青年と友人帳と名前

□薄れた記憶
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「人は楽しそうだ」
どこかもの悲しげな声が聞こえた。
「確かに命は儚いが・・・多くの友という存在がいる」
視界を上へ向ければ、ぼんやりと人影が見えた。黒い髪、着物のようなものを着込んでいるという事が辛うじて解る。
「妖怪にはそんなもの、ないに等しい。あったとしても、せいぜい腐れ縁・・・だろうな」
妖怪・・・。その言葉に夏目貴志の心臓がドクリと跳ね上がる。知らない、こんな妖怪には会った記憶がない。焦りに似た気持ちが夏目から汗を流させる。良くも悪くも個性的な彼らは、大体記憶しているはず。なのに、この人とは・・・。前にもこんな事があった気がする。夢に入りこんできた妖怪が、名前を返してほしいと嘆いていた。けど、それとはまた違う様な・・・。
「お前が羨ましい、夏目」
自分の名前を、呼ばれた。この人は俺を知っている?なのに、なんで俺はこの人のことを知らない・・・?思いだそうとすればする程、深い闇に記憶の欠片が遠ざかってしまうよう。誰なんだ、貴方は。あと少しで、思い出せそうなのに・・・・。



「・・・・・・夢、だったのか」
くしくも思い出すことなく、真夜中であろう時間に夏目は目を醒ました。どこか現実味のある夢。腑に落ちない気持ちに、夏目はギュ、と布団を握りしめる。なぜだろう・・・あんなにも懐かしかったのに。全くもって心当たりがないのは、やはり可笑しい気がする。横では丸々とした物体がスヤスヤと寝息をたてていた。そのモッチリボディをなんとなく撫で、再び布団をへ横たわって瞳を閉じる。
・・・まだ残ってる、あの懐かしい声が。夢だったはずなのに、それは鮮明ではっきりとしていた。
しかし、二度目の睡眠にその夢は現れることなく。気づけばいつも通りの朝が来ていた。



痛い、苦しい、辛い。
樹にもたれかかっている妖怪は震える唇から息を吐く。人の子よりずっと長い間を生きねばならないのは宿命。早くこの苦しみから解放されたいと思っても、命は根強く途絶えようとしない。だが、もう長くはないということは悟っていた。
「・・・くそ、あの狐・・まだ恨んでいたとは」
昔の苦い記憶を噛み砕く。あの時の自分は、相当面倒な性格をしていた気がした。・・・そういえば、
「あの人の子、今は何をしているんだろう」
記憶からなくなることのない、あの人の子。友人帳とやらには興味はなかったが、あの人の子に興味はあった、・・・まぁ、どちらにせよ此方の事など微塵も覚えてはいないだろうが。
もう一度ため息を吐き直してから、妖怪はゆっくりと瞳を閉じる。映る情景は、色づいた葉を背にどこか怯えたように此方を見る人の子。
ああ、このまま消えれば楽なのに・・・・。
が、そんなに都合がいいものではない。鳥の声が聴こえ始め、結局駄目だったかとため息が再度漏れるだけだった。



今日はいつもより平和な一日だった。昼休みに名前を返してほしいとやって来た妖怪がいたものの、それ以外は特に妖怪に接触してはいない。
「夏目ー!!腹が減った!何か買ってこい!」
・・ああ、そういえば一応妖怪だった。このもっちり真ん丸としたボディの猫みたいな物体を見つめて夏目は思う。ニャンコ先生と呼んでいるこの生物は立派な妖怪だ。普段は大体この姿で、結構我が儘な事を言ったりする。
「この前も饅頭買ったばっかりじゃないか・・・駄目だ」
「なにーっ!?私はお前の用心棒してやっているというのに!それくらいしろー!」
呆れながらに返せばいつもの決まり文句が飛んでくる。妖怪に多く会わなくとも、疲れることに変わりはないのだろうか。
「駄目ったら駄目・・・あ、」
「ん?なにを急に立ち止まった?」
ニャンコ先生から視線を逸らせば、今度は別のものに夏目は釘付けになってしまう。それと一緒にニャンコ先生も立ち止まり、いぶかしげに夏目を見つめた。夏目は頬を緩ませる。
「此処・・・見覚えがある。なんだっけ・・・・・・」
年期の入ったベンチ。その後ろには、緑が生い茂っている木々が連なっていた。どこにでも有りそうなものだと思う。人間はそう思うものなのだろうか。
「ふん。どこにでもありそうだがな。その上、ハッキリと覚えていないではないか」
空腹のせいで若干イラついているのか、ニャンコ先生は鼻を鳴らす。夏目は困ったように頭を掻いて呟いた。
「本当に、なんで見覚えがあるんだっけ・・・・」
『それより早く食い物を』と、急かすニャンコ先生。が、夏目は動かない。否、動きたくなかったのだ。忘れてはいけないものを忘れているような気がして。これを逃したら、もう思い出せないような気がして・・・。どうにか思いだそうと記憶をかき集めるが、昔は苦い思い出ばかり。普通は見えないはずのものが見えて、理解してもらえず気味悪がられた頃の記憶。

