◇◆片倉小十郎◆◇
□やきもちの引き金
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米沢城の炊事場。
ここは時として、調理の場から女同士の情報交換の拠点に様変わりする。
「昨日買い出しに行った時にね、八百屋のご夫婦が言い争っていて」
「何を?」
「おかみさんが男の客と親し気に話しただけで、ご亭主が『あいつは誰だ!』って。お相手にもお連れの女性がいらっしゃったのに」
「いいじゃない、愛されてるってことでしょう」
「ううん、嫁さえまともに捕まえておけない男だって、外聞悪くなるのが嫌なだけよ、きっと」
――大変なんだなぁ……。
私は二つの湯呑にお茶を淹れつつ、賑やかな会話をどこか遠い出来事のように聞いていた。
話の中心になっている女中さんが言う通りの理由でご亭主が怒ったのだとしたら、確かに少し、鬱陶しいのかもしれない。
お茶とずんだ餅の器をお盆に載せていると、ふいに背中から声を掛けられる。
「名無しさんさんは、最近どう?」
「えっ」
振り返れば、尋ねてきた梅子さんを始め、炊事場中の視線が私に注がれていた。
「どうって……」
「片倉様と。厳しい方だから、いろいろ大変そう」
「『付き合いにも節度が肝心だ』とか言いそうよね」
「他の男と話していたら、『立場をわきまえなさい』とか?」
「あ、でも片倉様にだったら、言われてもいいかも」
きゃあっと歓声が上がる。
小十郎様の人気はわかっていたことだけれど、あまりの盛り上がりにたまらず苦笑してしまう。
――どれも、言われたことはないんだけど……。
むしろお屋敷での小十郎様は私に甘くて、優しくて、女中さん達の想像の対極だ。
「ね、どう? やっぱり他の殿方とお話をしていると、咎められる?」
「いえ、そんなことはありませんよ」
「でもまさか、全く何も言われないということはないでしょう?」
「はは……」
曖昧な、乾いた笑いが零れる。
そのまさかだということを口にできる雰囲気ではなかった。
小十郎様は私なんかよりずっと、余裕も理解力もある。
そう思えば咎められないことは不思議ではなかったし、今まで気にしたこともなかったけれど。
――それって、変なのかな?
私が積極的に小十郎様との話をしようとしなかったからか、その話題は忙しない女中さん達の会話の移ろいにあっけなく流されてゆく。
でも一度抱いた疑念は、私の中にぼんやりとした影を落としていた。
せっかく淹れたお茶が冷めてしまわないようにと、急ぎ足で政宗様のお部屋へ向かう。
気配が伝わったのか、障子の前に膝を付くと中から聞こえていた低い会話がぴたりと止んだ。
「名無しさんです。お茶と甘味をお持ちしました」
「ああ」
応じた政宗様の声は穏やかだった。
あまり深刻な話をしていたわけではない様子に内心ほっとしながら、障子を滑らせる。
お部屋の空気は少し籠っていて、朝から打ち合わせを続けていた政宗様と小十郎様の熱気が滲んでいるようだ。
吹き込んだ新鮮な風に、お二人の表情がふっと和らぐ。
「少し休息を取りましょうか、政宗様」
「ああ」
交わされた言葉で察した私は、清々しい空気が入るように障子を端まで開き切る。
ずんだ餅をお出しすると、一層政宗様の目元が綻んだ。
「名無しさん」
「はい」
「……いつも、ありがとう」
完全にふいをつかれた。
真摯な響きが胸にまっすぐ届く。
まさか政宗様からこんな声を掛けていただけるとは思わず、驚きと嬉しさで上手く頭が働かなくなる。
「あ、いえ、あの……っ」
「……?」
「も、勿体なきお言葉……!」
「……勿体ないのか」
ぎくしゃくと畏まった私と、困惑する政宗様。
硬直しかけた場をふっと揺らしたのは、笑みを含んだ小十郎様の仲介だった。
「名無しさんは喜んでいるようですよ、政宗様」
「そうか……よかった」
「名無しさんも、そんなに恐縮していては、妙なことを言ったのかと政宗様に誤解されてしまう」
「はい……すみません」
ようやく顔を上げて、気まずいような気恥ずかしいような微笑を政宗様と交わす。
その様子を見守ってくださる小十郎様の柔らかな眼差しが、こめかみのあたりをくすぐっていた。