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□混ぜて、合わして、舐めて、飲んで
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 斎藤がどうして突然試衛館に来なくなったのか、俺は正直、気になっていた。
 斎藤はあの日、なんの前触れもなく姿を消した。別れの言葉を口にしたりとか、誰かに言伝を頼んだりとか、とにかくさよならのかたちはいくらでもあったはずなのに、彼はそういう気配を微塵も見せずに、急にふと、いなくなった。

(嫌われたわけじゃ、なかったんだな)

 つい数刻前、井吹の後ろをついて障子戸からそっと姿を見せた斎藤の顔を思い出す。
 きっと周りの連中にはわからなかっただろうが、彼は心底嬉しそうな表情を俺に向けていた。
 俺に会えてよかったと、青く透き通る目は確かにそう語っていて、だから俺は(ああ、俺はこいつのこういうところに弱いのだ)と、赤く染まった頬を白い襟巻で隠す斎藤の仕草を、しばし見つめていた。





「土方さん、」

 障子越しに声をかけられ、俺は書類を作成していた手を止めた。
 外はもうすっかり暗くなり、部屋の隅に置いた行灯の炎が、すきま風でゆらゆらと揺れている。

「斎藤か。……入れ」

 声の主は斎藤だった。俺の了承を得た彼は「失礼します」と静かに言うと、すっと戸を引き、部屋のなかへと入ってくる。

「俺になにか用か?」
「用と言いますか、その……」
「……なんだ?屯所でわかんねえことでもあったか?」

 斎藤にしては要領を得ない喋り方に、俺は眉間のしわを深めながら問う。けれど、俺はきっと心のどこかで、斎藤がこうして俺の前に現れることを望んでいたのだと思った。彼がここに来た理由も、彼がこれからなにを話すかも、俺はすべて知っているような気がする。

「……すみませんでした」

 畳の上に正座をし、背すじをのばしたまま、斎藤はそう言って綺麗に頭を下げた。それがなにについての謝罪であるのか俺はもうほとんどわかっていたけれど、なんだか昼間のようにあっさりと流す気にもなれず、その先に続く言葉を待つ。

「挨拶もせずに試衛館を出ていったこと、本当に申し訳なく思っています。……あなたに別れの言葉を言えなかったことが、ずっと心残りでした」

 そこまで言うと、斎藤はゆっくりと頭を上げた。俺を見つめるその深い瞳は、灯明を映してほのかに揺れている。

「……おまえ、大丈夫か」
「なにがです?」
「なんか、変わったなと思ってよ」

 なにが変わったのかと聞かれれば、それは俺にもわからなかった。
 おそらく所作や息づかい、雰囲気などと呼ぶ類の、ふわりとしたかたちのないものだ。
 もともと油断も隙もない堅苦しい奴だったが、それとはまた違う。研ぎたての刃のような、殺気をまとう獣のような、たとえるならそんな、ぴりぴりとした冷たい、なにかだ。

「俺のほうは、変わったつもりはありませんが」
「本当かよ。じゃあなんで俺を捨てていったんだ」
「そんな……捨てていってなどいません」
「どうだろうな。他にいい男でもできたから、変わっちまったんじゃねえのか」

 仕返しのつもりで軽くからかってやると、斎藤はしゅんとうつむき、口を閉ざしてしまった。
 なにか考えを巡らせているのか、畳の目をじっと見つめながら、彼はぱちぱちとまばたきを繰り返している。

 沈黙がしばし続いた。
 少し言いすぎたか、と俺が口を開こうとしたとき、押し黙っていた斎藤が密やかに息を吸う気配がして、俺は彼のほうをそっと見やる。

「……ば、わかると思います」
「ん?」
「いれてみれば、わかると、思います……」
「…………へ?」

 あまりに突拍子のない斎藤の言葉に、俺の喉からひどく間抜けな声が出た。いれてみれば、とは、挿れてみれば、だ。皆まで言わずとも、それくらいはわかる。
 だが斎藤からそんなあからさまな言葉が出てきたことに驚いた俺は、二の句を次げずぱくぱくと口を動かしていた。
 それを疑問の意ととったのか、彼は言葉を続けていく。

「俺の、ここは、土方さんのものです。ずっと変わっていません。他の誰も……許してなどいません」

 斎藤はそう言って、自分の下腹部のあたりに左手をやった。
 まだ俺たちが江戸で毎日のように顔を突き合わせていた頃、皆に隠れて肌を重ね、何度も欲望を吐き出したそこは、今でも俺だけのものだと彼は言う。

「だからどうか、俺があなたを捨てていっただなんて、そんなひどいこと仰らないでください。捨てられるのは、むしろ俺のほうです。突然あなたの前から姿を消して、そしてまた突然こうして現れて……身勝手なことをしたと思っています。捨てられても当然だと。……ですが、俺のすべては、あなただけのものです。これまでも、これからもそうです。それだけはどうか、わかってください」

