あた〜らしい春が来た♪

□新緑に映えるのは
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欧米で用いられていた“太陽暦”を取り入れはしたけれど、
それはそれは長い間、生活の基盤だった太陰暦の巡りを
そうそう払拭できよう筈もなく。
何より、切り替えたばかりの明治のころといや、
経済の底を支えるのは相変わらず農林水産業だったのだから、
春から始まる“暦”なればこそというあれやこれやが
生活にも風習にも生産仕様にも引っ剥がしようがないほど染みついている。
そんなせいか、
カレンダーは 冬至を境にするよう生まれた(諸説あり)
真冬に1月と始まるものを使いつつ、
様々な“年度”は 現在に至っても春から始まるとするのが日本であり。

 「そこのところは、判る気がするけどね。」

まだまだ寒い頃合いの1月の頭を“新春”と呼ぶほどに、
それは華やかな春告げの桜が訪のう春を
新しい年度の始まりとしたい気持ちが、と。
その春告げの桜も今は新しい若葉にすっかりと衣替えしたの、
道の左右やその向こうにひらひら躍っている様を、
これはこれで爽やかな佇まいだと見回しながら、イエスが朗らかに笑う。
駅前周辺は大型商業ビルも次々建っての ずんと開けている立川だが、
住宅街が広がるあたりへ離れてしまうと、
まだまだ緑も多い、のどか静かな風景も広がっており。
世間様が民族大移動と称すほど
各地の行楽へ一斉にお出かけになるGWは、
年休消化中の自分たちは 年中祭日みたいなものだからと、
主だったリゾートやレジャー施設へは敢えて運ばず。
彼らにはお馴染みの植物園も遠慮して、
ご近所のちょっと大きめの公園へ、
新緑と青々しい空気を堪能しにと
遠めのお散歩に運んでおいでの最聖のお二人。
松田ハイツからちょこっと歩くそこは、
遊歩道に沿ってどんどん歩めば結構奥行きのあるところから
春先には花見にお運びのグループもいたような
ちょっとした緑地公園でもあって。
大きな池を縁取るように、
はたまたその根づきで斜面ののりを固めて支えるように、
様々な木々が植えられているものが、
今はどれもがやわらかな萌え緑を抱えており。
小さきものの芽吹きを祝福したいか、
イエスは見るからにご機嫌な様子。
傍にブッダがいなければ、なりふり構わずスキップだって踏みかねぬノリで、
少し擦り切れた石畳の遊歩道を進んでおいで。
バラや牡丹や芍薬といった豪奢なものも目を引くけれど。
南米や南欧から渡り来た、カラーやアガパンサス、
この季節には打ってつけの華やかな花々もあでやかならば、
苧環やてっせんやツツジも しとやか鮮やかで麗しく。
雨が増えれば 今はふさふさと葉っぱの方が多い紫陽花も
薄紅や淡い紫の花をつけることだろうし、

 「春の萩も咲くころだよね。」
 「山法師や泰山木もね」

タイサンボクやユリは もちょっと夏じゃない?
あれ?そうだっけ?
大方PCで拾った名前か、それとも写真を流し見たのか、
どの辺りからか覚えたてな名前を列挙していたらしいイエスなところも、
ブッダには何とも言えず微笑ましくて。

 “種類の名前なんて、だものねvv”

小さきものらと向かい合い、一人と一人として把握し合う、
それは素直でやさしい彼だから。
物の名前という意味での名称は、
知ってはいても二の次になってもしょうがなく。

 「ああでも、本当に気持ちがいいよねぇvv」

ちょっと強い風も吹いたけど、季節の変わり目にはよくあること。
大陸の端っこに位置するこの島国は、
大洋に大量に抱えられた湿気や熱も受け止める格好になるせいか、
台風以外にも 突風吹きすさぶ嵐の襲来に洗われるのが常らしく。
ほんのつい昨日にもそんな荒れ模様が通り過ぎたが、
若々しい新緑やしなやかな枝々は案外とタフだったか、
ちぎれた様子もないままに、
木洩れ陽をちかちかと木陰に振りまいて目映いばかり。
ところどこに少し濃い灰色の水溜りが居残る石畳をてくてくと進みつつ、
たまたまジョギング中の顔見知りと出逢えば
“どうも”と目配せを交わし合い。
他愛ないことを語らいながら、
かすかに草いきれの香もする風の中、
午前のお散歩を伸び伸びと堪能している二人だが、

