◇◆霧隠才蔵◆◇

□覚悟の選択
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……冬。

起きぬけの、掻い巻き布団の内にこもった温もりが好きだ。
すり寄ると、すかさず胸元へくるむように抱き寄せてくれる腕が、好きだ。


「……おはようございます。才蔵さん」

「……ん」


そっと顔を上げてみれば、いつもはすぐに見つめ返してくる緋色の瞳が今はまだ閉じている。

代わりに私を抱きしめている手が背中を伝い、首筋まで上がってきて、髪をゆっくりと梳き始めた。


──愛されている。


そう感じる瞬間は、こんなふうに何気ない日常の中に、いつもある。

恋仲になってすぐの頃は見たことがなかった寝顔。
文字にするならたった一文字の返事の温度。
ほとんど無意識のように髪を弄ぶ手つき。

大きな幸せなどいらない。
才蔵さんと穏やかに過ごせることが、私の一番の幸せで──

それは才蔵さんにとっても同じだということも、もうとうに知っていた。



* * *



日が高くなると、軒先から雪解け水が滴り始めた。

まだ遠い春を少しだけ予感させてくれる澄んだ雫に、思わず頬を緩め、指先を差し伸べる。


一滴、二滴。
雪の冷たさを残した雫を受け止めていると、


「何してるのさ」


半衿をくいっと後ろへ引かれた。
ほんの半歩ほどよろめいたけれど、すぐそこに立っていた相手の胸元に危なげなく受け止められる。

首をひねって振り返ると、才蔵さんが心底訝し気に、濡れた私の手元へ視線を注いでいた。


「……お前さん、時々おかしなことするよね」

「そんな言い方しないでください。これは……ちょっと、春を感じようとしていただけなんです」

「わざわざ冷たいもの触って、何が春なの」


呆れた口調で言いながら、才蔵さんは懐から取り出した手拭いをやや強引に握らせてくる。

春の息吹が込められた水滴はあっけなく消えてしまったものの、指先には手拭いに移った才蔵さんの温もりを感じた。


「……温かいです」

「馬鹿だね。それだけお前さんの手が冷えたってこと」

「……ふふ」

「何笑ってるのさ」

「なんでもないです」


『馬鹿だね』が、言葉通りの意味にも、皮肉にも聞こえない。
むしろ愛おしいものを慈しむ響きのようで、もう一度聞きたいとさえ思う。

けれどさすがに、ねだるのはおかしな言葉だから。


「……桜。もうすぐ咲きますね」


勝手に受け取らせてもらった想いの分だけ、自分の感情を笑みに乗せて返す。


「だから、気が早いよ」


やっぱり呆れた声で言いながら、才蔵さんは真冬よりもわずかに青の濃い空を一瞥した。

その瞳に密かな期待の色が宿ったことを、きっと才蔵さん自身は知らないだろう。


……わかっていなくてもいい。


無自覚でも、才蔵さんが未来を見てくれていることが嬉しくて、ますます頬が緩む。


「さっさと入るよ」

「はい」


並んで歩き出したその時──


手拭いを持っていた手を不意につかまれる。

強く引き寄せられ、身体の位置がくるりと入れ替わった次の瞬間、陽光の注ぐ中庭に刃の交わる冷えた音が響き渡った。
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