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□嘘つき同士ふたりきり
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 下戸なはずの土方さんの家のリビングに、酒のボトルが置いてあった。
 口はすでに開いているようで、青く透き通るガラスの中身は、三分の一ほど減ってしまっている。
 酒は飲むだけが用途ではないってことは知っているけれど、料理に使うにはお洒落すぎる酒のような気もするし、そもそもあの人が料理なんてするんだろうか。手間も時間も惜しい、とか言いながら毎日コンビニ弁当で済ませていそうだ。
 自分の身体のことなんてどうでもいいみたいにトシは仕事漬けの毎日を過ごしているのだと、このあいだ近藤さんは言っていた。僕だって別に土方さんの身体のことなんてどうでもいいけれど、近藤さんに心配をかけるのだけは許せない。
 近藤さんが一番信頼しているのは土方さんなんだから、近藤さんに一番影響を与えるのだって土方さんなんだってこと、少しは自覚してほしい。
 本当は嫌だけど、認めたくないけど、きっとそうなんだから。

「どうした、そんな惚けた顔して」

 自室に書物を取りに行っていた土方さんが、僕のいるリビングへと戻ってきた。彼の両手には分厚い参考書やノートが山ほど抱えられており、僕はそれを見ただけでうんざりしてしまう。
 不満を隠さずに放ったため息で、土方さんは僕の言わんとすることを察したようで、彼も僕と同じように大きなため息をついてみせると、テーブルの上に抱えていた本を置いた。

「あのなあ、俺だって補習なんざやりたくねえんだよ。何回追試受けさせても点を取ろうとしねえてめえが悪いんじゃねえか」
「だからって自宅に呼びます?普通」
「学校で補習やるっつったってどうせ逃げんだろ、おまえ」
「決めつけないでくださいよ、僕だって、」
「近藤さんから言われてんだよ。総司のことを頼むってな」

 近藤さんの名前を出されては、僕も黙るしかなかった。本当にずるいひとだと、今更ながら思う。

 言い合うのを諦め、ソファを背にして床に座ると、土方さんが「ああ、しまうの忘れてたな」と、置いてあった酒のボトルをつかんだ。
 ちゃぷん、と中身が音を立てて揺れるのを眺めながら、僕は「それ、土方さんのお酒ですか?」と、先程から気になっていたことを聞いてみる。

 薄桜学園の教師たちは昔からの知り合いが多く、みんなでご飯を食べに行ったりすることも珍しくない。僕や平助がそれについていくのもまた珍しいことではなく、大酒飲みの新八先生や左之先生と違って、そういう場で近藤さんと土方さんが酒を飲んでいるのを僕は見たことがなかった。
 酒が飲めないのを下戸と呼ぶと知ったのは最近のことで、これは新八先生が教えてくれたことだ。ひとくちでも飲めば顔が真っ赤になるのだと、本当に可哀想だという顔をして先生は言う。
 僕はまだ未成年だから酒を飲んだことはないけれど、そんなふうになるひとが、自宅に酒を置いておくだろうか。それが単純に、疑問だった。

「ああ……なんでもねえよ」
「なんでもないってなんですか。僕は『土方さんのお酒ですか?』って聞いたんですけど」
「俺のだよ。ったくもういいだろ、早く始めるぞ」
「……もしかして、お酒飲めるように練習してるとか?」

 ふと思いついたことを口にしてみると、土方さんはこれでもかというくらい眉間にしわを寄せ「……ちげえよ」とだけ答えた。
 素っ気ない態度を装い、彼は酒を持ってキッチンのほうへ去っていく。

 僕は土方さんが嘘をついているとすぐにわかった。なにかやましいことがあるとき、彼はいつも不機嫌な顔でそれを隠そうとするからだ。
 それに気づいているのか気づいてないのか、キッチンから戻ってきた土方さんはむすっとした顔のまま教科書をめくり、ぼりぼりと頭を掻いていた。
 それがまた不自然でおかしくて、僕は思わず噴き出してしまう。

「な、なんだよいきなり笑いやがって」
「だってそれ、三年の教科書ですよ。僕まだ一年生なんですけど」
「……っ」
「ねえ、土方さん」
「……んだよ」
「お酒っておいしいんですか?左之さんや新八さんは、おいしそうに飲んでますけど」
「おまえまだガキだろ。そういうことは大人になってからでいい」

 積み上げられた本から一年生用の教科書を抜き取りながら、土方さんはぶっきらぼうに言う。他の大人に言われるならまだ許せたかもしれないけれど、よりによって土方さんに、近藤さんが大好きな土方さんに「ガキ」だなんて言われたことが、僕は悔しくてならなかった。
 誰よりも近藤さんの近くにいるくせに、それを特別なことだと思っていない。僕がどれだけがんばったって、土方さんの代わりになることはできない。
 それが僕は、いつだって気に食わなかった。

