◇◆片倉小十郎◆◇

□告白〜朝のひと時〜
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目頭が熱い。
なんの比喩でもなく、本当に熱いのだ。

早朝とは思えぬほど力強い日差しが、じわじわと蝕むように照り付けている。
どれだけきつく目を瞑っても視界はほの白く、うまく眠りに戻れない。


「ん……」


眉を顰めて喉の奥で寝惚け声をくゆらせる。
溜息混じりに陽光へ背を向けると、鼻先に柔かな絹糸が触れた。


――うん……?


薄く目を開く。
黒く艶やかな糸が、視界いっぱいに流紋を描いていた。

まだうまく働かない頭で考えるより先に、俺は香(かぐわ)しいそこへ鼻を擦り寄せている。


――名無しさん。


自分で自分に焦れるほど緩慢に意識が浮上し、それと共に胸の奥が切なく、狂おしく窄(すぼ)んでゆく。
眠気のかわりに俺の中を占めたのは、底抜けの幸福感と愛おしさだった。

ゆっくりと首をもたげ、彼女の顔を覗き込む。


「名無しさん……寝てる?」


囁きかけるも反応はない。

狸寝入りができるほど名無しさんは器用ではないから、本当に眠っているのだろう。
すふー、すふー、と穏やかな息を立てている。

と思えば突然、なにやら思い悩んだ様子で眉根を寄せた。


「んんん……」

「ふっ」


あまりの渋面に笑ってしまいながら、皺が刻まれた額へ唇を寄せ、口付けを落としてみる。

ちゅっ、と、自分でもくすぐったくなる音が鳴った。

それでも夢の中名無しさんの悩みは解決してやれなかったらしい。
俺は褥に頬杖をつき、空いた他方の手でふわふわの頬をつついた。


「どうしてそんな、難しい顔をするかな」

「……ん」


額が駄目なら目蓋へ、目蓋も駄目なら鼻の頭へ。
次から次へと口付けを移していっても名無しさんは目を覚まさない。
ただ、むずがる赤子にも似た顰め面はいつしか、へなっと緩んでいた。


「ははっ……まあ、さっきのも可愛かったけど」


やっぱり大事な人にはいつも、笑っていてほしい。
俺自身も緩んで仕方ない口元を自覚しつつ、再び顔を伏せる。

名無しさんと唇を合わせ、優しく啄む。

長い睫毛がぴくりと揺れた。


「ん、ぁ……?」


日頃しっかり者の名無しさんからは滅多に聞けない、危うげな疑問符が宙に浮く。
声を抑え、しかし震える肩はどうにもできずに笑っていると。


「あ……小十郎、さま……」

「おはよう」

「はい、おはよう、ございます……」


目をこすった名無しさんは、僅かに引き上げた掛け布で口元を隠す。
その下でつつましやかにあくびをしたようだ。

腹の底をくすぐられているような落ち着かなさをどうにか堪えていた俺だったが、そこで限界がきた。

衝動に駆り立てられ、掛け布ごと名無しさんを抱きすくめる。
小さな悲鳴が上がった。


「小十郎様っ」

「さっきからなんなんだ」

「はい?」


額を合わせて告げた言葉はもっともらしく責めるものだが、語調はどうしても甘くなる。


「朝から俺を煽って。責任はとってくれるのか?」

「ええと……なんのことだか……」


未だ顔の前で布を掴む名無しさんは、目を泳がせ、くぐもった声で言う。


――なんのことかわからない、か。


当然だろう。
本人にとっては、今目覚めたというだけなのだから。

たったそれだけのこと。
それだけのことが俺は嬉しくて、愛おしくてたまらない。

掛け布をくいくいと引く。


「これ、下ろして」

「ど、どうしてですか」

「口付けしたいから」

「……おはようの、口付けですか?」


目元を微かに赤らめた名無しさんが期待したように問うてくる。
俺の姫様がお望みなら、それも悪くはないが。


「少し違うな」

「では、なんの……?」

「”今日も好きだよ”の、口付け」


にこっと微笑む。

途端に布を持っていた名無しさんの手が動いた。
下げる方ではなく上げる方に、だ。

勢いの良さに俺の阻止も間に合わない。


「隠れなくてもいいだろう」

「小十郎様がっ、恥ずかしいことを言うからじゃないですか!」

「恥ずかしくないよ。ほら、顔、見せて」

「いやです」

「……。見たいな」

「いや、です」


強固な返事がある。


――ねだる作戦は失敗か。……それなら。


ぽんぽんと頭を撫で、身を引く。
俺が諦めたと思ったのだろう、さして間をおかずつぶらな瞳が様子を窺いに覗いた。

その隙をつく。


「きゃっ」

「はい、つかまえた」


一息に掛け布を引き下げ、驚き顔を露わにした名無しさんの両頬を包む。
そうしてそっと距離を埋め、しっとり吐息を重ねるだけの触れ合いの間、心の底から想う。


”おはよう、名無しさん。――愛してるよ”


雄弁な沈黙を破って、どこか遠くから小鳥のさえずりが届いた。
淡い交わりを解き尋ねてみる。


「伝わった?」

「……はい」


気恥ずかしそうにはにかむ名無しさんの前で、


「じゃあ……返事」


言いながら俺は、自らの下唇を指先で叩いて見せた。

ふっと空気が綻ぶ。
首に回った細い腕に乞われ導かれるまま、顔を下げる。



やがて感じた柔らかな温もりの奥から、優しい想いが流れ込んできた。










「ところで何の夢をみたんだ?」
「ええと、確か、お汁粉の大群に追いかけられて」
「羨ましいな。俺なら喜んで受け止めるのに」
「でしょうね……」

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