 斎藤はこんなに喋る奴だったのかと、俺はまたしても驚いた。ただ少しからかっただけのつもりだったのに、これは相当深く傷つけてしまったらしい。

「ああ、わかってるよ。ちょっと言いすぎちまったな。すまなかった」
「……本当にわかっておられますか?」
「本当だよ」
「……」

 俺の言葉の真偽を問うように、斎藤は俺の目をじっと見つめてきた。こころのなかまで覗き込まれそうなほど真っ直ぐな瞳に、俺は内心、たじろいでしまう。

「……では、確かめてください」
「確かめる?なにをだよ」
「離れていたあいだ、俺がずっとあなたのものだったということを、です」
「……?」
「……だから、その、」

 斎藤はそこで言葉を切った。夜風すら鳴りを潜める室内で、彼がごくりと唾を飲み込む音が、やけに大きく響く。

「いれて、ください……」

 陽が落ち、他の隊士たちが寝静まった夜に、わざわざ俺の部屋に来る理由。なんとなく想像はついていたが、どうやら斎藤は本当に俺に抱かれに来たらしい。
 けれど、ここまで露骨な誘い方をされたのは初めてで、俺は嬉しく思う反面、戸惑ってもいた。斎藤という人間は、こんなに積極的な奴だっただろうかと、やはり変わってしまったのではないかと、考えを巡らせる。

 なにをいれてほしい?なんて野暮を聞く趣味があるわけでもなく、だからといって嬉々としてその誘いを受け入れるのも大人げないだろうかと思い、なんと答えるべきか悩んでいると、斎藤はしびれを切らしたように口を開いた。

「お願い、します……」

 その瞬間、俺は斎藤が本当に「あなただけのもの」だったというその言葉を、信じずにはいられなくなった。なぜなら、彼の澄んだ青い瞳はしっとりと濡れていて、ひとつまばたきをしたそこから、涙がこぼれたからだった。

(ああ、だめだ、好きだ)

 俺は今にも泣きじゃくりそうな斎藤の目元を、指で拭った。すると彼ははっと気づいたように「も、申し訳ありません」と、自分の顔を手でごしごしと擦る。

 斎藤がどうして突然試衛館に来なくなったのか、俺は正直、気になっていた。
 さよならのかたちはいくらでもあった。嫌われたのかと悩む日もあった。

 けれど、きっとそんなものはただの杞憂だったのだと、斎藤が己の感情をさらけ出す姿に、俺はみっともなく煽られながら、思う。
 こんな年下のガキに、俺みたいな大人ががっついてどうするんだ。頭ではちゃんとわかっているのに、身体のほうは、もうもちそうにない。

「……土方さん?」

 俺もまだまだガキってことかもな、と、俺は反応しだした己の欲望のままに斎藤の唇を奪った。空白の時間を埋めていくように、濃密な口づけを与えていく。

 絡めた舌に吸いついて、歯列をなぞり、唇の裏側を舌先で舐めた。
 息を吸う合間に洩れる彼の声がやけに熱を孕んでいて、俺の凝り固まった理性を根っこの部分から、甘くどろどろにとかしていく。

「そこまで言うなら、確かめてやるよ」

 本当はもう、確かめなくてもわかっていた。斎藤が俺と離れていたあいだも、ずっと変わらず俺のものだったということ。
 だから、これは建前だ。斎藤が用意してくれた据え膳を、俺が食う。ただそれだけのこと。

 俺の言葉を聞いた斎藤は、頬をみるみる真っ赤に染め上げ、ぼそりと「……どうぞ」とだけ言った。
 あんなに威勢よく喋っていたくせに、舌を突き出してきたくせに、急に恥ずかしがっている。その表情は、やはり以前のまま、俺が惚れた斎藤のままだった。

 思わず笑いがこぼれる。俺も斎藤も本当に、互いのことが好きで好きで仕方ないらしい。

 笑うなど何事かと首をかしげる彼の、いちばん弱い場所に俺は顔を近づけた。そのまま耳たぶを甘噛みして、まだ少し冷たいその温度を、唇で奪いとっていく。
 斎藤の肩がびくりと跳ね、逃げるようにして後ろに仰け反った。小柄なその身体を両腕で抱きとめ、俺は彼の耳元でそっと囁く。

「そんじゃ、いただくとするか」

 俺から逃れようともがく斎藤の身体を押さえ込み、何度も耳を舐めまわした。俺の腕のなかで快楽に震えるしかない彼の声や表情ひとつひとつが、本当に愛おしくてたまらない。

 いつかまた、斎藤が姿を消してしまう日が来るのなら。不安と悲しみに駆られる日々がやってくるのなら。
 二度と離れることができないように、すべて喰らってしまおうか。

 そんなことを考えながら、俺は今にもとけだしそうなほど熱を上げる斎藤の身体を、隅々まで味わいつくすのだった。


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