 「そういや、ここにもスズカケの木があったよね。」

こんな奥まったところへ、園芸業者以外の車が入って来るとも思えぬが、
それでもと設けられてたくるまどめのU字のポール。
それへ無防備にぶつかりかけたイエスだったの、
おっとと肘を軽くを掴んで引き留めたブッダだったのへ、
そちらも おっととビックリしたとの苦笑を見せたそのまま、
無邪気にも訊いてきた彼であり。

 「うん。確かあったはずだよ。」

白い小さな花が、梢のところどこへ手毬みたいに固まって咲くので
“こでまり”とも呼ばれている木花で、
ブッダにも覚えがあってうんうんと嬉しそうに笑顔で頷く。
ところで、
公式に…というか近年広く一般にスズカケと呼ばれているのは
こっちじゃあなくてプラタナスの方だとか。
山伏や修験僧の装束、
羽織の襟元へ提げてた“篠懸”の房に似た実を付けるから…と、
ぐーぐる先生に書いてありましたが、
もーりんは別のどこかで、
こでまりもまた、こっちは花の付きようがその“篠懸”に似ているので
そうと呼ばれているってのを見たのが先だったので、
そうと決めつけて書き散らかしておりまして…。
こっちもあながち間違いではなく、
庭木として江戸の昔から親しまれてきた こでまりの古名が“鈴掛”というんですね。
とはいえ、それと知らなかった方々には、スズカケといったらば…と
巨大な街路樹でもあるあっちを想起させていたのかもしれないなぁなんて、
反省しきりだったりするのですが…。

 それはともかく

新緑に映える白い花はそれはそれはよく目立ってきれいだと、
この時期のイエスは特にお気に入りなようであり。
ツツジや芝桜も、緋色や赤紫もある中で特に白に見とれる彼なようだし、
ご近所の花壇に見つけたユキヤナギとか団地に寄り添う卯の花も
先に見つけたのはそういやイエスだったと思い出す。
緑にこんなに種類があったのかとか、
日陰のはずが陽だまりみたいに見えるくらい
それは発色の良い黄緑が萌えてるのが感動的だ…とか。
普段は割と周囲を観てない態なイエスが、
切れ長の目許を心持ち大きめに見開いて
頬や口許ほころばせ、
普段以上に足元への注意がおろそかになるほどに
そりゃあワクワクしている様は、
その落差から 見ている側のブッダへついつい苦笑を誘うほど。

 「日本の緑がよっぽどお気に入り何だね、キミは。」

勿論、責めるつもりもなく、喜ばしいと微笑みつつ声を掛ければ、
歩きながらくるんと振り返って来たイエスが屈託なく頷いて、

 「でも私、天界にいた頃も緑って好きだったよ?」

ここであらためてと言われるのは心外か、
いやいやそんな物腰ではなくの、
知らなかった?と悪戯っぽい口調で言い返す彼であり。

 「端境の庭の周りの 森の緑とか?」

そういえば…と持ち出すまでもなく、
天界には天乃国にも浄土にも、それは素晴らしい情景風景があふれている。
雄渾な大樹やそれが映える広大な大地、草原が広がっていたり、
その場に満ちる空気まで青く染まっていそうな清水あふるる泉や
周囲の木々や頭上の蒼穹まで詳細に写し込む 鏡のような湖や、
その豊かな色彩に声も奪われるような花の野や。
そうかと思えば、寂寥に満ちた枯野や砂地も、ごつごつ険しい岩場もあって。
あらゆる人のあらゆる心象風景を全部集めてきたかのように、
様々な景色が揃っているが、
イエスは殊の外、あの森がお気に入りだったようなとブッダも思い出す。

 “だから…。”

自分もその忙しい身が空けば、出来る限りはそこへと足を運んでいたのだしと、
そこまでを思い出し、でもでも、あれあれ?

