◇◆片倉小十郎◆◇

□【片恋シリーズ1】変化の兆し
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瞬く間の淀みもなく、さらさらと筆が走る。
墨の濃さ、誤字の有無。
着々と刻まれるものをどこか他人事のように目で追いつつ、同時に、小十郎の頭にはそれより二行後ろに書き付けられる予定の言葉が、絶えず流れていた。

米沢領内の地主へ、当面の指示を与える書状だ。
今日何通目の書き物だろうか。
指は筆の丸み通りに凹み、文机を見下ろしたままの首に至っては動かした方が軋みが気になるので、朝からずっと同じ角度を保っている。


――以後の委細……追々申さるべき事。


辿り着いた末尾に日付と花押を記し、ふっと息をつく。
まずはしたためた書状を汚さぬよう、傍らへ筆を置き……


「うっ……」


首をもたげた途端、身の内でギシギシと不快な音が鳴り、重い痛みに小さく呻いた。
凝りを解そうにもそれ以上動けず、思わずその場で硬直した時。


「小十郎様、失礼致します」


突然肩の辺りで凛と透き通った声がして、首筋がぽっと温かくなる。
次いで、首の付け根にじわじわと圧がかかった。


「痛みますか?」

「ん……ああ……いや、続けてくれ」


促せば、固まった筋を解す力が肩から背中へと移り、体から徐々に余分な力みが抜けていく。


「……弥彦、いたのか」

「はい、朝から控えておりましたよ」


指圧の心地良さと一仕事終えた解放感もあり、自分でも呆れるほど軽薄な言葉が零れた。
背後からの返事には微かな笑いが滲んでいて、ますます申し訳なさが募る。


「いや、すまない。そう指示をしたのは私だったな。……ありがとう、だいぶ良くなった」


肩を上げ下げしてみれば、多少の痛みは残っているものの動きに支障が出るほどではない。
少し休憩を挟もうと文机に向けていた体を転じた。

すかさず、湯気の立つ湯呑が差し出される。


「熱いのでお気をつけて。よろしければ甘味もありますが……」

「ああ、いただこうか」


頷きで答えて、受け取った湯呑に口をつけた。
集中を切ったせいで体中に散らばっていた疲労が、熱い茶に溶け、体の芯を流れ落ちていくのがわかる。

漆塗りの皿にひとつ載った大福を頬張った時には、たまらず唸ってしまった。


「――うまいな」

「ありがとうございます」


折り目正しく側に控えていた弥彦が、安堵の息をつく。

弟の身代わりで城に来た男装の娘を、小姓として側に置くようになってから三月ほど。
京の小料理屋に居たというだけあって達者な料理の腕はもとより、小姓としての仕事にも慣れてきた最近では、気遣いの細やかさも発揮し始めていた。


ふと気が付いて小十郎は首に手をやり、当てられていたものを取る。


「手拭い?」

「ずっと書き物をされていたので、お疲れになるだろうと思いまして。布を蒸してみました」

「ああ、そうだったのか」


どうりで心地良くなったわけだ。


「ん……? そういえば、途中で墨が切れなかったが」

「濃さはいかがでしたか? 時々注ぎ足してみたんですが……お気づきにならないほど集中していらしたんですね」


弥彦はいたく感心した様子で目を見開いている。
香りの良い茶を味わいながら、小十郎はひそかに苦笑した。


――感心したいのは、俺の方なんだが。


気が利くというか、そつがないというか。
本当に小姓として誰かに仕えたことはないのかと、訝りたくもなる。


「弥彦」

「はい」

「小料理屋では、忙しかったか?」

「えっ……あ、そうですね」


唐突な問いに面食らいながらも、弥彦は生真面目に考える素振りを見せた。


「やはり、昼と夕餉の刻は。調理、配膳、注文取り、片付け……仕出しが重なる時もありましたし、それを母と弟と、三人でこなさなければいけなかったので」

「なるほど。それで視野が広いわりに、小回りがきくのか」

「……?」

「いや、なんでもない」


老練とも言える巧みな仕事ぶりには似合わず、小首を傾げる様はどこまでも無垢で。


――おかしな子だ。


すかさず差し出された小さな手に一滴残さず飲み干した湯呑を返しながら、小十郎はそっと口元を緩めた。
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