夜明けの時間。

□06,気持ち悪い
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それからの日々は地獄だった。
自分は今までどれだけ母親に護られこの暗く、淀んだ地下で生きてきたのか、そう思わずにはいられないほどこの街で生きるのは過酷で残酷なものだった。

過保護だった母親のせいでもあるが、アイシャはあまり家の外へ一人で出掛けたことが少なかった。だが今は違う。
外へ行かなければ食べ物も、何も手に入らない。
しかし無知な少女が一人で歩けば、その純潔を穢されるのは時間の問題だった。

今まではどこか他人事のように思っていたことが、全てそれが自分のことに入れ替わった。
そしてそれこそが、今まで母親が自分の為にやってきたのかと思うと胸が傷むと同時に、無知だった自分を恨んだ。
今まで自分は何を、そして今までどれほど甘えて生きていたのかと。
自分が悲しい、不幸、 悲惨と思ってきたそれとは比べ物にならないくらいこの世界は非情だった。


あぁ、何て世界は残酷なんだ。
どうしてこんな世界に生まれたんだろう。
お母さんのいる世界は此処より素敵だろうか。
早く、私も…


急に頬がピシャリと鳴って今自分の置かれている状況を思い出す。

「おい、何を考えてる。お前は今俺を愉しませることだけ考えてりゃ良いんだよ!」

ニタァ、と不敵な笑みを浮かべて自分に腰を打ち付ける男にジロリ、と目をやる。
男は興奮しきった顔で、自分を貪っている。


自分は一体何をやっているんだろう。
もう、こんな世界はまっぴらだ。



…気持ち、悪い。



苦しい、寂しい、辛いという感情はふつふつと怒りに変わり、禍々しい感情がアイシャを支配する。

そうだ、
そもそもあいつらさえいなければお母さんは死ななかったんだ。
あいつらさえいなければ、今日も変わらない日々を過ごしていたかもしれない。
今日も飽きる程聞いた言葉を言って、おやすみを言ってくれたかもしれない。
でももう、優しくて、厳しくて、温かかった母親はもういない。


…あいつらさえ、いなければ──


思い出したくもないが、今でも自分の意思とは反対に勝手にあの情景が浮かぶ。
見開かれた何も写さない目、血の臭い、そして自分を見下ろす鋭い目線。



──許さない。
…私が、殺す。



「ひっ…お前、何て目してるんだ!」



この手で
  終わらせてやる。



「ぅぐっ…!!」


気が付けば、自分に馬乗りになっていた男の首を両手で思い切り掴んで絞めていた。
振りほどこうとする男に、更に力を入れる。
あいつらに、するように。
あいつらが、苦しむように。
私の苦しみはこんなものじゃないんだ、とわからせるように。
そして苦しんだあと、お前たちはこの世界にもういない。


…ポタッと自分の胸元に何かが落ち、我に返る。
見れば、白目を剥いた男の口から唾液が垂れ、そこに小さく溜まっている。
両手を離し男を引きずりおろすと、ドサリとそのまま隣へ倒れた。
意識を失っているのか、死んでいるのか、ピクリとも動かない。


アイシャは自分の両手を見つめた。
生き物の“命”を止める、あの感触。


「…ねぇ、苦しかった?」


立ち上がり、動かないそれに問うが返事はない。
上体を起こした為、先程の胸元に溜まっていた男の唾液がそろりとアイシャの腹へと落ちていく。



「…気持ち悪い。」


うっと込み上げてくるものを、その場で吐いた。
全部が、全てが気持ち悪かった。

「ぅ…っ…おぇ…」

ただ、吐くことは気持ち良かった。
まるで自分の中身が全て出ていくようで。

散々吐いて、ペッ、と口の中の不快なものを最後吐きだし、口元を拭う。
何だか、すっきりした。
生まれ変わったような気さえした。


そうだ、今私は自分は死んだんだ。
そして、今私は生まれた。
今の私は昔の私じゃない。
これからはあいつらを殺す為に生きる。


アイシャは両手を強く握りしめた。



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