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□血に塗れた君の未来を
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 羅刹の苦しみは、羅刹にしかわからない。
 俺にもいつか変若水を飲む日が来るなら、そうして羅刹になったなら、こんなふうになりふり構わずもがき苦しむのだろうか。

 はあはあと息を切らし、吸血衝動に侵される総司を抱きとめながら、俺はそんなことを考えていた。



「はじめ……く、ん」

 俺の肩にしがみつき、痛みに身体を震わせながら、総司は荒い呼吸とともに俺の名を呼んだ。

 俺が今まで見てきた彼はいつだって飄々としていて、自身が病気だと知ってからも、周囲に心配をかけまいと冗談や笑みを絶やさぬようつとめていたのを、俺は知っている。
 だから、こんなふうに感情もあらわに縋ってくる彼の姿を見るのは初めてで、俺は正直戸惑っていた。
 一体なんと声をかければいいのか。どう宥めてやればいいのか。
 痛みで掠れる小さな声が、再び俺の名を紡ぐ。

「はじめくん……はじ、めくん」
「……なんだ」
「喉……が、渇い、ちゃって」

 その渇きが水や茶を飲めば済むようなものであればよかったのにと、俺はありもしないことを思う。
 総司は羅刹だ。羅刹の喉の渇きは、血によってしか満たされない。
 それがわかっていても、目の前でこんなふうに強請られても、俺は総司に血を差し出すことをためらっていた。

 脳裏によぎるのは、今まで俺が斬り伏せてきた羅刹の惨憺たる様だ。理性をなくし、血を求めて夜毎さまよう彼らの姿と、いま目の前で血に飢える白髪の男とを、無意識に重ねてしまう。
 総司は強い男だ。自分が死病に冒されてもなお、新選組のためになりたいという一心で隊に残ることを選んだ。思い通りにならない身体で必死に稽古に励み、もどかしい思いをしながらも、彼が慕うただひとりのために剣を振るうことをいつだって願っていた。

 だが羅刹の肉体は、総司をこんなにも苦しめる。
 敵味方の区別もつかず、仲間の血をすすって恍惚な笑みを浮かべる新選組の闇そのものの姿が、俺のまぶたの裏に蘇った。
 いつか総司も、彼らのように狂ってしまうのだろうか。
 人間として生きる心を失い、化け物に身をやつして、俺たちに斬り殺されてしまうのか。

 そんなはずはない、と頭のなかで否定しながらも、血を宿した目で訴えかけてくる彼を見ていると、言いようのない不安が胸をよぎる。

「駄目だ。血をすするなど、人間のする行為ではない」
「僕は……もう人間じゃない、よ」
「それでも、駄目だ」
「……君って本当に、融通がきかないよね」

 総司は苦笑を交えながらそう言って、しがみついていた俺の身体から身を離した。力を入れすぎたためか白くなった指で、彼は俺の手を取る。
 まるで壊れ物でも扱うように、総司は俺の手のひらを丁寧に撫でた。時折、耐え難いその痛みを俺に知らしめるように爪を立てては、断末魔のような悲鳴を洩らし、そしてまた優しく触れてくる。

 熱を孕んだ吐息が俺の前髪を揺らし、視線を上げると、真っ赤な瞳が俺を見つめていた。生理的現象だろうか、俺を映し込むその潤んだ目は今にも泣き出しそうで、そこから涙があふれてしまわないようにと、俺は彼の顔に手のひらを添える。

「……僕、今すごく苦しいんだよ。人間の君にはきっとわからない」
「そうだろうな」
「そうでしょう。だからこれから、僕の痛みも苦しみも全部、君のこの手のひらに刻むから。なにもかも思い知ってよ」

 頬に触れていた俺の手に自分の手を重ね、総司はそう言った。
 一体どういう意味なのかと俺が問おうとすると、彼はおもむろに腰に差していた刀に手をやり、それをひと息で抜き去る。

「総司……?おまえ、なにをする気だ」
「なにって、見てわからない?」
「……やめろ。俺はあんたのそんな姿など見たくない」
「そう。でもごめんね、はじめくん」

 まるで叱られた子供のように弱々しい声で、彼は言う。

 そうして、月明かりを映してぎらりと光る生身の刀を俺の右手にあてがい、そのまますっと、引いた。

「つっ、……」

 戦場で、手や腕に怪我を負ったことは何度もある。だが今の総司のそれはどんな刀よりも深く、俺を斬りつけてきた気がした。
 まるで彼の苦痛がそのまま刃となったかのように肌は鋭く裂け、じわりじわりと痛みが増す。
 そこから滲む俺の血を、総司はまるで獣のような眼差しで見つめていた。

「……ごめん」

 そうして、震える声で言うと、総司は俺の手のひらを両手で取り、そこに溜まった血に口をつけた。

 ごくり、という喉の鳴る音が聞こえたかと思うと、タガが外れたかのように、総司は俺の血を夢中ですすり始める。

「痛っ、痛い……総司、」

 斬りたてのそこに舌先を押しつけられ、激痛が走った。傷口を何度も往復し、肉を抉っていくようなその感触に、背筋がぞっと冷えていく。
 血の味に酔い、一滴も逃すまいと俺の手を舐める彼の姿は、俺たちが闇に屠り続けてきた羅刹の姿となにひとつ変わらないように思えた。

 総司はもう、人間ではない。

 彼につけられた手のひらの傷は、俺の淡い希望をいとも簡単に打ち砕き、ずきずきと痛みを増していった。



「……ごめんね、はじめくん」

 血を宿した赤い瞳と、血が飛び散っていた白髪はすっかり元の色を取り戻している。

 総司は落ち着いた声で謝罪の言葉を述べると、まだ鮮血の滲む俺の手のひらを両手で包み込み、そこへ罪滅ぼしのような口づけを落とした。
 慈しみの込もる優しい口づけだったが、散々舌で抉られたそこにはまたしても激痛が広がり、俺はとっさに手を引っ込めてしまう。

 顔を上げた彼の唇にはべっとりと血がついていて、まるで獣が食事をした後のように、ひどく生々しい有様だった。
 その血まみれの口がふっと綻び、やわらかな笑みを刻む。切なさや悲しみを内包させたいかにも人間らしい表情で、彼はゆっくりと言葉を紡いだ。

「君だけは、どうか羅刹にならないで」

 そう言って、総司は再び俺の手のひらに口づけを落とした。彼の苦しみと同じ深さの傷口から、痛みとともに血が流れていく。

 総司の願いを、俺は聞き届けてやれるかはわからない。
 けれど彼のその言葉は刃となって俺を貫き、治ることのない傷を確かにつくっていた。


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