 “……。////////”

もしかして、私もそのころからイエスを特別視してたってことかなぁ、なんて。
今になって淡い含羞みに胸の奥を柔くつねられた気がした、
釈迦牟尼様だったりするのだが。
そんな連れ合い様の心持ちの揺らぎにも気づかぬまま、

 「だって私、新緑の中のブッダがそれは綺麗で大好きだったし。」

そんな爆弾発言をぽろっとこぼしてくれるものだから、

 「…っ☆」

あわわと、何故だかブッダの側が真っ赤になって慌てて見せる。
あっけらかんとした言い方は、
無邪気な幼子が“お母さん大好き”と言ったようなものだろに。
誰ぞに聞かれても、
あらあら外人さんはおおらかだねぇくらいにしか受け取られやしなかろに。

 “…そうでしょうか。////////”

すぐに“BLか?”と直結させるよな同人女子は、
そうそうどこにもここにもいませんてばさ。(笑)
ドキリとしちゃったのもまた、そうという自覚があってこその照れだが、
不思議と もはや後ろめたさは感じていない。
ただ単に、恋愛への冷やかしがかかったら照れくさくなるというレベルであって。
やだもうイエスったら、誰かに聞かれたらどうするのと、
恥ずかしさからあたふたする辺り、相変わらずヲトメです、ブッダ様。
だが、

 「やわらかな輪郭がそれはやさしくて、
  人当たりの良い、まろやかな印象のするキミだったのに、
  瑞々しい緑の中に映えていてそれは綺麗だったでしょう?」

 「いえす〜〜〜。///////」

...…どっちかというと、
褒め殺しにされるのが照れくさいからやめてという方向でしょうか。(う〜ん)
嘘はつかぬが、だからこそ、
心からのお褒めの言葉がますますと照れ臭いよぉと、
やわらかな造作の頬を やはりやさしいお行儀の良い手で
や〜んと 包むように隠しかかった如来様だったが、

 「…あれ?でもそれっておかしくない?」

 「え?」

動揺しつつも冷静なままの部分があったものか、
不整合な部分を拾い上げたらしく。
曰く、

 「だって、天界で私が着ていたのは柿色の衲衣だよ?」

 「あれ?」

天女や菩薩はひらひらした衣紋や領巾(ひれ)、装飾品など身につけてもいるが、
基本、如来は衲衣という一枚布の装束しかまとってはいない。
瞑想にふけるときは両肩を覆い、
人と対話中は親愛を示す意味から片方の肩を見せるというコードくらいしかない、
そうまで最低限の装いだったブッダには
白という要素は一切なかったようなと、ご本人が素で言いだしたのへ、

 「あ、いやその…。////////」

こちらは何故だか真っ赤っ赤になってくイエスだったりし。

 “そかー、肌が真っ白だったのが印象的だったからかー。///////”

  衲衣も肩脱ぎしてたから、
  それに、なんてのかあのその、
  深みのある白っていうのか、
  きめも細かくてふかふかしてて、そりゃあ綺麗な肌なんだもの、
  ついつい目も行くってもんだったし、
  それであのあの、緑の瑞々しさに映える白って印象が……/////////

そのころから愛しの君だったブッダの、
瑞々しいお肌から目が離せなくての刷り込みかと、
今になって気がついちゃったらしく。
この季節に紅葉かい?と
笑えない冗句が出そうなほど真っ赤になりつつあるイエス。
胸の内も照れ照れと沸騰しかかっているヨシュア様だと、

 「いえす? どうしたの? なんか指輪も熱いんだけど、イエス?」

そういうのが中途半端に届いたらしいブッダが、
体調が悪いのかと案じてしまった、
微妙に斜めなところもお互い様かも知れない、
微笑ましいお二人だったそうでございますvv



   〜Fine〜  16.05.03







 *みどりの日ということでvv (何やそれ・笑)




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