夜明けの時間。

□01,大事な一人娘
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「アイシャ、良い子にしてるのよ。おやすみなさい。」

まだあどけなさの残る少女の額にかかった前髪を優しい手でかきあげ、そこに唇を落とすと扉の方へと足を向ける。

「それと、」
「わかってるよ、お母さん。お母さんのお仕事のとこは行かないよ。もう眠いし、良い子にしてる。おやすみなさい。」

ふわぁ、と欠伸をした後にもう何度も聞いた言葉を遮るように言うと、少女の母親はそれに満足したかのように少しだけ寂しそうに微笑えみ、静かに扉を閉めた。
パタンっと小さい音と共に、足音が小さくなっていく。
その音を聞きながら、アイシャは寝返りをうつとブランケットの中で静かに目を閉じた。


──此処は一日中薄暗い地下街。
巨人を憚る壁は見えないどころか、地上の太陽さえ拝めない。
そう、太陽もなければ月もなく、晴天もなければ雨も降らない。
此処に住む住人たちは朝も夜も関係ないものが大半だが、"人"としての本能からか、地上が明るい時間に行動し、夜は眠りについた。
薄暗い中での朝晩は、地上へと続く階段や、隙間から筋となって入ってくる僅かな太陽の光によって本能が朝晩を決めていた。

そんな所謂"夜"にうとうとと眠りについたアイシャは、母親と二人で暮らしていた。
父親は地上へ"出稼ぎ"にいったままもう何年も帰って来ず、幼い兄弟は栄養失調によってこの世を去った。
アイシャの母親は愛しの一人娘、アイシャだけでも幸せに生きられるように、と昼から明け方まで働いた。
朝働かないのは、アイシャが目が覚めた時には一緒にいてあげたかったし、もちろん彼女自身がそうしたい気持ちも大半であった。


『いつまでも子供扱いしないで』

なんて言われたこともあったが、母親にとってアイシャはいくら年を重ねても大事な大事な一人娘だった。
そんな彼女にはアイシャに秘密にしていることがあった。





***************





アイシャにおやすみの挨拶をした後、静かにとある場所へ向かう。
路地をいくつか曲がると小さな建物があり、そこの階段を上り、廊下を通って一番奥の扉を開ける。


 今日も頑張ろう、娘の為に。



はぁ、と溜息を漏らすと、身支度を始める。
これからこの体を貪る男共のために。


地下街で女性やまだ小さい少女たちが体を売る行為はさほど珍しいこととではなかった。
むしろ、力のない女性たちは生きていく為にその方法が一番手っ取り早く、アイシャの母親も例外ではなかった。
夫婦になってからは僅かながらも旦那が稼いできてくれたのだが、彼は良い報酬が貰える、家族が幸せになれる、と言って地下住民に対して募集のかかった仕事で地上へ行ってしまってから、そのまま帰って来なくなった。1度だけ生活費が届けられたが、それっきりパッタリだった。

"出稼ぎ"にいったっきり帰ってこない地下街の住人はアイシャの父親だけではなかった。
「今頃楽しく地上生活でもしてるか、太陽に当たりすぎて溶けちまったかもな。良い報酬、良い暮らし。そんな良い話が、俺たちにあるわけねぇよな!」
と言って下品に笑う住人の言葉を聞き流しながら、アイシャの母親はまた生活の為に自分を犠牲にすることを決意したのだった。

自分がいくら犠牲になろうと、身体が、精神が傷つこうと、アイシャのことを思えば目を瞑ることが出来た。
だが、そのことを愛娘に知られること、そして彼女が将来同じ道を歩むことにはなって欲しくないと切望し、アイシャには知られぬよう努めてきたのだ。


ガチャリ、とドアが開く。
今日の客のお出ましだ。
 

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