 試験範囲を探している土方さんを尻目に、僕はキッチンへと向かった。
 手探りで明かりをつけると、広くもなく狭くもなく、掃除が行き届いていると言えばいいのか、使われた形跡がないと言えばいいのか、よくわからないくらいにはきれいな普通のキッチンだった。
 無造作に置かれた酒のボトルを見つけると、食器棚のなかから適当なコップを取り出す。青いビンだから青い酒だと思っていたけれど、中から出てきたのは水のように無色透明な液体だった。
 自分がどれくらい飲めるのかわからないけれど、とりあえずコップに半分くらい注いで、そっと口をつける。左之先生が大好きな、少し給料に余裕のあるときにみんなを連れて行ってくれるお洒落なお店みたいな、大人の匂いがした。



「総司……?」

 トイレにでも行ったと思ったのだろうか、少し遅れて土方さんがキッチンへ入ってきた。
 一気に酒を煽った口の中は苦くて、胃のあたりには違和感があり、すぐにでも吐いてしまいそうな気がする。
 キャップの開いたボトルと空のコップを見て事情を察したのだろう、土方さんは「総司……てめえなにやってんだ」と、僕を静かに睨んできた。

「土方さんにガキって言われたんで」
「『言われたんで』じゃねえよ。自分がなにしたかわかってんのか?しかも教師の前で……」
「また近藤さんに言いつけるんですか?高感度アップでも狙ってるとか?」
「んなわけねえだろ。それに、こんなこと近藤さんに話したら、あのひと悲しむぜ」
「あはは、そうですね、そうかもしれ……ま、」

 急に視界がぐらついて、土方さんの顔がゆがんだ。
 倒れ込みそうになる体勢を保とうと踏み出した右足が滑って、僕は土方さんの身体にぶつかってしまう。

 幼い頃はかなりの差があった彼との身長も、僕が高校生になったいま、その差はほとんど認められない。きちんと比べたことはないけれど、きっともう僕のほうが背は高いのではないだろうか。
 彼の身体に完全に覆い被さってしまったこの状況下で、僕は場違いにもそんなことを思った。

「おい、大丈夫か?」
「……はい」
「だったら早く俺の上からどけよ。重てえんだよ、おまえ」

 端正な顔に眉間のしわを刻みながら、土方さんは言った。
 身体が、風邪をひいたときみたいに火照っている。
 新八先生がよく言う、気持ちのいい感じはしない。左之先生が言うほど、美味しくもない。けれどこんなにも身体が熱いのは、お酒を飲んだからなのだろう。
 そう、それ以外に考えられない。
 なんだか大人の香りがする、なんて思ってない。きれいな顔立ちだな、なんてあらためて感じちゃったりしてない。土方さんが頬に触れて「おい、本当に大丈夫か?」なんて言うのにどきどきしてなんかない。もっと触ってほしいだなんて、そんなこと、全然思ってない。

「……土方さん」
「んだよ」
「キスしてもいいですか」

 僕、いま土方さんになんて言ったんだろう。思考がぐるぐるとまわって、うまく考えがまとまらない。

 上半身を支えていた腕が限界を迎え、肘からがくりと力が抜けた。僕の下で僕がどけるのを律儀に待っていた土方さんの不機嫌な顔に、「は?」というかたちのまま微動だにしないその口に、僕のくちびるが重なってしまう。
 触れたそこはひどく熱く、けれどその熱が自分のものなのか、彼のものなのか、わからないほど僕は酔っていた。

 顔に触れるまつげがくすぐったくて、ああ、こんなにも近くにいるんだ、と思う。彼のやることなすこと全て気に入らないのに、どうして僕は土方さんのそばにいるんだろう。どうにか答えを出そうとするのに、やっぱり考えがまとまらない。

 呼吸がままならなくなって、僕は重ねていた唇を離した。
 土方さんはそのあいだ、一度も拒もうとしなかったし、こうして僕を見つめる目は相変わらずきついものだけれど、心なしかさっきよりも穏やかな表情をしているように思う。
 なんでだろう、と考えたところで、急に肩をつかまれ、僕は床に押し倒された。さっきとは逆の体勢にされ、いきなり寝転がったからか、また頭ががんがんと鳴りだした。

「……なんなんですか、急に」
「そりゃこっちの台詞だ」
「まあ、そうですね」
「……キスもまともにできねえくせに、大人ぶってんじゃねえよ、ガキが」

 土方さんのすらりとした長い指が、僕の顎をつかんだ。軽く引き寄せるようにしながら、彼は僕に近づいてくる。
 軽く唇を合わせるだけのキスを何度か落としたあと、閉じたままの唇を舌でなぞられた。
 触れるか触れないかのぎりぎりを攻め立てられた僕は、誘われるままに口を開いてしまう。

 熱くて、ねっとりとしたものがねじ込まれ、僕の口内をじっくりと舐め回していった。
 息をするのがどんどん苦しくなって、思わず声が洩れそうになる。

 このままとけてしまうのではないかと思うほどに、土方さんがするそれは気持ちよかった。
 これは酔っているからなんだろうか。そうだ、そうに決まっている。
 土方さんにこんなことをされて、頭がくらくらするなんて、おかしい。もっと犯してほしいだなんて、思うはずはない。

 どれくらい経っただろうか、ふいに唇が離れて、あらためて見上げた土方さんの顔は真っ赤だった。
 「どうしたんですか?」と問う僕に、彼は「俺は下戸だって言ってんだろ」と、眉間にうんとしわを寄せながら、言った。


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