◇◆霧隠才蔵(育児編)◆◇
□一枚の夜着
1ページ/1ページ
かしゃかしゃと、忙しない音が庭に響く。
百世丸の小さな足が乾いた落ち葉の山を崩し、風に舞い上がらせていた。
時折袴の裾から覗く足首は見ているだけで寒くなってしまう。
「……ね、百世。そろそろ中に戻ろう?」
私は軽く足踏みをしながらそう促してみた。
「冷えて来たし、風邪を引いたら大変だから。ねっ?」
「だいじょーぶ! あとちょっとだけ!」
「でも……」
外にいる理由が理由なだけに、強くは言えないまま縁側に目をやる。
少し前にそこへよじ上った華が、いかにも退屈そうに、ころんころんと寝返りを打っていた。
「あのままだと華まで風邪引いちゃうよ」
「んー、だいじょうぶ!」
なんの根拠もない声が快活に答えて、同時に枯葉がぱっと舞う。
それを追って空を仰いだ百世丸は、緋色の瞳を一心に凝らし始めた。
まるで、そこから父親が帰ってくると確信しているように。
才蔵さんが任務に出て半月が過ぎた。
帰りを待ちわびているのは私も同じで、だからこそ、数日前から暇を見つけては庭に出る百世丸を、止められずにいる。
憂いの溜め息をひとつつき、先に華だけ屋敷へ入れようと、一歩踏み出した時。
――えっ?
微かな風が吹いて、瞬いた時には薄闇色の広い背中が現れていた。
比べれば圧倒的に小さな、でもよく似た後ろ姿のそばにしゃがみ込み、同じ目線で空を見上げている。
私が咄嗟に反応できずにいると、耳慣れた平坦な声が流されて聞こえた。
「……何見てるの」
「わっ!」
百世丸が身を翻し、野兎のような敏捷さで距離を取る。
兄の声に反応したのか、縁側からも「おあっ」と奇声が上がった。
「ちちうえ! わぁっ、びっくりしたぁ!」
「だろうね」
はしゃぐ百世丸を腰にぶら下げた才蔵さんが、ゆるりとこちらを振り返る。
注意をして見なければ気付けないほど淡い笑みを浮かべ、
「――ただいま」
「おかえりなさい……っ」
私も走り寄りたくなる衝動を懸命に堪えた。
飄々と縁側に向かう才蔵さんの後を追う。
「百世、離れな。猿じゃないんだから」
「やだっ」
「袴脱げるんだけど」
私は口をぽかんと開けて半月ぶりの姿を見上げていた華を抱き、百世丸を引き剥がしながら部屋へ入った才蔵さんに尋ねた。
「少しお休みになりますか?」
「ん」
相当疲れているのだろう。
褥を整える素振りも見せず、才蔵さんは自らの片腕を枕にして、無造作に横たわった。
――せめて夜着だけでも。
そう思って華を下ろしたのが、まずかった。
私が用意をしている間に、ようやく父が帰ってきたと認識できたのか、突如四つん這いでばたばたと前進を始める。
その勢いのまま横向きに寝そべった才蔵さんの胸板へ、ずんっと衝突した。
もし立って走ることを覚えていれば、駆け寄って抱き付くという絵になっていたのかもしれないけれど……。
「ちょっと、華!」
予想外の展開に慌てたのは私だけだった。
百世丸はけらけらと呑気に笑い、突進した本人は自分で驚いて固まってしまっている。
ぶつかられた才蔵さんは目を開きもせず、空いた片手で華の体をこてんとひっくり返した。
「はいはい、お前は猪ね……」
「うー」
「大人しくしな」
華が甘えたように、才蔵さんの胸元に額を擦りつける。
親子の光景としては微笑ましいけれど、任務明けの疲労を考えれば傍観しているわけにもいかない。
私は才蔵さんの上に夜着を広げて華の肩をとんと叩いた。
「すみません、才蔵さん。……華、行くよ。百世もおいで」
「えぇー、だってせっかくちちうえ帰ってきたのに! ぼく、ずっと、ずっと待ってたんだよ」
「しーっ、後でね。今は……」
「名無しさん」
微かな声に遮られた。
華を抱きかけていた手首に、冷たい指先が触れている。
「どうしたんですか……?」
答えの代わりに才蔵さんは身じろいだ。
仰向けになって胸の上に華を載せ、空いた傍らに私は引き込まれる。
「きゃっ」
「ずるい! ぼくもー!」
才蔵さんを挟んで反対側に、百世丸が身を寄せるのが見えた。
片腕で抱き寄せられ、触れた体も指先と同じように冷たい。
「もしかして……才蔵さん、寒かったですか?」
「当然」
「ずっと外に?」
「……あー」
直接の返事はなかった。
でも低い呻きの後に、火鉢いらず、と呟きが聞こえた気がする。
百世丸が夜着越しにこそこそと囁いた。
「ちちうえ、華もう寝てる」
「……ん」
「あの、才蔵さん、重くないですか?」
「重い。……重いね」
会話はそこで途切れる。
それでも私達の間には久しぶりに取り戻した家族の時が、確かな温もりを宿して流れていた。
了
みんなでぬくぬく(*^^*)