砂漠鰐は向日葵畑の夢を見るか?

□相対する二人
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 遠くで私を呼ぶ声がする。

 誰? ――ううん、誰だっていい。どうかここから私を攫って。この狭くて息苦しい世界から、私を連れ去って――



「ネーナ! いい加減起きな!!」



 古いが頑丈な造りの木製のドアをガツガツと鳴らしていたドアノッカーの音はいつの間にか止み、ベッドサイドには鍵束と箒を持って仁王立ちした女将さんと、最近隣の部屋に入ってきた新人の少女が、女将さんの横に大きな体に隠れるようにして立っていた。



「ふあぁ……アンタ、起こしに来てくれたの? ありがと」



 一つ大きな欠伸をして上体を起こし、少女に微笑みかけると、睡眠を邪魔立てして叱られるのではないかと危惧していたらしい、暗く淀んだその表情は、目に見えてパッと明るくなる。少女は一礼して、パタパタと小走りに部屋を出ていった。



「支配人にどやされる前に来てやったってのに、あたしにゃぁ礼もなしかい?」
「まさか。いつもありがと、女将さん」



 ふん、と鼻を鳴らして、女将さんはてきぱきと窓を開け、どきな、と言うと容赦なく広すぎるベッドからシーツを剥がし始めた。ベッドから投げ出された私はうわ、と声を上げる。その身体はあられもなく一糸纏わぬ姿だったのだが、女将さんは気にも留めない。私はもう一眠りするのを諦めて、大人しく洗面所で顔を洗い、化粧を済ませるとクローゼットを開けた。



「今夜もV.I.Pのおでましだーっつって、支配人ったら朝から張り切ってるよ。全く、暑苦しいったらありゃしない」
「まぁ、昨日今日だけで三ヶ月分ぐらいの売上にはなるだろうからねぇ」



 下着をつけ、パリッと糊の効いたブラウスに袖を通す。女将さんが毎日洗い立てを用意してくれるので、それを着るだけで眠気が醒めて、気持ちが引き締まる思いがする。続いて細身の黒のパンツを穿き、同じく黒のベストを羽織る。鏡を見ながらタイを結び、手首にカフスを着けたなら、準備は万端だ。



「ふん、今日もきまってるじゃないか」
「まぁ、こんなんでも一応うちの看板なもんで」



 はん、と背後で笑う声。私は仕事用の革靴を履くと、行ってきまぁすと間の抜けた声を女将さんに掛け、振り返らずに部屋を出た。



 ”南の海(サウスブルー)”に小さいながらもいくつも浮かぶ享楽の島、カジノ島。私はその中で最も歴史ある店、「Heaven's Bell」の看板ディーラーとして店を背負って立つ人間だ。一度私が店に立てば、そこは酒場より決闘場より熱気を帯びる。



――「自分でも勝てそう」、そう思わせる雰囲気を、お前は持ってるよ。



 いつだったか、「あの男」に言われたことがある。ディーラーとして喜んでいいのか悪いのか、よく分からずに曖昧に笑うと、男は続けた。



――だが、勝てねェ。お前はそれを当たり前のように振る舞う。それを見て、客は思うんだ。「この女が負ける様を見てみたい」、ってな。



 スカした女の乱れる姿が見たくて口説くのと一緒だ、と男は笑う。反応に困っていると、男はその長い指を私の顎に這わせ、おもむろに唇を塞いだ。



――まぁ……俺はそのどちらをも、知ってるわけだがな?



 殆ど顔を離さないままそう言って笑う男の鼻先を見つめながら、私はそうね、と小さく頷く。そのまま大人しく組み敷かれながら、私は思った。





(まぁ……V.I.P.だから勝たせてやらないと、って、サービスしてるだけなんだけどねぇ……)



 もう何度目かになる回想。そして毎回、こう思って溜息を吐く。



(それで気分良くなってもらえてるみたいだからいいけど、自分が強いって勘違いしてる様は、なんていうか……)



 ハタ、と気付く。前回までの回想で自分が抱いていた思いとは、この先に続く言葉が変わっていることに。



(……「可愛い」って、なんだ……)



 以前は滑稽に思っていたはずだ。ポーカーテーブルにふんぞり返り、取り巻きを数人連れて「サービス」という名の勝負に興じ、私が負けてやっては取り巻き達に流石だなんだとちやほやされていた、あの男を。それが――



(まぁ、あんな姿、見せられちゃなぁ……)



 いけ好かない男だけど、少々絆されちゃってもしょうがないよね……? と自分に言い訳をしながら、私は昨夜の男の姿を思い返していた。
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