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□拝啓、相合傘の中の君へ
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仕事のためでなく、ただひとりのために文を書こうとして、はや三日が経っていた。
形式張った書類と違い、ただ自分の思うままを記していく手紙というものは、簡単なようで意外と難しい。
俳句を趣味にしているくせに、いざとなるとなにひとつ言葉が浮かんでこないこんな自分に、俺は思わず苦笑する。
本当はおまえのことなんて、俺は愛していないんじゃないか。
何枚目かの書き損じた紙を丸め、すっかり固まってしまった筆をすずりに置くと、俺は自分の部屋を出た。
「あ、土方さん。お仕事お疲れさま」
総司の部屋のふすまを開けると、彼は行灯のそばで縫い物をしていた。
試衛館時代にやらされていたのだろう、総司はこう見えて針仕事が得意で、隊務に出向くたび羽織を斬られて帰ってくる隊士らにぶつぶつと皮肉を言いつつも、夜毎こうして綻びを繕ってやっているようだった。
「おまえもあまり無理するなよ。明日は朝から巡察のはずだろ」
「大丈夫ですよ。もう終わりましたから」
そう言って、総司は縫っていた羽織を目の前に広げた。
市中で目立つようにと皆で揃えたその浅葱は、命のやり取りをすればするほど、その色を暗くくすませていく。泥や血の染み込んだその羽織はまるで新選組の歩んでいる道そのもののようで、その先の将来を、俺は案じずにはいられない。
俺たちはこれからどうなっていくのか。闇を抱えたこの新選組に、明るい未来などあるのだろうか。
それは誰にもわからないはずなのに、言いようのない、けれど確かな不安だけが、俺の胸を埋め尽くしていく。
畳の塵をむしるような俺の視線に気づいたのか、総司は俺の顔を覗き込んできた。そうして、持っていた羽織をひらりと揺らしながら「これ、土方さんの羽織なんですよ」と、砂ぼこりのついたそれを見せてくる。
「ああ。それ、俺の羽織か」
「そうですよ。土方さんったら、木の枝に引っ掛けて転んで破いちゃうんですから。本当に間抜けですよね」
「うるせえよ」
総司はいたずらっぽく舌を出して笑うと、羽織の右袖の部分を「ここです」と指さした。
昼間俺が引っ掛けたそこには、可愛らしい小さな花が咲いている。桜をあしらった刺繍が綻びを誤魔化すように、ひらひらと浅葱の空を舞っていた。
器用なものだ。遠目で見れば目立たないし、近くで見ても、そこが破れた箇所だとは思えない。まるで初めからそういう柄であったかのように、丁寧に仕上げてある。
総司の意外な才能に感心しつつその刺繍を無言で眺めていると、彼はふとなにかに気づいたように、それをぱっと手で隠した。
「桜の枝に引っ掛けて破いたんだから、桜の刺繍を施してみたんですけど……やっぱり、男のひとに花の刺繍はなかったですかね」
やはり皮肉だったのかと俺はため息をつきそうになったが、珍しく総司がしゅんと申し訳なさそうに俯いていて、俺は彼のその表情をつい見つめてしまう。
いつも意地の悪い顔をして俺を散々貶めてくるくせに、と思いながら、俺は眉間にしわを寄せ不機嫌な顔を作ってみせた。
「……すみません」
軽口ばかり叩き、俺のことをからかって笑う総司がたまに見せるこの、手放しで慰めてやりたくなるような表情が俺は好きだった。
試衛館にいた頃からずっと一緒だったというのに、相変わらず、いや、昔よりもっと、総司に惹かれてしまっている自分がいる。
本当にどうしようもねえよな、と俺がため息とともにこぼすと、それを自分のことだと思ったのか、総司はその花を摘み取ろうと小さな鋏を手に取った。
その手に、俺は自分の手を重ねる。
「よく出来てんじゃねえか。勿体ねえから、切んなよ」
重ねた手はごつごつとして、けれど俺よりずっと、やわらかい手をしていた。手のひらのなかで握ってやると、肌の温もりがゆっくりと馴染み、同じ温度になっていく。
愛しい体温を感じながら、俺はなんてくだらないことで頭を悩ませていたのかと、またしても苦笑してしまった。
先ほど自室で丸めて投げ捨てた、未完の恋文を思い出す。
愛を伝えるのに、筆なんか頼った俺が間違っていた。
ただこうして手を重ねるだけで、伝えたい言葉は山ほど浮かび、喉からあふれようとするのに。
くすぐったそうに手を動かし、総司は「離してくださいよ」と口をつんと尖らせる。
言葉とは裏腹にみるみる赤くなっていく彼の耳に、俺は降り積もる愛の言葉を、そっと囁いた。