◇◆伊達成実◆◇
□惑いながら
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「――あの、成実様」
「んー、ちょっと待ってなー。……よし、お待たせ! どーした?」
「すみません、この原本と写しなんですが、内容が少し違って」
「あ、これな。こっちに原本を修正したやつがあって……」
米沢城の一室。
事務的ながら仲睦まじい会話を聞くともなしに聞き、資料を取りまとめていた小十郎は、目の端で筆が止まったことを訝しんで顔を上げた。
見れば、書状をしたためていた政宗が、ひとつの文机の前に並ぶ二つの背中へちらりと視線を送っている。
「……」
「政宗様、どうかなさいましたか」
「いや」
短い答えに、もしやあの二人の声が政務の妨げになったのかと思う。
ならば部屋を分けるべきかと考えたところで、政宗がぽつりと言葉を継いだ。
「名無しさんが一緒だと、成実は頼もしくなるな」
「ああ……そう見えますか」
小十郎は小さく笑った。
確かに会話だけ聞いていれば、そう感じるかもしれない。
しかし。
「私はあれで、必死かと」
「どういう意味だ」
「名無しさんの前で下手な格好は晒せませんから」
机上を指し示しながら何やら説明する成実を見つつ、小十郎は笑みを深める。
微笑ましいというか、親心にも似た感情が湧き上がっていた。
小十郎の目には、成実の横顔が余裕なく映っている。
頼られたい、支えたい、大切にしたい。そんな心境がじわじわと伝わってくるのだ。
あの成実が、たったひとりにこれほど入れ込むとは。
「本気、なのでしょう」
「……何の話だ」
眉根を寄せた政宗が、微かな溜め息をついて再び書状に目を落とす。
丁寧で滑らかな筆運びを見れば、じわりと胸が熱くなった。
――本当に大きくなった。二人とも。
「小十郎」
「はい」
「その視線はやめてくれ。……背中が痒い」
その夜、執務を終えてそろそろ屋敷へ帰ろうかという頃合いで、小十郎の部屋に来客があった。
細く開いた障子の隙間からちらりと覗く顔に、苦笑が零れる。
「おーい、小十郎兄さーん」
「……来ると思ったよ」
手招くと、いそいそと入ってきた成実は小十郎の前に銚子と盃を置いた。
「一杯どうかと思ってさ」
「素直に付き合ってほしいと言えばいいだろう」
「まっ、どうぞどうぞ」
押し付けられた盃に、調子よく注がれる酒を受けてやる。
軽く飲み干して酌を返した。
呷った成実が、ほうっと満足気な息を吐く。
「いやー、いい夜だ」
「そんな話をしに来たのか。名無しさんはどうした」
「部屋でくーくー寝てる。その寝息がまた可愛いんだ」
成実と名無しさんは一晩米沢に泊まって、明日の会議が終わってから大森へ戻ることになっていた。
長丁場なのだから、惚気ている暇があったら早く休めと……促す言葉を、小十郎は飲み込む。
柔らかくはにかむ成実の表情に、どこか影があるように見えたのだ。
この男がこんな複雑な顔をするのは珍しい。
となれば原因はひとつしか考えられなかった。
あくまで曖昧に、さりげなく問いかけてみる。
「……最近、どうなんだ」
「んー?」
「うまくやっているのか?」
昼間の様子からは順調な付き合いが窺えたが、そうだとしたら今頃成実は名無しさんと褥を並べているはずだ。
気に入りらしい寝息からわざわざ遠ざかり、この部屋を訪れたのだから、何かしら思うところがあるのだろう。
黙って返事を待っていると、成実は小十郎の盃と自分のそれに酒を足しつつ、気楽な調子で言った。
「うん、ま、それなりにな」
「何を勿体つけているんだ。話したいことがあるんだろう?」
「いや……話したい、っていうか」
いまいち要領を得ない。
互いに酒をちびちびやりながら、しばしの沈黙が流れる。
出し抜けに成実が呻いた。
「あー、駄目だ。小十郎、笑わないで聞いてくれるか」
「どうだろうな。聞いてみないとわからない」
「おい!」
「冗談だ。笑わないよ」
滅多にくよくよしないのに、これほど弱気な姿を見せられて笑えるわけがない。
小十郎が腕組みをして目元を緩めると、成実はようやく、重い口を開いた。
「……俺、名無しさんを大事にできなかったんだ」