◇◆樋口与七◆◇

□守る力
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「ええと……あとは、お味噌とお米と」


手元の覚書と備蓄庫の中を交互に確かめる。
炊事場で足りなくなりそうなものを補うのも、春日山の台所を任された私の、重要な役目だ。


――今日はたくさん運ぶものがありそう。


勘定方への提出用に持ち出すものを書き留めながら、そう思う。


「……よし」


覚書を懐に仕舞い、疲れないうちに重たいものからと手を伸ばしたところで、横から伸びて来た腕が米俵をひょいと攫っていった。

その先を追えば人懐こい笑顔がある。


「与七くん!」

「間に合ってよかった。手伝うから、名無しさんは軽いものから運んで」

「ありがとう」


ほっと安堵の息をつき、小さめの味噌の壺を持ち上げた。
備蓄庫の入り口で待っていてくれた与七くんに追いつき、並んで歩き出す。


「こういう時は男手を頼ってって、この前も言ったよ?」

「ごめんなさい。でも、こうして重要なお役目をもらえるようになったことが、嬉しくて」

「まあ、それも名無しさんらしいね」


大事な備えを持ち出すお許しは、ただの料理人なら得られない。
春日山城に来たばかりの頃からは想像がつかないほど、大きな信頼を寄せてもらっている。

そのことが嬉しかった。


与七くんと炊事場に向かって歩いていると、吸い寄せられたかのように、どこからともなく景家さんが現れた。
私達を見て踵を返したその背中を、すかさず与七くんが呼び止める。


「かっきー、いいところに!」

「……」

「運ぶの手伝って」

「えー」

「かっきーもこのご飯食べるんだから」

「……めんどくさい」

「あ、ほらあそこにつぐつぐもいる。おーい、つぐつぐ!」


強引にお二人を巻き込んだ与七くんが、一度米俵を置くため意気揚々と炊事場に向かう。
あっという間に四人になった私達は、それから炊事場と備蓄庫を一度往復するだけで、全てのものを運び終えてしまったのだった。






その日の夜。
与七くんの部屋へ向かう途中、縁側でその姿を見つけた。

少し欠けた月をぼんやりと見上げる横顔は、普段の溌剌とした様子とは対照的に危うく見える。

声をかけるのを躊躇っていると、与七くんの杏子色の瞳がついと流れた。


「名無しさん。どうしたの? そんなところで」


佇む私を呼ぶように、とんとんと隣を叩いている。
促されるままそこに腰を下ろして、改めて与七くんに向き直った。


「今日はありがとう」

「いえいえ。どういたしまして」

「……今日だけじゃなくて、いつも」


縁側の縁に添えられている長い指に、私はそっと自分の手を重ねる。


「与七くんはいつも、私が困るより先に助けてくれるから」


何かを察知したように現れて、救ってくれる。
今日だって与七くんが気付いてくれなければ、私はきっと、重い荷を抱えて何度も行き来しなければならなかった。

私の声にじっと耳を傾けていた与七くんが、また月を見上げる。
浅く噛んだ唇に微笑を浮かべて。


「僕は、皆みたいに強くない」

「……」


どこか寂しげな口調に、安易に返せる言葉はなかった。
強くなりたいと願いながらも、軍神と名高い謙信様や、越後の二天と呼ばれる景家さんと景継くんには遠く及ばないと、与七くんが思い悩んでいることは私も知っている。


「でも、強くないけど、守ることは諦めたくないから。この城のことも……名無しさんのことも」


月の色を写し取ったかのような、確かな光を持った眼差しが向けられた。


「刀になれないなら鎧になる。備えて、察して、敵の刃を防ぐ鎧に」

「与七くん」

「……なんてね。米俵を運んだくらいで、大げさだね」


いつも私の心を軽くしてくれる与七くんの笑みも、今はただ胸を締め付けた。
膝立ちになり、私よりも僅かに低い位置にある頭をそっと引き寄せる。

胸元で、与七くんが息を飲むのがわかった。


「与七くんは強いです」

「……」

「強くて頼もしい。私は与七くんのそばにいる時が、一番ほっとする」

「名無しさん」


私の腰に逞しい腕が回った。
抱きしめていたはずが、抱きしめられる感覚に様変わりする。


「名無しさんは僕を慰めるのが上手だね」

「そう……?」

「うん。自分が本当に強くなったような気がする」


首筋に熱い吐息がかかった。
一瞬湿った温もりが触れ、少しだけ抱擁が緩む気配に私は応じる。

きりりと引き絞られた与七くんの瞳が、私の影を色濃く映して。


「守るよ。何があっても」


頷く代わりに顎を引けば、誓いを告げた唇が微かに震える。

どちらからともなく寄り添った口付けは、甘く、切なく、胸を焦がした。










(僕は、僕のやり方で)

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