◇◆その他の忍◆◇

□幸せの在り処
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肌を刺す、北からの鋭利な向かい風。

こちらの気配を消し、相手の動きを察知するには風下も厭わないが、その必要もなくただ駆ける今の状況ではひたすら難儀だ。

空気に湿った匂いが混ざる。
雪か、冷たい雨か。
じき訪れる悪天にさらされる前に、目的を果たして里に戻りたい。


――あの人が、ごねずに任務を引き受けてくれれば。


山を越え、木々を渡れば真田の城が目前に迫る。
と、吹き付ける風に乗って何やら賑やかな声が聞こえ始めた。


「……ぇ!  ……すよっ!」

「……ぞ、……助、お前も取り過ぎだ!」

「大丈夫ですよ、幸村様。まだたくさんありますから」


降り立った屋根からは庭が見渡せる。
周囲の建物で風が遮られる一角に焚火があり、そのそばに集まる一団が賑やかさのもとだった。


「あっ! だからこっちは俺の団子ですっ……先生ぇ……」

「お前の?」

「さっきからそう言ってるじゃないですか!」

「へえ、なら次からは名前書いときな」

「才蔵さん、おかわりでしたらこちらからどうぞ」


全く大人げない師弟のやり取りを、北風すら包み込む柔らかな声が宥める。
あの才蔵さんが言われるがまま、別の皿に手を伸ばす様を興味深く眺めていると。


「……っ」


束の間投げられた鋭い気が俺の背筋を粟立たせる。
応じて、瓦を蹴った。


「――才蔵さん」

「……」


焚火に温められた空気が頬を溶かす前に、懐の文を差し出す。
黙って受け取った才蔵さんは、団子の串を片手に一読したそれを、火元に投じた。

パチッと崩れた木が爆ぜる。


「……承知」

「では」


最低限のやり取りを済ませ、会釈をした時には既に、引き止められる予感があった。


「清広さん」


鈴の音(ね)の呼び声と共に、ひと串の団子が差し出される。
綺麗な焼き目に絡んだみたらしから、香ばしい醤油の匂いが漂っていた。

胃袋が切なく痛む。


「炙り立てです、熱いうちにどうぞ」

「……」


咄嗟に、霜が降りた遠くの芝へ視線を逸らせた。
彼女の顔も、串を持つ指先も、そしてその手が丹精込めて作っただろう団子も。


――見ては、いけない。


「……いえ、俺は」


辛うじてそれだけを呟く。
目の前に立つ彼女ばかりか才蔵さんからも、静かに視線が注がれているのを感じながら。

地を離れようとすると、先んじて、その才蔵さんから声が掛かった。


「清広」

「はい」

「その顔で戻るつもり?」

「……」


感情の滲まぬ口調で淡々と尋ねられる。
実際、何の情もないのだろうが、こんなふうに踏み込まれることは珍しい。


「え、先生、何言ってるんですか? 清広さんはいつもこんな顔じゃないですか」


佐助がひょいと覗き込んで来た。
まじまじと見られて喜ぶ趣味はなく、俺は素早く数歩退く。


「では、これで」

「あ、清広さんっ」


彼女の澄んだ瞳を振り切って、焚火の煙も届かぬ高い木の枝に立った。
けれど里に戻るはずだった足はそこから先へ動かない。


『その顔で戻るつもり?』


才蔵さんに投げかけられた言葉が耳の奥に残っていた。
あの人がわざわざ忠告してきたほどだから、俺は今、里へ帰るには相応しくない顔をしているのだろう。

どんな顔かは知らないが、でも。


――次の任務まで、ここで時を稼ぐべきか。


そう考えると僅かに気が軽くなった。
才蔵さんの言葉を口実にすり替えただけだ。わかっている。

それでも今は彼女のそばを離れ難かった。

顔も指先も、団子すらまともに眺めず、俺を惑わすものを可能な限り断ったのに。
彼女の声の温もりだけで、こうも揺さぶられる。


忍として鍛え上げた強靭な精神すら敵わない、この感情の名を、俺はとうに自覚していた。
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