『可哀想な人の子。嫌いになるだろう?世の中が。だから・・・・・』

・・・誰だ、この声。どこかで聞いた気が・・・・・・。
「夢の、中で・・・?」
「夢ェ?夢で見たというのか?」
いかにも信用ならんという顔でニャンコ先生は夏目に言う。自分でも信じられないよ、と夏目も眉を潜めた。
でも、どこか現実味がある気がして。どうにも腑に落ちない。刹那。
「あの時の人の子、やっと食べられる」
「っ!?うわっ!!?」
背後から現れた妖怪に気づかなかった。夏目は強い力で妖怪に押し倒される形で地面に背をぶつける。
『あの時の』確かに、コイツはそう言った。一度会ったことがあるのか?夏目は見覚えなかった。もしかしたら、この妖怪が一方的に狙っていただけなのかも知れない。
「ぐっ・・・う、離せっ・・・・・!!」
想像以上に強い力。いつもならどうにか振りほどけるはずなのに。
「夏目っ」
ニャンコ先生が助け船を出そうとした時。妖怪がなにか強い力で吹き飛ばされた。そのまま呻き声をあげ、なにやらブツブツと呟いたあと、妖怪は姿を消す。暫く唖然としていた夏目はハッと自分のバッグを探る。友人帳は・・・取られてない。
「あやつ、本当にお前を喰うのが目的だったらしい」
「ああ・・それに、さっきあの妖怪を吹き飛ばした強い力は・・・・」
「他の妖怪のものだろうな」
風のように過ぎていった出来事にポカンとしてしまっていたが、自分を助けた妖怪がいたんだ。この場所について、何か知ってたりするのだろうか。

『もう、来るな』

なんとなく、風に乗ってそう声が聞こえた気がした。夏目は立ち上がり、衝動的に走り出す。ベンチの奥にあった木々が連なる先へ。
「夏目ェ!?どっどこへ行く!?待てー!」
慌ててニャンコ先生も追いかけた。夏目にその声は届いていない。スピードを下げることなく、真っ直ぐ走る。暫くして木々の間に光が見えた。きっと太陽の光。その先は開けた場所になっていて、青々とした草が地面に生い茂っていた。先の方には大きな樹が葉を揺らし佇んでいる。夏目の心は一瞬にして奪われた。
「なんだろう、ここ。妖怪が住み着いてたりするのかな・・・」
そもそも人工的に作られた場所なのだろうか、と顎に手をやり考える。と、息を切らした丸い物体がヘロヘロになりながら罵倒を飛ばした。
「夏目!貴様はいつもいつもっ・・ふに“ゃ“っ!!?」
・・・と思いきや、後方へ軽く吹っ飛び罵倒の言葉を途切れさせてしまった。偉そうなこと言っといて、自分がドジを踏んでいらっしゃるじゃないか。それが可笑しくてたまらない。夏目はくくもった笑い声を漏らしつつも手を差しのべた。
「っくく・・なにやってるんだよ、ニャンコ先生」
「うるさーい!なにを笑っておぐふっ」
プリプリしながら近づいたニャンコ先生が再び後方へと軽く吹っ飛んだ。まるで漫才のよう。にしても、妙だ。さっきから、まるで見えない壁にぶつかって羽返されてるみたいな・・・。ニャンコ先生は目を白黒させたあと、ゆっくりその辺りに近づいて短めの前足を這べらせる。ピタ、と見えない壁のようなものがその前足を拒んだ。
「妖怪が入らぬようにと結界を作ってるらしい」
憎たらしげに前足を見つめニャンコ先生は呟いた。人間には効果を発揮しないらしい。できることなら、妖怪である彼も連れていきたいのだが。今回ばかりはどうしようもできない。
「しょうがないか・・・俺が奥を見てくるから、ニャンコ先生はここで待っててくれ」
「にゃんだと!?私を舐めるな!これくらいっ・・・」
猛反発しているが、見えない壁にふくふくとした前足を叩きつけてるだけ。全く持って説得力がない。夏目は無視して奥へと歩いた。あそこで話を長引かせたら、日が暮れる気がしたから。
 

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