという事を知っていたので何の疑いもなく飯島を寺子屋に上げてしまった。
今思えばそれは大きな間違いだったと思えるが当時は世間知らずの所詮籠の中の鳥だったので仕方ないといえば仕方がないが。

『ふふ、私も馬鹿よね。あそこであの男を上げなきゃ気絶させられて拐われる事もそしてその日に操を失くす事なんかなかったのに…』

「話相手が欲しいんなら俺がなってやろうか?」

『晋助』

いつもなら気付ける筈の気配も気付けずいつからそこに立って自分の独り言を聞いていたのかと名無し子は眉を潜めたが何を言うでもなく高杉は畳に腰を下ろし煙管を吹かし始めたので名無し子も特に自分から何かを話そうとも思わず再び外に視線を向けた。

「珍しいじゃねえか。お前が部屋ん中に籠ってるなんてよ」

『…嫌いなんだもの』

「何がだ」

『雨が。嫌いっていうか苦手なんだよね』

「ほう。怖いもの知らずのお前にも嫌いとか苦手とかそういったもんがあったんだな」

喉を鳴らす高杉に名無し子は苦笑いを浮かべてみせ残り少なくなった煙草を灰皿に押し付け新しい煙草を咥え火を点けた。

「俺ぁ雨は好きでもなく嫌いでもねえな」

『どうして?』

「雨には良い思い出も悪い思い出もあるかんな」

『良い思い出があるなんて羨ましいな。私には悪い思い出しかないもの』

「そんな筈はねぇ。よく思い出せばあるかも知れねえぞ」

『もしかして私を元気付けようとしてそう言ってくれてるの?だとしたらありがとう晋助』

名無し子がそう言って微笑むと高杉は途端に機嫌を悪くし名無し子を鋭い視線で見据えた。

「覚えてねえのか?」

『何の事?』

「ふん…これだから物覚えの悪い女は困るぜ」

『ちょっと晋助。失礼な事言わないでよ』

「…出掛けるぞ名無し子」

『出掛けるって…晋助何考えてるの。まだ夜じゃないんだよ?』

「んなもん分かってる。こんだけ薄暗くて傘さしてりゃ誰も俺が高杉晋助だと思わねえだろ」

『ちょっ…ちょっと!』

高杉によって強引に手を引っ張られそのまま自室をあとにした名無し子は高杉が何を考えて自分を連れ出すのか、そしてわざわざ雨が苦手な自分を雨の日に連れ出すなんてこれも新たな苛めかと考えつつも高杉の大きな手をしっかりと握り返し黙って着いていく事に決めた。




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